2022年5月31日火曜日

「幼なじみの思い出は…。金沢市「G.z」にて。」2006/2/4 

金沢市「G.z」にて池田洋一郎氏とコラボレーション。だが今回は私のボーカルはない。前日急遽練習を申し出て午前12時半位まで練習していたが、アレンジの予定変更や、「ニールヤング特集」とのたまう洋一郎氏の今回のライブの主旨に少々「?」とも思うが…。私の作品の発表の場ではなくなっている寂しさはしかし、今回は一夜漬けにも等しい上に、なかなか細かい演奏指定に今回は大変、ライブは「春」から始まったが今回はアレンジをリズムと洋一郎氏のギターのシングルノートバッキングをディレイをかけてやるやり方は、昔、泉谷しげるさんの「春夏秋冬」を思わせる、あの当時あのアレンジは画期的だと思ったが否定的だった記憶がある。「ローナー」「ロッタラブ」「シナモンガール」と続き、ハモンドオルガンスチールやチェロトーン、フェンダーローズ風などバッキングを駆使する。そして洋一郎氏のオリジナル2曲は洋一郎氏の自信作、私はカントリーファンクなバッキングが可能性をかんじた。「国道8号線」は普段よく弾くこともあり、これはゆとりを持って弾ける。最後のツインリードもうれしいノリ、アンコールは「ライクアハリケーン」これもハモンドオルガントーン、どの曲も評判は上々、いつものことだがペダルスチールへの質問。「ペダルはコードになってんの?」この楽器への質問はずっと続いていくだろう。そして店のカウンターでTバードの越中氏とヘッケル氏のハウスバンドを聞いていると…「千田くんじゃない?」と横に座っている彼女が言う。「エッ?」彼女「やっぱり千田くんだ、昔のまんまの面影があるわ。」私はなかなか思い出せなかったが彼女の顔を見るうち…。「!」彼女は幼い頃からのご近所、宮口しげみさんだった。約三十数年振り近所の児童公園で小学校で私の自宅で遊んだ仲だった。同級生の消息を知る。私は中学校を終えると同時に音楽を始めたため、彼女や同級生達には私が音楽をやっていたという印象はないらしい。彼女は越中氏から「ものすごいヤツがいる」と聞いていて。(越中さんありがとうございます!)それが私と一致しなくても無理はない。店長氏に頼み。最後に一曲演奏、「週末には」で、例によって「幼なじみの思い出は…」と思いの丈を歌った。暖かい拍手に包まれ、幼い日々の思い出は…。なんて懐かしく、そしてしみじみとした思いを抱きながら雪の激しく降る家路を急いだ。

「本日ストリート。」2006/1/30

本日は全国的に晴れ、午後ストリートに出かける。めずらしく若い女の子が聞いてくれている。しかしこんな時に限ってボリュームペダルがガリノイズで使えず、しかし彼女は大変長く聞いてくれている。若い女の子が止まってくれるってことは引き続きリスナーを立ち止まらせてくれる、次に4人組みの男の子達、彼らも非常に長く聞いてもらった。彼女もピアノを弾き、今はギターとのこと!男の子達も「OVERCROSS」というハードロックバンドをやっていて、本来ならば本日ライブ予定がメンバーのアクシデントでライブをキャンセルとのこと、残念だ…。さらに本日は人止まりが次から次、元の勤め先の迷惑オヤジまで聞いてくれている。また若い女の子達、奥さんなど、入れ替わり立ち替わり、バンドマンほか熱い拍手にありがたい気持ちになる、彼らは1時間ほど聞いてくれた。彼等は高岡市の人たちだとのこと、「定期的にやってるんですか?」の問いに、「いやあ不定期だよ」…と答えるしかない自分がいる。定期的にするべきだろうか?「長く聞いてくれて悪いねぇ…」に彼らは「いやあ、止まらざるをえない音だったからですよ。」…と言っていただき嬉しい。三味線少女の市川さんや、私と同い年の奥さんが「千田さん、この頃来ないのはどうしたんだろうね?」…といわれていたとのこと、しかしながらこの奥さん、ファンクなスチールを演奏したのに、「ハワイアンっていいねー。」にずっこけそうになってしまった。「全くもう中年主婦は…」って思いながらストリートを終えた。今日は嬉しい感じ。

「一秒の世界」2006/1/29 

地球上で「一秒」にどれだけ環境破壊が進行しているか!というバラエティ番組を見る。なんて恐ろしい!例えば一秒間に東京ドーム数十個分の森林が消えているとか、「一秒間に」と言われたら恐ろしい!アメリカが京都議定書にサインして無いとか、地球温暖化とか、ニュースで報道されていることになれてひさしいが…。衛星写真で南極の氷が大量に溶けている事実に慄然として、もはや、南太平洋の小国など水没の危機にあるという、そのいずれも経済発展ゆえのこと、堀江貴文氏の言葉とリンクするように国家間での二酸化炭素の排出量の売買というそれすらもカネ!という、なんか「ザル法」なような…、水没しそうな南太平洋の小国や、砂漠化で居住地を追われた民など気の毒だが…。島が水没とか、砂漠化とかで居住民はこれもカネで保証とかっていうことに最終的にはなるのか…。ニューオリンズの災害も海面上昇と無縁ではないらしい。最近では電力会社が「地中300m下に使用済み核燃料を埋設処理する」などとテレビCMで堂々と言ってる。この地球温暖化のアピールもまさか原子力エネルギーの推進の為の喧伝では…?という見方もできないでもないが、根本的に地球の環境破壊問題はもう避けては通れない。ミュージシャンはこうした社会問題を、上手くアピールしてほしい。私も含めて。

「ライブ予定。」2006/1/27 

「ライブ予定。」  

Live Circuit06協賛

2月3日(金)


池田洋一郎(めんたんぴん)&千田佳生

PM 8:00 オープン

PM 9:00 スタート

前売り 2000円

当日 2500円

(ワンドリンク)


「G.z」(ジーズ)金沢市片町2-25-19 ロゼビル2F tel 090-2031-7075

http://sound.jp/g-z/


2月5日


千田佳生ライブ(単独)


南砺市(井波)北川730

いなみ木彫りの里「創遊館」

午後2時~4時の間で40分くらい。


tel 0763-82-5757

「テレキャスター。」2006/1/27 

池田洋一郎氏宅で練習。「お!」いつものセミアコースティック335ではない、昨年加賀市の楠沢邸で「酔った勢いで借り受けた!」Fenderテレキャスター73年製、持って見れば「軽い!」ビックリ。テレキャスターなら結構重いイメージがあったが…これは軽い!音はテレキャスターの音らしく、試しに「ペダルスチールリックス」をやってみる。これは大変に良いギターだ!(アタリものだ。)そして懐かしい気持ちになる、洋一郎氏とあわせてみるとサイドギターとペダルスチールではなんと相性が良いことか!意外とテレキャスターを弾くギタリストと二人であわせたことは少なかった!洋一郎氏の腕前もさることながら、今まで使っていた335とはマッチングの違いは歴然だ!テレキャスターはまるでアコースティックギターのように感じる(…くらい良い音。)ギターのウエザリングから楠沢氏が弾きこんで「鳴る!」ように永く育てたはず、やはりギターは「弾きこんで育てるもの。」思わずそう思った、私もテレキャスターがいまだ、「欲しい。」という感情がいまでもあるようだ。(ベンダー付きのものを…。)ギターは現在全く弾いて無いんだけど

…。

「NHK「ふるさと一番」」2006/1/24 

教えてください。


NHKのお昼の番組「ふるさと一番」のオープニングテーマを演奏している「DEPAPEPE」と一緒に演奏しているペダルスチールの方はどなたでしょうか。とってもいいかんじですよね。どなたでしょうか?ご存じの方教えてください。

「ありがとう、アーレンロス!」2006/1/23 

なぜペダルスチールを弾いてるのか?実はペダルスチールを始める前にEギターで「ペダルスチールリックス」なるものに夢中になっていた、(私には人が興味を示さない事に夢中になるような傾向があるらしい。〇〇執着傾向と言うらしい。)きっかけは1977年の友人から貰ったプレイヤーマガジンの記事で平山雄一氏による「アメリカンギター」のストリングベンダーの効果を指でやってしまう ペダルスチールリックス なる興味をひく記事があって、そこでバーズのクラレンスホワイトを知り、アーレンロスを知った。この奏法は弦をベンドする以外の指は決して動かさず、しかも力がいり、微妙なテクニックを要する疲れる弾き方だった。アーレンロスのファーストアルバムを友人から借りてよく聞き、影響を受けた。「ルースター」という曲や「ファーザーアロング」を弾けるように頑張っていた。女性シンガーのマリアッチ風な曲が好きで何度となく聞き返したことがあった。こんなにすごいギタリストが何故、エリッククラプトンみたいになれないのか?なんて思ったかもしれない。マニアックの森に迷いこんでることに全く気づいてないのだった…。そして、ペダルスチールと出会い、ある程度弾けるようになり、前述の「何故?」の意味を考えた時、自分の音楽のシチュエーションを、方向性を、そして自分なりのやる「音楽とは?」っていうことを教えて貰ったプレイヤーの一人だった。ありがとう、アーレンロス!


