わが父親が、私は漫画家『水木しげる』先生のファンだったという事を察してか、水木しげる先生の出身地、境港市「水木しげるロード」へ連れて行ってくれた。
昨日のライブの疲れで、眠くて運転を交代してもらったら境港だったのは驚いた。
平日だって言うのに人出はある程度出てる…。
水木しげる先生はメジャーでありながらマイナーの良心(!?『ガロ』や貸本出身者に私は甘いかも..)を残している日本最長老の漫画家だろう。(旭日褒章を受賞している。)
調布市在住のTさんは昔からよく自転車で出歩いてる水木しげる先生をひんぱんに見てきたという…、彼女は私と同い年。
境港市が『町おこし』の為に作った「水木しげるロード」と「水木しげる記念館」に700円の拝観料?を出して見てみる。
『行政の用意した御輿に乗っかっちゃって…。(苦笑い)』…と気持ち的には批判的だったのだが…。
水木しげる先生が戦前「菓子」が町からなくなって時代がヤバくなったことを知った菓子屋らしき店があった、(ほとんど昔から手を加えてないお菓子屋や、昭和四十年代のノリの和洋折衷の食堂、などかえって手を加えてない店の方が「妖怪〇〇〇屋」のデコレーションされた方より気を惹かれたかもしれない。)その昭和四十年代の匂いを残した(三十年代かも..)食堂で食事をした。
両親と水木しげる先生の話から戦争中の話を大分聞いた。
水木しげる先生の人生については『昭和史』『ねぼけ人生』『落第王』『総員玉砕せよ!』などなど、熟知していたが『総員玉砕せよ』のニューブリテン島ラバウルの「ズンゲン守備隊」のかつての上官「宮軍曹」と写った、昭和四十六年に再度ニューブリテン島ラバウルを訪れた写真は凄い説得力があった。
戦争中に補充兵がその後無く、万年初年兵だったためと『世界は自分のためにある』的な生活パターンから、誰よりビンタを上官からくらい(先生は今でも兵役時代の夢を見るという)、生き延びた凄い人生だが、後年、南方の原住民と再会するいきさつも凄い!
戦争中にラバウルにおくられ、兵役で10人程度の分隊でセッコウ分哨に行ってたった一人生き残り、後左腕を失いマラリアになって死にかけたが、現地人の少年トペトロや少女(で主婦。)エプペらに食糧援助してもらい、戦後二十数年たって再会したいきさつはなんか良いなあと思う。(トペトロ少年は平成3年死亡)
水木しげる先生はトペトロ少年の親(当時の酋長)のことや、トペトロ少年の親戚から親類もみんな知っているから『長老』の位を与えられているとか。
『太平洋戦争』のあと、貸本漫画家としての『貧乏15年戦争』水木しげる先生のもう一つの魅力というか…、大正生まれの水木しげる先生のネーム(漫画のふきだしのこと)にはとてもステキだが、現代感覚のノリとはかなり段差のついた感覚の面白さと、『貧乏との15年戦争によって育まれた笑いにくいが面白い!』っていう面白さがある。(水木しげる先生えらそうにすいません。)
例1
「鬼太郎夜話」では、「鬼太郎親子が下宿してる『ねこや』という三味線屋では、エレキギターに押されて売れていない。三味線を作った残りカスのねこの頭を売っているが、今どきこんなものを買う人もいない。」とか..
例2
「いっかいの妖怪の子供にすぎない僕が、大臣も震えあがるという森脇真茶光氏に招じられるとは何というスリラーめいたことであろう…。とか..(ワカル人にしかワカラない!)
例3「ゲゲゲの鬼太郎『髪様』より」
ねずみ男氏のセリフで「隊長!それは違います、日本の自衛隊では妖怪戦と近代戦には無理です!」などシャアシャアと言っている。
例4
『ヒトラー』では当時ナチス党を立ち上げたネームもさることながら、貧乏話が大分続いている。
幼い頃から親しんできた『水木ワールド』私は「少年マガジン」メジャーになった『ゲゲゲの鬼太郎』から水木ワールドに初めて接した。
『ゲゲゲの鬼太郎ベトナム戦記』では、女の子には生理があり、男の子は勃起するということを教えてもらったかもしれない。
自分にとっては本当に昔から見て馴染んだ、そしていまだに第一線で活躍しておられる『偉人中の偉人だが奇人』っていうのが嬉しい!(水木しげる先生再びすいません。)
何しろ我が家の父親より、はるか年上だが…隻腕ながら元気で、水木しげる先生なりの現代感覚で頭も軟らかいのはさすがだと思う…。
過日『パチンコ雑誌』(攻略本?)の記事も水木しげる先生らしくて和んでしまった。
つげ義春先生の生活を支え、池上遼一先生を発掘して漫画劇画界に大貢献している。
あの『アドルフヒトラー』でさえユーモアももって描かれている。
『ガロ』出身の内田春菊さん他諸氏にリスペクトされている…。
境港市では「ねずみ男」のブロンズ像と握手ができた。
前にも書いたけど「水木しげる先生」は実は「ねずみ男」そのものではないか?と前にも書いたことがある。
モデルは貸本漫画家「山田円太郎」氏だとのことだが、私には『ねずみ男』氏は実は水木しげる先生のことではないか?と思える。
桜井昌一さんのモデルと言われてる「山田氏」は水木しげる作品随一の登場回数をほこる真面目で社会的弱者?をイメージした哀愁あるキャラだが…、(見れば直ぐわかるメガネと出っ歯の水木しげる作品随一の象徴的キャラ。)
昭和40年代にアシスタントとして「水木プロ」に書いていた「つげ義春」先生が明らかに書いていたと思える『ゲゲゲの鬼太郎、つげ義春キャラ探し』も楽しめる。
水木しげる先生も我が家の父親も子供の頃は『戦争ごっこ』ばかりしていたそうだ(笑)
内田春菊先生曰く、「コピーして書いてみて、ものすごい画力だなぁ…、て尊敬しちゃいました!」と言ってたが、水木先生が子供の頃書いた童話の絵本にはやはりものすごい画力がある。その上で成り立ってる水木先生のオリジナリテイ!
最近も荒俣宏さんとどこかへ旅行して「九死に一生」を得たらしい!(平成15年)
そんな「水木しげるロード」でストリートをやりたいなぁ~と思ったが両親と一緒で時間的に無理があり断念した..。
ここでストリートする時は、大谷ひろゆき氏の「ムーンライトアポロララバイ」「エンマ大王」をやりたいと歩きながら考えていた..。
(大谷氏のこの曲はまさに水木ワールドだと初対面で思ったものだった。)
でも..東京の調布市の柴崎や深大寺周辺や、ライブで上京した折など期待してしまう『水木しげる先生に何とか出会わないものか?』…と。
水木しげる先生、いつまでもお元気で!現在八十五歳とのことですが、百歳を越えてください。
追記。
境港市の『水木しげる記念館』の先生の年表で、『総員玉砕せよ』は何時描かれたものか?探したが書かれてなかった。何故だろう?
「水木しげるロード」では喉から手が出るほど『鬼太郎Tシャツ』『ねずみ男Tシャツ』が欲しがったけど、なんだかファンとしてやってはいけないことのような気がして買わなかった。
実写版『ゲゲゲの鬼太郎』田中麗奈ちゃんの猫娘は見てみたいなぁ。
投稿者: senda