2022年5月30日月曜日

「富山市「さくらカフェ」」2005/11/23 

緊急のライブが十数年振りに会った、青木昭彦氏の招聘により入り、駅前を捜すものの見つからずに青木昭彦氏に迎えに来て貰う。この間駅地下で演奏してたら、「こんなに寒い所で演奏されてるならウチで…。」…と、カフェの彼女が言ったことが発端らしい。「落ちぶれ…うらぶれた…」演出が決まったわけだ!(笑)私としては「落ちぶれた…」「うらぶれた…」でも何でも良い!演奏の機会があればまあ、…最低限良い!あんまりにも人をバカにしたシチュエーションでは死んでも演奏しないが!自由に自分の好きなだけ…演奏出来るストリートは気に入ってる。まあ、…心配しなくても「落ちぶれた…うらぶれた…」演出は自然体でできているだろう(大笑い!)今の自分のアカデミックな演奏スタイルと作品は、わかる人には分かってくれる。駅地下で演奏することで「かなり格下」と見る奴は多いに違いない、(そーゆう一般人ならともかくとして音楽業界人やイベンターが多いのも呆れる。)しかし私は自分なりの「超一流」を目指す。私を指して、批判的な所謂「頭でっかち」連中と妥協しようとは思わない。人がどういう評価をしようと「自分の音楽」を素直にやるだけなのだ。前置きが長くなった。店には一般人のお客さんがいるなかでの演奏、青木昭彦氏から言われていた「乾杯」「岬めぐり」「聖者の行進」「Aトレイン」など演奏する。私としては「?」な選曲だがまあ、いいや、で…演奏(当然インストールメンタル)彼、青木昭彦氏はリクエストも取り出し、色々ひく「浜崎あゆみの曲」…とかっていわれて弾けない自分がいる。人前で弾かなくても「代表曲」ぐらいは検証しておいてもいいのかもしれない。しかし、ものの見事に「浜崎あゆみ」に限らず、現在テレビ、コンビニ、他、流れている音楽に琴線を揺さぶられることはない、若い時の多感な頃の感性は戻らないのだろうか、もしかしたら私が「頭でっかち」になっているかも知れない、「俺はいろんな音楽を知ってる。えっ、〇〇〇の曲、なにこれ、ぜーんぜん感じない。」なんて態度に自然となってるとしたら問題だ!…が感じないものは感じないのだから仕方なし、ただ、特定のジャンルだから「良い悪い」は無いつもり、かつては…そんな「マニアックなぬかるみ」にハマっていたこともある。考えてみれば…所謂「洋楽派」の連中は若い頃聞いた感性のまま20代に入って音楽離れをする。音楽業界はきっとティーンエイジャーの感心を集める音楽しか出していかない。そんななかで我々は「古き良き70年代の音楽」から動かない。いや、動こうともしない。そーゆう悪循環のなかで、我々の鑑賞に足る若いアーティストが出てくるとはちょっと思えない。「団塊の世代」の連中が大量引退したら、我々の感性にも届くようなシニアレーベルを立ち上げてくれないものか、そう、彼らが暇になったら、また音楽するでしょ?どうせ、話しは「桜カフェ」のライブに戻ります。インストールメンタルをながーくやって、「歌っても良いですか?」とやり、歌わせてもらった。 すると青木昭彦氏「車にギタレレあるから持ってきます。」とやり、一緒に演奏しだした。多分一緒に演奏したのは13、4年振りだろうか、驚いたことに彼はその頃の私のレパートリーを全部覚えていて、私がとっくに忘れた(私の曲)「バカの一念」や「赤心の歌」「ヘルプレス」「天国の扉」などを覚えてくれていたのだった、特に「バカの一念」などは曲の存在さえ忘れていた。彼は精神障害者のボランティア団体に「音楽ボランティア」として参加してるとのことで、彼の周りも良き友人に恵まれていそうなそんな「桜カフェ」のライブだった。私は青木昭彦氏のため彼の作曲した「バレリーナ」を歌って最後に「星空の万華鏡」を歌った…お店の方々は最後まで聞いて頂き、感謝であった。しかしながら、大変喜んでいただき「またライブさせてください。」に「是非とも!」と快く答えて頂きまたの再会を言って、青木昭彦氏との13、4年振りのセッションは彼の作曲は誰よりインパクトに溢れていたこを再認識して店を後にした。

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