ペダルスチールの音が好きだけど、楽器までは…って人にはペダルスチールリックスを今でも勧めている。

「ファンクスチール。」2006/1/23

今のところ頻繁に演奏している曲に「週末には」という16ビートのオリジナル曲がある。特にストリートではこの曲にかなり頼っている。ストリートでは弾き始める時に、ファンクな16ビートはやはり反応が良い。逆にカントリーの2ビートやジャズスタンダードの4ビートは今の世の中、とっつきの点で「状況判断必要!」…といったところ、でも歌いたかったら気にせず歌いますが、「無難」若い子達の反応が良い!といった点でやはり16ビートや8ビートということになる。他、頻繁に演奏する16ビートの曲に「チキン」「IKOIKO」「ルカパイパイ」などがあるが、目下、ファンクスチールなオリジナルをもっと作ることを模索中です。なかなか書くことが出来ませんが…。エフェクターは2種類のコーラスを使っています、サムピックでのカッティングやピアノのバッキングパートをやりながらメロディを弾くことは今のところ良い感じだ。若い頃フュージョンブームだったけれど、いわゆる「オシャレ」…といった価値観やその頃の歌詞の世界観が好きになれなかったが、サウンドの方は今は受け入れられる。若い頃はかたくなだったんだなぁ…。いや!今でもかな

ぁ…。


「憧れのハモンドオルガン。」2006/1/22

今のところ頻繁に使っているエフェクターにライン6がある。通常、コーラス2種類、レスリースピーカーのスローとフアーストのプリセット4種類で使ってます。このハモンドオルガンの音は自分のライブと歌のバリエーションを広げてくれた優れもの!ペダルスチールでハモンドオルガンの先達はPOCOのラスティヤングやカーリーチャーカー氏がいるが、歌いながら、「クカー」とか、「コカ~」のこの音色がたまんなくて、歌っても気持ちいいし、ブルースやスタンダードやボサノバ、他、ライブに対してのバリエーションに本当ありがたい味方!ハモンドオルガンが好きになったのは、吉田拓郎さんの「どうしてこんなに悲しいんだろう」の駒沢祐城さんのペダルスチールとハモンドの絡みがすばらしくて高一の私は歌と共に初めてスチールとハモンドオルガンの音色を認識した曲でした。(この頃はペダルスチールの存在を知らず、ギターだと思っていた。)その後グレッグオールマンを知り、アルクーパーが大好きになり、「スーパーセッション」など本当、よく聞いたものでした、ハモンドは本当歌いやすい。使い始めて3年くらい、でも昔はあの物凄く重いレスリースピーカーを持って移動してたんだなぁ~。今はいい時代ですね。

「ペダルスチールは何を表現すべき」2006/1/22 

ただ今、BSにて、「DEPAPEPE」なる若手のアコースティックインストールメンタルデュオを見る、アコースティックギターという楽器普及度の層の厚さを考えればうらやましい、彼らの音楽には「歌のついでに…」だとか、よりギターの「今の楽しさ」がある。我らペダルスチールプレイヤーは「何を?」彼らのように20代の青年期のことに今!昔に戻って考えた!私の20代、その頃は金に還元して考える大人が、音楽を一緒にやる仲間の主流だったが、「オリジナルや、表現とは!」と言葉にする音楽人はいなかった…。ライブのやり方も営業的で、私は、今ではライブと「営業」は別に考えているが、若い頃は営業的で当たり前!と思いかけていた。カントリーミュージシャンに、ちょっと今でも考えて欲しいところだと思う。折りにつけて言っているが、カントリーミュージシャンこそオリジナルをやるべき、カントリーミュージックは詞の内容を語る音楽だと思うからだ。「オリジナルが要らない」と言うミュージシャンは多い、冒頭の「DEPAPEPE」はハツラツとしている、体中からギターを弾く喜びを発散させている。彼らのオリジナルにそれが出ている、「表現する喜び」を持ったミュージシャンを見るのはいいものだ、「オリジナルじゃなくても表現は出来る!」と言われるプレイヤーやシンガー諸氏も多いと思う。しかし、ミュージシャンの純情において、その音楽人の「赤心」が見たい聞きたい気分の今日この頃だ、この続編はまたいつかまた書きます。

「バーの話。」2006/1/20 

バーというのはこのブログを御覧になっている方なら、飲み屋の類いではないとすぐわかると思います。(笑) ペダルスチールをやり始めて昨年初めてバーを代えました。長さはいままでのものよりも長く太く重いバーに変えて、いわゆる12弦用のバーに代えてから効果は絶大で、(全ての弦をセーハできる)バッキングとソロを同時にやるスタイルでは特にありがたい優れものです。ステージでは去年ウケ狙いで中身入りの酒、ビールビンで弾いていたパフォーマンスで(酔っ払いばかりの席ではこんなこともやったものだ)「フォーギーマウンテンブレイクダウン」を弾く時は木製のバーを使ってみたこともある。ステージに強引に目を向けさせるためとか策意的であり、全然音楽的に全部ではないにしろ関係ないことから、今は通常は使ってない、現在はゲンコツ(タオルかけなどに使用するパイプを通してつかう金属製の台座。)をファズで歪ませて、チェロやバイオリン系の音を出す時に使っています。クスリ指にボトルネックバーか指輪をはめるようにはめて演奏していますが、ギターシンセの音源を鳴らすよりは断然良い、何よりも楽しさを伴って演奏できることが気に入っています。ギミックと言われるかもしれないが…。(笑)(この奏法に凝りまくってブルーグラスをやり、ドブロのバーを作っていらっしゃる小篠氏に専用の指輪を作って頂いたことがあったがネパールにて紛失した。)いずれにせよ、演奏的には引き出しが多めにあってピッキング的にバーを扱ったり、いろいろ試したり、なんか楽しくてすきだなあ。(笑)

「デモンストレーション井波にて。」2006/1/19

雪も一段落して、雪の山がそこかしこにできてしまってる。スキー場の入り口付近に、井波木彫りの里「創遊館」に2月のイベントライブのためのデモンストレーションをやるため「創遊館」の酒井氏を訪ねた。収容人数は90人、生声、クレートアンプにてデモンストレーション演奏、ひょっとしたら生声ノーPAでもOKかと思うほど、マネージャー酒井氏も好感触、ライブはイベントの一角だが、マネージャーに理解があるのは嬉しい。終わって、井波瑞泉寺の門前町の参道に、意外にもギャラリー喫茶店があり、入ってみた、木彫りの町らしく土地の作家さんが共同経営のギャラリー喫茶「瑞庵」は良さそうな女性の方がおられて、いろいろ話しかけてくれる。井波の町のこと、小矢部の町のこと、普段は瑞泉寺の休憩所としてお客さんはまあまあだとのこと。デモンストレーション演奏を申し出て聞いてもらう。彼女はイージーリスニングが好きだとのことで熱心に聞いてくれる。「創遊館でのライブはいつですか?」と言って頂き恐縮、「またお宅でパーティーでもあったらよろしく。」デモンストレーションはほとんどインストールメンタルで…、こんな時は唄うのが照れくさいときもある。

「練習の話。」2006/1/18

テレビでは、耐震偽装、ライブドア、…といろいろ事件だらけ、練習するが、好きなことしかしてない。テクニカル的には〇〇○○○なことを練習しないと発展しないとわかっているのだが、やる気が湧かないのは困ったこと。手がとまる、根気良くやるべきことから逃げている、作曲などその最たるもの。のらないなぁ…。気がついたら「国道8号線」ばっかり弾いている。バッキングとE9thのスピードピッキングが同時にできるようになったことがいまだ、嬉しくてしかたないらしい……、ついつい……、カントリーロック系の曲ばっかり弾いている(歌ナシ)、「これこそ男達の人生」や「ジェシカ」、私の特徴いや、性格の癖は、気に入ったことにしつこく繰り返してしまうところがある、意識していないときはなおさら、しかし根気良くやるべきことに録音など…いや、そのさきになにを発表するかリストアップして、私の場合新曲も沢山作らなければならないから、好きなことばっかり弾いていることは、根気良くやるべきことから逃げているのはわかっているのだが…。…………。のらないなぁ。みなさんはこんなときはどうしてるんでしょう?

「ピッキングについて。」2006/1/17 

撥弦楽器のギターにはたくさんの撥弦スタイルが存在する。ペダルスチールにも、フィンガースタイルというか、かつて「!」とさせられたことがあった、かなり昔のことですが、アメリカのペダルスチールブランド、「ショーバッド」を退職されて、帰国後間もない神谷氏とお話しする機会に恵まれたことがあった、当時私はペダルスチールを始めてまだ日が浅かったが、元「ショーバッド」の神谷氏のピッキングに衝撃を覚えた記憶がある、弦に対してピッキングがものすごく強く、ブリッジよりのピッキング位置、やってみたがその時のピッキングするタイミングが「アア、これがナッシュビルのスチールピッキングか!」と恐ろしく新鮮だったものだった…。同時にサムピックでのピッキングストップのテクニックや、「親指、人差し指、中指でどの指が一番力が弱いと思う?」私は質問の「意味がわからず何と言ったかは覚えていない。そのあと親指と中指で弾くピッキングに驚嘆して、その立ち上がりの鋭い乾ききった「パキーン」と鳴るエモンズのダブルネックのスチールの音にしびれてしまったのだった。バデイエモンズがピッキングしたら、「ピッキングの強さで金属製のフィンガーピックがグニャリと曲がってしまっていた」…という話を「まさか!」とあの頃は思っていたものだったが、あの日の神谷氏のピッキングはそのことの力強い説得力があった。藤井三雄氏は「スチールはギターより、強く速く弾け!」「速さ」については理解できたが。「強さ」については理解できなかった。その後の私がナッシュビルのピッキングスタイルを身に着けたかというと…、全然違ってしまったものになってしまったようである、けれど…、あの日見たピッキングには今でも憧れがある、そう、あれはまぎれもなく、アメリカの音だった。

「新年「オールドタイム」」2006/1/16

新年最初の「オールドタイム」の定例ライブ、お客様は、ロッカビリーキッド山口氏、フオーク少女の松林ねえさん、津軽三味線と中国笛の門島氏、ウエストコースト大好き税理士村西さん、で始まった。ライブ始まる前に私のブログの評判をママさんから聞かされる「ボヤキのブログ」だそうな、意外とこのブログが読まれているらしいのはわかった。どなたかの書き込み待ってますよ、元々は私単独のライブだが、皆さんの音楽の情熱に私も座席の隣りを少し開ける、しかしお客さんがいるライブである、まずは「良い音楽」、だがカラオケノリだけはご勘弁願いたい。それぞれが歌い、弾き、オールドタイムでの新年がまた始まった。

「明日の定例ライブ」2006/1/12 

1月13日

富山市 大田口通り(大和裏)ひさごビル2階

ペダルスチールライブ

pm9・00より

電話 0764(91)1715 オーダー

出演 千田佳生、他

「シンセサイザー?」2006/1/11

「シンセサイザーだな、こりゃあ。」っていう言われ方をされたことがあった。…、「!」どう反応していいかわからないコメントである。私は確かに特殊奏法を沢山使うスタイルだし、しかし、「シンセサイザー」と言われたら少し考えてしまった。私は純粋に「この曲についてはこんな色、イメージ。この曲については…」なんて繰り返しているうちにいろんな「奏法」が出来ていた経緯がある。シンセサイザーは「様ざまな音色が自在に出せる楽器」というイメージがある。ペダルスチールにも「音源を鳴らす。」ギターシンセサイザータイプのものを一度だけ試奏したことがある。個人的には「音源を鳴らす」っていう概念があまり好きではないが「こんな音楽を作りたい!」と明確な何かがあれば使うかもしれないが…。しかし今のところ気楽で身軽なストリートやソロパフォーマンスの都合上もありますが…。過日、楽器店でギターシンセサイザーを試奏してみた、昔からの機種に比べて驚くべき性能的な進歩だが、それにもかかわらず何故か世間では有名なギターシンセサイザープレイヤーの名を私は知らない。何故?…。「どんな音色も出せる」は実は「両刃の刃」なのかもしれない、「音源を鳴らす」でも何でも「良い音楽」なら感動するだろう、しかし今のところそんなプレイヤーには出くわさない。かつてスチールビルダーでプレイヤーの藤井三雄さんが、「ピアノの音が一番使えるかなぁ」と感想を言われていたのが、数年後聞いたら「今はあれは使ってないよ。」…と感想を言われたことがあった。私も感性は柔軟でありたいが「何でもできる」よりも「これを聞いて欲しいんだ!」を音楽活動の基本的なスタンスにしていくことで解決してきたと今はなんとなく思っています。(…っていうか自作自演の今のスタイルになってからですが)「シンセサイザー」今は鍵盤だけで無くギターを始め色々あることでしょうね。大切なのは「あぁ 良いなー。」って思うこと、ソロパフォーマンスのスタイルになってから、ひとつひとつの曲が「作品」っていう感じにスゴく意識的に強くなったかな?もちろんソロだけが全てじゃないけど。昔、原田実さんのペダルスチールで擬音や効果に感動したことがあるけど(ビデオで見た。元ワゴンマスターズのスチール奏者)「シンセサイザーだなぁこりゃあ。」って言った人もきっと、擬音や効果を出した原田実さんのプレイを見た私と同じような感想だったんじゃあないかなぁ。

「月明かりで雪下ろし」2006/1/10

昨夜は晴れた。雪下ろしの続きをやるため屋根の上へ、すると……、蒼い月明かりで、あたりは雪が乱反射して恐ろしく明るい。ウインターワンダーランド…って言うよりも、なんか………「日本むかしばなし」、いや、これもちがうか……、蒼い月明かりはまるで夢に出てくるような光景、静かだ……、たまに、何の音かはす向かいの家から何か分からない音が聞こえる…。家々の屋根がつらなる屋根の寝雪は見慣れているはずだが…、これだけ明るい夜、オリオンをはじめ、放射冷却現象でピキーンと普段より冷えきった空気で新雪もすぐに固まりそうな感じだ…、夜だがまさに昼間のようだ…、寒いせいもあるけど雪下ろしをしながら、他の天体…火星、土星の衛星「タイタン」、海王星の衛星「トリトン」……など、いずれも大気があり、「トリトン」以外は探査機が着陸している。作業しながら…「どれくらいの寒さか?」特に、昨年、土星の衛星「タイタン」の軟着陸の写真はまるで賽の河原のように恐ろしい寒さと、静かさを示していた。こんなニュースには目がない私は探査機情報をネットで探しまわっていたっけ、海王星の「トリトン」に至ってはマイナス200度らしいが…、いずれもわずかながら大気があるらしい。ともあれ、また汗だくで終える。若林純夫さんの「月光写真師」はまさにこんな蒼い月明かりの静かな夜ではないだろうかと思って冷え込んだ空気を感じていた…。

「ボリュームペダル」2006/1/9

ボリュームペダルは両刃の刃である、最近はあえてボリュームペダルを使わないパターンを肝に銘じている、と言っても差し支えない、まずは基本的にボリュームペダルは「踏み幅を少なく!」はペダルスチールに関わっている人なら誰しも認めるところだろう、ペダルスチールを弾き始めてあまり間が無い人ならば、音の伸びが嬉しくて、ついつい踏み過ぎてしまう傾向にある光景を見たことも、あるいは経験もあることと思います。私は未だに、やってしまう、ついつい…。後で聞いて見れば最悪の演奏!ボリュームペダルはまるで口当たりの良い日本酒のようだ…。(いや、別に焼酎でもいいけどさ、)表情が嬉しくてついつい…杯を重ねるように踏み過ぎてしまう…。「もうそれくらいにしておけば?!」と傍らのギタリスト氏が醒めた眼差しをこちらに送ったとしても…だ。だが!はじめの感動以上には、なかなか感動は蘇らない!…っていったら大げさだけど、特殊奏法は別として、、通常の使い方ではそれくらいの気持ちで、(E9thスロー、は特に!)されど、ボリュームペダルは使い方次第、私が欲しいのは自由自在に可変抵抗器のカーブ曲線が設定できるものがあれば良いが…今のところ、アレン-ブラッドレイの可変抵抗器を搭載した、シヨーバッドのペダルにかなう機種は無いんだけどね。特殊奏法もボリュームペダルだけではなく、タッチと併用して、そのタッチもナッシュビルライクな、…って言うよりここではバディエマンズのようなフィンガーピックが強いピッキングで「ぐにゃっ」と曲がっていたほどのピッキングもあれば、様々な奏法じゃない、音楽から来る独特のピッキングはあるだろうな、さて、わたしはソロパフォーマンスが多いが、基本的にあまり使わないように心がけているつもりなんだけど、でも…。(笑)

「大豪雪」2006/1/8 

北陸に住んでいる宿命、しかし久しぶりに屋根雪下ろしに取りかかる。スコップを持ち屋根へ、1・2メートルくらいの積雪、恐ろしいのはこれに雨が降ってザラメ雪になって重量が倍増することで家が倒壊することだ、マイペースでやっても大汗、寒いどころか暑い暑い!量が多くてうんざりするが仕方なしに、中庭はあっという間にものすごい量の雪、まだ1月初め…中庭に雪を下ろせなくなったら?(これは大変だ)しかしそうならないとも限らない、この大豪雪は昭和56年以来の大豪雪だ、次の雪下ろしで中庭は光が届かなくなる、天気はずーっと雪マーク、しばらくつらいなぁ、風呂からでたら極端にダルい、今日はおしまい、作業はまた明日。

「高田漣&井上陽水」2006/1/6 

また偶然だが、高田漣氏のプレイが見られた、しかも井上陽水氏との共演となればこれは興味をそそる。今回は5人の楽器の各プレイヤーとトークを交えて井上陽水氏とセッションし各プレイヤーのソロもあるという嬉しい企画番組、高田漣氏以外のプレイヤーは 押尾コータロー氏、山下洋輔氏、後すいません名前覚えられませんでしたがウクレレ奏者の方とサックス奏者の方。(ここでは高田漣氏だけに言及させて頂きます。)何より井上陽水氏がプレイヤーとのコラボレーションという形態が嬉しい企画、最初は高田漣氏のソロはペダルスチールの弾き語りで英語の歌詞、(打ち込み?の伴奏付き)マッタリとしたテイストの曲で私とはまた違った感性の歌とスチールに、アア聴けて良かったぁ!と思った、十人十色のペダルスチールが頻繁に聴けるようにならなきゃあ!いやあ本当にイメージが限定されるほどがっかりさせられることはない。高田漣氏の弾き語りは秀逸でした、自分の色、で楽しませてもらいました、マニュアルっぽく無く、自分の世界観を作るスタイルがやはり好きだ。井上陽水さんとのセッションは「クレイジーラブ」が変更になり、えーと何だっけ?セッションは「やりにくそうですね。」と井上陽水さんとのやりとりに私は微笑ましい思いを感じたが、(いやあ、わかるわかる。)セッション中、「私なら…。」…と自然に自分なりのセッションのシュミレーションをやってしまっていた、でも、面白かった、「夢の中へ」はやはり名曲、高田漣氏がなんと、「せっかくの機会だから…」と井上陽水さんにペダルスチールを弾いてもらう光景はちょっと不思議な光景だったかも、しかも井上陽水さん、なかなかいい感じで弾くではないか、テロップにペダルやニーレバーの説明が出てきてニンマリしてしまう、彼のExel1200は8ペダル5ニーレバー1バーチカルレバーでうらやましい。私も増やしたい、ニューモデルが欲しいなあ…!しかし彼の今は亡きお父さんの高田渡さんのことを思いだした、「武蔵野はらっぱまつり」でステージのセッションの後、高田渡さんから泡盛を沢山おごってもらっていろんな話をさせて頂いた、前にも書いたが…、「お父さんより息子さんに会いたい。」と言ったら首を締められたが嬉しそうにしておられた、「ライブでは俺の名前をだすな!って言ってんだ。」には父親なりの愛を感じたものだ、「そのうち会うよ、といわれたが未だ会えてない、その高田漣氏、井上陽水さんとのやりとりで渡さんが「タバコ買いに言ってくる…。」と言って出てったきり3週間戻って来なかった。 っていう話には大笑いしてしまったけども、これは自分の家族に当てはめたら笑えないかなぁ…。笑ってしまったけど。しかし、ペダルスチールに〇ェンダーペダルスチールと書いてあったのを見逃さなかった。私もむかし〇AMAHAと洒落で書いたことがあったなぁ…。

「軍産複合体。」2006/1/6 

 昨年NHKで放映した、ルポルタージュ「軍産複合体」について、本当の悪い病巣の一つを見た気がした、アメリカという国は自国の罪の告発さえも許されている…。と思いきや、こんな公共放映のルポルタージュさえも微々たるものであるほど、もうこの流れは止められないってことだろう、番組は第2次大戦後アイゼンハワー大統領が軍需産業複合体に対して、アメリカの将来像を危ぶむことがキーになっていた。軍需産業複合体とは、いわゆる「死の商人」最新鋭の兵器弾薬からマニュアルや設備、死体の洗浄のちの本国への送致ほか一切の業務をアメリカ政府より受ける民間の企業システムには、アメリカは何から何まで商業的な物差しで計るという国だと改めて再認識した、しかし、その物差しが、ベトナム戦争以降は自国の存亡のため戦争するのでは無く、軍産複合体の影が深く根を張った、とても「自由を守るための戦争」とは言えない事実で満ちていた。現在の副大統領と軍産複合体との癒着、議員のほとんどが軍産複合体の影響票のもと当選者となった事実、ここまであからさまに報道されても、もはやアメリカ人の自浄能力は無いに等しいのだろうか、現在のブッシュ大統領が就任して戦争、再選されてまた戦争、アメリカ人の田舎町の年寄りにあきれ果てたものだが、自国を他の国の軍靴で踏まれた経験の無い奴らには分からないのか…。南米ボリビアは左派政権が樹立してアメリカを「悪の枢軸」と言っているという、戦争は起こさないで欲しい。金のため、軍産複合体の在庫の弾薬の消費するため、イラクの少女は両手を失ったのか…。その爆撃を行った若い飛行兵が「名誉ある任務」と目を輝かせていた。「自由を守る戦い」を遂行した若い飛行兵は両手を失った少女の映像を見ただろうか…。「自由を守る戦い」が実は政界と癒着した軍産複合体の企業の業績の都合上、在庫する弾薬の消費のため、戦争を始めたとしたら何ともド外道極まりないどころではない!たまに戦争がなければ企業を維持できないならばとんでもない話、ピンポイント爆撃も爆撃精度はそれほどのものでもないらしいが、爆撃の後はカネとモノを降らすことはいつものやり方だ、軍産複合体。どこかで誰かが、いや、アメリカ政府の傲慢もさることながら、軍産複合体の膨張は世界さえ危うくするのだろう、今までは世界のどこかの局地的戦争で企業を維持してきた、軍産複合体も、現在ブッシュ大統領と副大統領になってから、露骨な真似をやりだしたらしい。こんな連中に協力した日本もまたアメリカの傘の陰に居ないとたちまち………。なのか。この「死の商人」のことを何とか作品にできないか……。私にもしもできることは自分なりに作品として告発することだが…。うーん。

「1965年の大晦日~お正月」2006/1/6

昭和40年、大晦日、その当時衝撃的だった「源義経」の総集編を見てから、銭湯、国道8号線を渡って「桜湯」へ、おかぁちゃんに連れられて、実は、緒方拳さん扮する武蔵坊弁慶の立ち往生が衝撃的で、物凄く興奮して過敏になったことを覚えている…。実は……、「源義経」の効果音があまりに恐ろしいと幼心に思ったものだ、銭湯では「カッコーン、カッコーン…。」とそれでいて、昼間の自分が昼間聞いたこと、自分がしゃべったことが風呂屋の残響を伴って蘇った、自我に目覚めた頃、残響を伴って蘇った昼間の記憶は鮮烈で幻想的だった……。家に帰って…、「紅白」を見た、最後の採点は紅白のボールを投げるパフォーマンス、(実際、その前の記憶もあるかも、お正月の記憶力は大変良く覚えている…。)父親も母親も、祖父母も遅くまで起きていたのかは分からない、その当時何故か一年中で一番夜遅くまで起きていたから、記憶が鮮烈だったのかもしれない。それと「源義経」だろう、「恐ろしい」と思った元凶の音楽を作った作曲家はたの武満徹さんだとわかった、大河ドラマの音楽は私の音楽意識を高いところへさりげなく持って行ってくれたのかもしれない、その当時まだ電気コタツは家にまだ無く囲炉裏の上に構える矢倉コタツだった。「少年」を読みながらいつしか眠り、翌朝ー、何時も早起きのおとぅちゃんがかなり長く寝ていて、私は揺り動かして起こしたのだった、そうして「干鰯」を焼く匂いが漂い、妹はおじいちゃんとおばあちゃんとコタツにいる…、なんて懐かしい家族の風景、その頃の正月のお休みは元日だけだった。初詣は倶利伽羅不動尊、ひどい雪ではなかったか…、子供のときの時間はゆっくりと流れていた、子供の時間の一番古い?お正月の記憶は本当に夢見るくらい今は鮮烈に記憶の底にある幸せの時間の記憶だ。

「元日は…。」2006/1/2

やはり、ストリート演奏から始めたい。ほとんどの人が通り過ぎるけれど、これでいいのだ!自分のためにやっているのだ、昨日大晦日の単独ライブが消化不良だったこともあり、なにがなんでもやろう!と思った。いつもの曲を淡々と…。思わぬ時にリスナーが前にいる「デキシー」を弾いている時だった。彼女は「ダニーボーイ」を弾いている時にいろいろ説明し、帰っていかれた、今年もこんなふうに…。音楽とともに歩んでいけますように。

「謹賀新年。」2006/1/2 

「大晦日はやはり…。」2006/1/1  

ライブだ!昨年大晦日は近鉄奈良駅前でライブだった…。今年は四国は高知県の大和君から出演依頼があり、「ファミリア」へ、セッションしたり、いろいろ翌日の午前3時まで演奏した。大和君ありがとう。最後まで演奏、音楽で締めくくった一年間だった。ありがたいことである。ブログに書いているがテクニカル的には過去例を見ないほど進歩した事実がある。どこまでで「もういいや!」と、ターニングポイントがあるのか…。はわからないが…。新年とは!人類が暦を発見していったいどれくらいたつのか?不思議だよなぁ…。農業に関係あることは想像にかたくないが…。夏至、冬至、太陽の南中高度と月の満ち欠けでわかってしまうのだから…。暦を発明するまで人類は何千年、そして、何億回の試行錯誤を繰り返したか?例えば、特定の花が咲くとか、種を撒く時期、そのうち農業技術の進歩とともに発達したことだろうが、しかし、人類の進歩は機械やシステム、それに対しての人間の体は進歩するはずもなく、人間が、いや人類がゆくゆくは太陽が肥大化して超新星となり太陽にのみこまれてしまうその日まで、金や名誉でなく人類の幸せが思想的に変化し、誰しもが生き生きとした世の中になりますように、今年こそ、昨日はこのブログの一周年、続いたものただ。愛読者の皆様、これからもよろしくお願いします。

「怒りまくり!!!」2005/12/31  

何気なく見た年末番組で「年金問題」の官僚の天下り、バカ高い給与。(信じられないほどの金額!)資金運用で、愚にもつかない公共施設を作り、年金をつぎ込んだ挙げ句、二束三文で民間に売却した事実たるや、まるで人ごとのような現役国会議員の態度にむかつく。(K.S 元大蔵省官僚)やはり同一の政党が長期政権を行ったことに対する腐敗はやはり一掃されなければならない、安月給の庶民が工面して収めた掛け金が、官僚と、又は、国会議員と癒着した地元業者に事業を出すこととかの図式は創造にかたくない。「天下りの禁止」は法制化が必定だ!こんなことをしなければ、日本の経済が円滑化しないと言うなら、日本は何とも情けない国だということである。厚生省の「国民年金」の資金運用についての責任者はウマくすり抜けた上、また退職金までかすめとり一切責任を取ろうともしない、番組のコメンティター大竹まことさん以下激怒していたが当たり前だ!不正、または不正に近い行状を働いた官僚や国会議員の財産は剥奪されねばならない!2・26事件のようなクーデーターや、文化大革命のような事態はこの個人の財産が保証された日本では期待すら持てないが、しかし、これは低次元の言い方をすれば、詐欺である。官僚のズルやデタラメな給与形態が無ければ、支給額や支給年齢も下げられるはずである。我々にはわからないように煙にまいてこれだけの詐欺まがいの行為は許せない、K・Sへ、な~にが法治国家だ!ふざけんな、いくら退職しているからといって、不正は不正だ!退職した元官僚の財産を調査し、返納させよ!でなきゃあ、革命だ!(いや、たぶん無理か!)こんな官僚のテロ行為なら容認したいくらいだ、日本では貧乏でも餓死者はいない、出ない、この国を動かしている連中は日本は個人主義で分断されていることを良く知っているようだ、だいたい革新系の野党がだらしない、悔しいなら拉致被害者の消息を確かめて奪還してこい!自民党以外からヒーローを、!そして、日本の国に巣くう日本の国の寄生虫に「虫下し」を処方するせーじ家が出てこなければ、しかし、日本はなんてスケールの小さいプライドのない国にったんだ!

「今年のことを…。」2005/12/29

ペダルスチールのテクニカルな面においては、過去に例を見ない程に発展があった、特に、と言うより全てソロスタイルのテクニカルな面で、中でも、インツゥ(2ビート)の速い曲においてはペダルスチールの特徴を残したまま、リズムを切りながらと同時にペダルスチールの特徴的なE9thのスピードピッキングとのびやかなスローなソロも可能にしたことだった、(サイドギターをやりながらリードギターをするという意味)表現、並びに歌やセッションには引き出しの多さが求められる、バンドは魅力的だが(バンドは今でも組みたいけれど)、心の自由、いや、「音楽表現の自由度」が大変大きくなったことの喜びを噛み締めていられることだ、誰に遠慮することもなく、一人でも、オリジナルの他、ファンク、ブルース、カントリーロック、サザンロック、民謡、など、ライブハウスじゃなくても、ストリート演奏で弾き歌える幸せは長い間かかってやっとここまできたなぁ、と言う感慨に少しだけ浸っている。私はまだまだ音楽少年、現在使用エフェクターはライン6(これはオルガン音色とコーラス、など、)ビッグマフ(チェロ、バイオリン、ケーナトーン)ソングライティングには本当に力強い味方だ、現在もテクニカルな練習はしているけれど、どこまでも難易度だけは果てしない。単独で弾き歌える幸せの他、いろんな人達とのセッションは、さながら旅をしているようだけれど、良い曲がもっと作れたら良いなあ。若い頃はフュージョンブームだった。最近はストリートでも16ビートのオリジナルに助けられている。ペダルスチールはカントリーとは切り離せないと考えている人がほとんどだが、私はあえて切り離して考え続ける道を取った、次のステップとは大げさだが、ずうっと同じだけども「これだ!」っていう音楽をつくりたいなぁ。今年の正月は旅も無し、(出たいけれど。)まぁ。今年を振り返ってみました。

「金沢市「Gs」にて」2005/12/28

本日は金沢市「Gs」にてライブの日、9月の「加佐の岬倶楽部」に続き、「センチメンタルシティロマンス」の中野督夫氏、「Tバード」の田島ヘッケル康文氏、佐々木 越中 克彦氏、「めんたんぴん」の池田洋一郎氏、前回の佐々木忠平氏と松田ゆかりちゃん以外は同じメンバー、今回もあの、高校時代のあこがれであったミュージシャン諸氏とのセッションに心踊る思いである、リハーサル終了後「Gs」オーナー氏から、「あぁ!君が噂の千田君かぁ!!」…といわれる、「なんか悪いウワサでも?」というとオーナー氏曰わく、「いやいや、ものすごい!っていうウワサだよ!変なウワサじゃあないからさ!」こんなところで評判になっているのは意外なことだが、率直に評価してくれるなら嬉しいことだ、なんだかんだと理由をつけて根拠のない批判をする頭でっかち連中に比べたら、聴いてみたいと思われる分ありがたいことだ。話はかわるが…、しかしなんということであろう、本番直前だというのに、(なんか…こんなことが意外に多い。何故?)エフェクターが故障してしまっていた。ロシア製のビッグマフだが、2年前に買い直したエフェクターだったが、またもや故障に辟易とする、ロシア製の製品の信頼性を全く信用できなくなる、顔面蒼白!(どうしよう!!!)よりによってこんな時に!!~、私の音楽の女神は相当コンジョが悪いらしい!ドヨ~ンとなったちょうどその時!佐々木゛越中゛ 克彦氏が「オーバードライブならあるよ!」と、エフェクターのオーバードライブを貸して頂いた、贅沢をいったらきりがないが、地獄で仏である、佐々木さんありがとうございます。ライブは「めんたんぴん」の池田洋一郎さんから開始、洋一郎さんは前回のライブで「めんたんぴんを卒業します。」と発言したこともあり、今回の私は2曲のみの予定だったが、例によって予定の「フォレスト」「ローナー」(ニールヤング)の後予定外の曲だが、途中「きこりの歌」を中に織り込み、さらに洋一郎氏とリズムとメロディを変幻自在に変化させる。スリリングなセッションになった、先ほどからのアクシデントでかなりハイテンションになったからか?しかしすこぶる反応が良く、大絶賛される。中にはペダルスチールを初めて聞く人も多いからなおさらだろう、洋一郎さんも思いのたけを歌って最初の新しい一歩を踏み出して反応が良かったのは何よりだった。「Tバード」のお二人はさすがにコーラスが素晴らしい。「トゥナイトインザレイン」「心だけ少年」のTバード時代の佳曲が聞けたのはラッキーだった。終了後佐々木氏より、エフェクターを返却してお礼を述べた際に、「今度一緒にやろう。」と言っていただき、恐縮した。そして督夫さんはソロの時から、素晴らしい演奏、途中から呼ばれ、督夫さん曰わく、「このユニット名は 督千 です。」(とくせん) といわれ、ちょっと恐縮した、さらに、「彼は、センチメンタルシティロマンスのレパートリーはほとんどすぐやれる人で…」と言うやいなや、「へのへのもへじのへそ曲が~り、」とやられ、思わず体が反応して弾いてしまっていた、場内爆笑!やれてしまう自分にビックリ?うーん…。で…。「スターダスト」でとってもいい感じ、引き続き霧島昇さんの歌曲、ナツメロなのだが、督夫さん進行の流麗なコードワークは、こちらも信じられないほど、良いスチールが弾ける。督夫さんは相手の良い箇所を引き出すことの上手い人だと思った、そして問題の「エアポート」は屈指の出来だった!この状況でこれだけの演奏ができたなら100%といっても差し支えない。そしてバンドバージョンになり、Tバードが参加して、「カモンベイブ~うちわもめ」「あの子の家の町明かり」「キャバレー」「穴あきポケット」では全員加わっていずれもが巧者だけにすごいグルーヴ!暖かい拍手がライブハウスに響きわたった、アンコール「ダンスウイズミー」を客席にて督夫さんとTバードのコーラスワークで聞けた時はウルウルくるものがあった、そして再びステージに戻って「国道8号線」を全員で最高だった!田島ヘッケルさんのドラムスも気持ち良い。本当にこれだけの良いテンションのライブは無い。今年のどん詰まりでNo.1ライブができるとは、洋一郎さんが「国道8号線」のGランを決めた瞬間は至福のひとときだった!打ち上げはこの楽しい語らいの中にいられる幸せをふと思い、センチとTバードと めんたんぴん のファン代表して?演奏できた幸いを帰りの運転の道すがらかみしめたのだった。

「中野督夫さんと…。」2005/12/28 

池田洋一郎さんより連絡があり金沢市内ライブハウス「Gs」にての中野督夫さんのライブに加わってほしいとの要請があり、快諾する。練習あり、加賀市でこのライブの主催者である楠沢邸にてリハーサルがあり、池田洋一郎さんもやってくる。楠沢氏、督夫さんと再会、楠沢氏の会社のスタッフも現れて、皆さんに暖かく迎えて頂いた、パーティーの準備をしておられる。練習しか頭になかった私にはうれしいことである、中野督夫さんと洋一郎さんとリハーサル、督夫さんと一緒にデュオは初めて、「できるはず、」…と思っていた「エアポート」は いとうたかお さんのレコードで好きな曲だったが、中野督夫さんの「エアポート」は凝りに凝ったコード進行とアレンジに、難易度の点で愕然となる、(ウワ~)、だ、け、ど、進行は押さえるけれど、スチールはリズムのみではない、ほかデュオでは「スターダスト」と霧島昇の曲、「もう帰るところが」バンドでは、「キャバレー」「あの子の家の町明かり」「カモンベイブ~うちわもめ」他一曲をを合わせた、督夫さん曰わく、「かなりマジメに練習した!」そうだが、アルコールがかなり入っているこのような状態でははたして記憶力はいかなるものか、まぁ私が(笑い) 皆さんで鍋を囲み、よもやまばなし、こりゃあ事実上の池田洋一郎さんとの忘年会でもある、(かも?)雪が降り、楠沢氏のセッティングに大感謝しつつ、私の酒量はものすごい、日頃の酒量の節制か、いやぁ、入ること入ること。どれだけ飲んだだろうか?9月の「加佐の岬倶楽部」のビデオを見たら、洋一郎さんとのデュオ「国道8号線」「ジンを一杯」は意外に良い演奏でほっとしてしまっていた。(めためたな演奏だと思っていたので…)宴は続き、私が、「督夫さんの蘇州夜曲が聞きたい。」と言ったことがきっかけでみんなでセッションが始まった、いろんな曲を弾いたはずだが、覚えていない(いったいどれだけ飲んだんだ!)ただ、気持ち良かったことだけ覚えている。センチメンタルシティロマンスでの中野督夫さんは本当にいい音楽を作っていたのだ。

2022年5月30日月曜日

「トホホ……。」2005/12/27 

自分の演奏しているビデオが捨てられて燃やされてしまっていた。しかも大量に!中には生前の高田渡さんと演奏している「はらっぱまつり」の映像とかもあった。トホホ……。燃やしたのは父親、自分で袋に入れといて忘れて捨てたらしい、しかも焼却したというから父親はこういった映像を記録しておくという感覚がなく、ビデオも袋に詰めるといった困ったことを平気でする、つくづく自分とは感覚感性の元から違うことを実感する、渡さんが亡くなられた今、貴重な記録をなくしてしまった、それにしても父親はセンスとか飾ることとかには本当に欠落してしまっているのはまいってしまう、全て実利本位、例えば、「あっ!これいいな!」…といった感覚を理解できない人だ、だから何をやらせても「やんちゃ」で私はやることなすこと食指のそそったことが無い!まったくもう…。

「初めて高田蓮氏の演奏をテレビで」2005/12/23

巷で今最もメジャーなペダルスチール奏者、高田蓮氏の演奏風景をテレビで見た、「ハナレグミ」の中のスチール奏者というシチュエーションのようだが、巷でチラホラ聞く名前、だが、聞くのは初めて、使用楽器はExcel1200のようだが、私と使用楽器は同じ、てぇことはなかなかの現実的なペダルスチール奏者だろう。つまりは重さ、機動性、カントリー感覚以外の他ジャンルへの対応力、何よりもまだまだスチール奏者の奏法の発展性を感じさせるスチールであること。などなど、彼がそこに目をつけたのか藤井さんが進めたのかはわからないが…、現在の若者らしい感覚のスチールである、他に彼が中心の活動はどんな活動をしているのだろう。興味深い、お父さんみたいなシンガーソングライターでもあるのだろうか。

「すごいなぁ…。」2005/12/23

「第74回日本音楽コンクール本選会」の作品部門別の作曲部門には本当に驚かされた、「武満徹」型の作品を若い作曲家の作った作品を(どの作品も譜面づらだけみると、ものスゴく難解複雑怪奇といったら怒られるかもしれないが…、まさに、複雑怪奇な譜面から演奏を起こしていくまさに、プロフェッショナルな演奏家たちの技術力にもビックリした。)アァ自分もこんな音楽教育?を受けてこられたらなぁ、同時に…、「僕のできること」(まぁ、自分の技術力や感性)と「僕のやりたいこと」をこんな時には素直に見つめられる。でも、他人が見たら笑ってしまうことでも、「これが僕だ!」ということはきっとあるはず。オペラ部門、ホルン部門などこんな機会に室内楽やオペラ、何気なくテレビをつけた時に思わずチャンネルを変えてしまう音楽の良さを堪能すると共に、衝撃を受けたって、何を今さらだが…。

「改めてでもないが…。」2005/12/20  

あらためてでもないが…。ペダルスチールは難しい。本当に、難しい。テクニカルなことだけで終わってしまい、表現行為にまで至らないプレイヤーはおそらく、ガサマンといるだろう、メソッドがあったとしても、そのプレイヤーにフィットしないものも沢山あることも想像に難くない、ダニエルラノワがE9thのスチールを3番ペダルを外して弾いていたが…。それもまた勇気ある表現行為と呼びたい!テクニカルなことだけで終わってしまいそうなところを、バカボンのパパ的に「これでいいのだ!」とやってくれたことは爽快感がある。まあ、それはそれとして。私の場合はコードワーク、やスケール、そしてソロの作り方と、今のところテクニカルづまり状況である。もしもこれを読んでいるペダルスチールプレイヤーの方がいたら、あなたのスケール練習のやり方や資料など教えてください。書き込み待ってます!よろしく。

「しかし…。」2005/12/18

本日、朝日町「らくちーの」にて演奏、いわゆる、健康センター、とにもかくにもこの冬一番の寒波、横殴りの吹雪だ富山県の西端から東の端へと車を走らせる、結構かかった。客層は家族連れや老人、会社の同僚らしき人達やいろいろ、マネージャーのドウヨさんにも出演してもらって、バーのかわりにビールビンや清酒の入ったビン、空瓶、コップなどで演奏した。なにしろ音楽だけではこちらに注目させるのは不可能と判断した。結構注目させる。その他、リクエストをとって石川さゆり、加山雄三、マヒナスターズなど演奏、こういうところでオリジナルもないもんだが、「雪の降る日に」など演奏した。「暖かいところから寒いところは脳梗塞にはとっても危険。」などなど歌に織り込んだ。支配人が見ている…あまり期待していなかったのが意外に受けているので嬉しいようす。ドウヨさんの突っ込みも冴えてる。終わって、食事の時「私自身楽しみました。」と言っていただき嬉しくなる。ありがとうございました。さて、今夜はこれで終わりではない、オールドタイムのクリスマスパーティーですが…。横殴りの吹雪を帰った。「らくちーの」の風呂にも入ることができず残念…。さて、道路状況は危険極まりない。オールドタイムにたどり着いてみると、10時過ぎて私が二番目の出演者なのは驚いた、南雲さん以外はまだ誰も演奏していなかったのだった。早速演奏した。「ジェシカ」「週末には」「ラッキーオールドサン」「アイコアイコ」「アイシャルビーリリースト」「サテンドール」「兄弟」二曲目が終わったところで「音が大きい。」の声があがりムッとした、そののち、「ママ、バイオリン、バイオリンが聞きたい!」…とまるで、だだっ子のような老人の声が聞こえて、「アイシャルビーリリースト」演奏時に帰っていかれた、気分が今回はかなり悪い。演奏時も集中力を欠いていた、やはり、着いてすぐ…はこうなるのか、うまく状況判断が出来なかったこともあるが、もはや私の音楽はカントリーサイドで語るには難しいところなのかもしれない、店にいても現在の私は他の出演者と共通項が見いだせなくなっている。みんな予定調和的にブルーグラスとカントリー、(…の古い方、)しかたがないな…と思いつつベストを尽くすしかないのだが、だんだん虚しくなっていく気持ちを止めなければ、カントリーサイドではなく、(リスナーが)いや!やはり、なんとしてカントリーサイドやブルーグラスサイドのリスナーの理解を得たいところだ…しかしオールドタイムからの撤退も視野に入れて検討の必要性がある。ブルーグラスやカントリーが嫌いなのではないが、オリジナルを交えること、と全てカントリーのみでライブは構成するわけにはいかない。それとやはり日本語である。(日本語というより、内容と詩が味わえるように。)私は魂で伝えたいが、みんなそんなたいそうなものを聞きたいとは思ってないようである。

「日曜夜は…」2005/12/5 

日曜夜はテレビ、偶然テレビをつけたらジャズトリオとNHK交響楽団を指揮する小澤征爾の演奏、楽曲はガーシュイン作の「ピアノ協奏曲」それがあまりに素晴らしく、洋一郎氏にも見てほしくて電話する。(よけいなお世話だったかしら…?!)冗談ヌキ!小澤征爾はカッコイい!マエストロなのにピアノトリオのみの演奏の時はピアノにちょっと寄りかかって、さながらジャズを楽しみにきた日本人のニューヨーク観光客のようにふるまう。小澤征爾さんのパフォーマンスだけ見てても面白い。最高のエンターテイナーだ!ガーシュインの曲もピアノトリオもN協も素晴らしい。チャンネルを変えて、地元小矢部市のケーブルテレビ局では「ゆたんぽ」の山崎雄弘氏が出ていてなかなかの「あかね」を聞かせてくれたのだった、またチャンネルを変え「NHKアーカイブス」を見てみた。1992年オンエアの「宮沢賢治の音楽」という番組、宮沢賢治は童話作家の面で知られているが音楽の面にスポットを当てる番組とはまずビックリ、数こそ多くはないが宮沢賢治氏の楽曲は佳曲ぞろいである。「星めぐり」はやはり良い。「精神歌」はゲストのチェロ奏者の演奏でぐっとくるものがあった。37歳という若さで昭和8年になくなったと知る。番組放映時には賢治の教え子が85歳という高齢ながら存命で賢治先生との思い出ばなしを語っていた、なかなか楽しい先生だったようだ。今度「星めぐり」を歌ってみよう。次、NNN05・ドキュメントでは、「昭和の歴史」などの本で見るよく見る写真の一つに、今飛びたとうとする特攻機に、女学生が桜の小枝をを振って見送っている写真(あまりにも絵なりすぎていて悲しい。)の特攻機に乗っていた穴澤利夫氏とその婚約者だったD智恵子さんのドキュメントだった、私の作曲にも「ノンノンとアキラ」「桜の丘」と似た題材を取り上げた作品があるのでこれも見てみる。ドキュメント登場のD智恵子さんは現在80歳ながら大変キレイなかたである、昭和16年から交際が始まってその時の写真はよくあるサークルの1場面で、幸せそうな写真だった、D智恵子さんは彼、A利夫さんに、交際を求められてから文通をへたのち、出征前の乾パンを出した「お茶会」で入隊を見送った話や、面会に行ってもお互いに思いを遂げなかった話(彼の上官が宿を取ってくれていたが婚約もしていないのに…ということ)、正式に婚約者となった後、彼が「私が身につけていたものを…」とマフラーを智恵子が彼に渡し、しかも、出撃前の写真ににハッキリと彼女のマフラーが写っているのを見るに至ってはさすがに「ウッ」ときそうになった、当時まだ23歳という若者らしく、最後の手紙には、飾った言葉はなく、「智恵子、会いたい。逢って話がしたい。」と正直な胸の内を明かしている。彼はこの手紙を書いた時点で軍神あつかいだったそうだが、この手紙が検閲を受けたものかどうかは分からないが、若者らしい真実のみがもつ文体でつづられていた、九州まで赴いて今度こそ彼女は思いを遂げようとしたらしいが間に合わず、(本当はまだ天候待ちで出撃前だった)会えずじまいで終わっている。番組は靖国神社に納めてあった、A利夫さんの軍服に彼女が涙するシーンがあったり、少し不思議なことは…彼女、智恵子さんが、後に沖縄県、沖永良部島に彼女なりの推測か、防衛庁で調べたのかは分からないが、沖永良部島が現在アメリカ公文書館での4月12日のアメリカ駆逐艦の被害状況と一致していて、番組の最後は、智恵子さんがあの日、利夫さんを出征前のお茶会で乾パンを食べながら…と同じシチュエーションで智恵子さんが乾パンを食べながら利夫さんの眠る沖永良部島の海に向かって座っているシーンで終わった。「NNN05ドキュメント」のスタッフに智恵子さんへの誘導とかシーンの指定がきっと無かったであろうことを信じている。そしておそらくは、これににたことが、自爆テロの実行犯とその周りでおきているのではないか!…とは容易に推察できるのだ、A利夫さんや他の戦没者の犠牲の上に現在の平和があることは否定できない。しかし、何よりも、A利夫さんの在りし日の遺影には心うたれた、23歳のまだ子供のような顔であったからだ。12月、ジョンレノンが死んでからもう随分になる、経済格差、貧困解消、国境を無くなることそして戦争が無くなるひがいつの日にか訪れますように。

「嗚呼…。」2005/11/29

ストリートはたびたび感動を呼ぶ。富山駅地下にて、かつて某テレビ番組で…賞が取れた時のバンドメンバーJA氏と約12、3年ぶりの再会をはたす。JA氏は感涙にむせんでくれた…。私はJA氏とは12、3年前大変嫌なケンカ別れをしてしまった、JA氏が大変繊細な人だと思ってなお、激怒してしまったのだった、「時が全てを洗い流す」の言葉は…しかし、人にもよるかもしれないが…。涙にむせんで話しだした彼に対して、私がその時の行動で彼をこんなにも長く苦しめてしまったのか!…という事実に愕然としてしまった。気にする人はするだろう、気にしない人はしないだろう、しかし自分の罪の重さを認め、今は「こんなにも君を苦しめてしまってごめんね。」というのが精一杯で私も思わず涙腺が緩んでしまった…。気にしないのが、気にするのが良い悪いとかの問題じゃなく、長く苦しめてしまったことを純粋に詫びるだけだ、同時に…かつての日々の思い出が蘇ってきた。「楽しき日々」だった…。そしてツマラナいことで人と断絶して、広がる筈人の輪も広がることはなかった、その都度スタートに戻り、人を切り捨てて、人に切り捨てられてきた気がする。JA氏は大変な苦労をされたようである、どうか元気でいてほしい。若い時は…人々の痛みを推し量ることをそれ程重く受け止めない。今と違い、「かなりカッコ悪い」ことだった、「心の時代」「癒し系」「メンタルケアー」などなど、今の時代は人間が少しずつ訴えてきた「心の平安」にだいぶ周りもそれぞれの人々も やっと理解されだしてきた、機械は大発展を遂げたが人間の体や精神は変わるはずがない、それを考えると昔より今のほうがストレスが大きな社会かもしれない。「何が君の幸せ?」「何をして喜ぶ」「わからないまま終わる」「そんなのはいやだ」…テレビ番組「それいけ!アンパンマン」のテーマソングはしかし、子供番組のテーマソングとは思えないほど「納得」させられてしまう言葉に満ちている。12、3年ぶりのJA氏の包容はどう表現しようがない、今日の感動を残してJA氏は会社の同僚と去っていかれた。過去を振り返れば恥ずかしいこと、いやなこと、でいっぱい、でも楽しき日々もある、とりあえず人との断絶状態にハマりやすい私だが、そうやってしか身を守ってこれなかった。人々がどう評価しようと、飾った行動とったとしても、やはり、ここにこうしているんだろうなと漠然と思う…。

「「平和」を歌うことについて。」2005/11/29

「平和」を歌うこと。大変良いことである。非難するつもりなどさらさらない。「平和ボケ」…という言葉がある。日本人は平和ボケだとよく話しにもでる、「平和ボケで良いじゃないか!」とか「平和ボケはかえってアブナい」…なんて意見もある。 (発言した人は憲法9条の改悪に関して発言したシチュエーション)確かにそういう意味では、他国の戦争に協力せざるを得ない日本国の現実、拉致、核問題を含める北朝鮮問題、「平和」が実はひじょうに微妙な国際間の力関係の上になり立っている現実を考えれば…「平和の歌」「平和を願う歌」を歌うことは当然のことであるように思う。しかし、最近「平和」のテーマの歌があまりにイージーになんのインパクトもかんじられない姿勢で歌われるのには、少々辟易とする、「当たり前のこと」だからこそ、歌うシチュエーションとタイミングには考えてほしいものがある、「重いテーマの曲」にもなり「あたりさわりのないテーマの曲」にもなる。楽しいノリのライブが「重い頭でっかちなテーマで」シラケたり、あまりにイージーな「平和、平和、」でなんら感じることのできないライブだったり、先日「レコードコレクターズ」において「バングラデシュコンサート」の特集があった。こういったべネフィットコンサートの先駆けでインパクトが大きかった時代のことは、正直隔世の感があるが、人々の善意と正義感は変わりが無いことを確信しつつ、だからこそ!ステージでアーティストは「平和」を歌い叫ぶ。だがそれはほとんどの場合、言ったら言いっぱなしで終わる。悪いことだと言ってるのではなく、ミュージシャンが他になにが…と言われれば限界点のある立場である。だからこそ!乱発(あたりさわりのないテーマを歌う姿勢)とタイミング、(これものべつまくなしにはかえってマイナス)を考えて歌うことこそ本当に平和を望む歌となると私は思う。これを読んでくれているあなたがもしもアーティストならば、あなたが普段作曲して歌っている歌こそ「平和の歌」であると私は思う。ひねくれ者の意見をいちいち取り上げていたらきりがない、「平和な日本で反戦の歌を歌ってもねえ…」といった冷淡なことを言う人もいる現実、ま、これぞ「平和ボケ」…人間は落ち着いて考えられるシチュエーション、例えば、自分の机の上とか…落ち着いた語らいのなかとか、それでこそ、冷静に最上の答え方が出来ると思うのだ。人間はえてして狂う!「反戦歌」も例えば私が一兵士で戦場で戦闘状態にあるとき、目の前で誰か平和運動家が反戦歌をギターでも持って歌おうものなら「士気を下げるようなことをするな!」と歌ってる奴のギターをへし折るかもしれない。死ぬか生きるかの瀬戸際の戦場で反戦歌歌う奴もまあいないだろうが…。どんなマヌケな反戦歌でも?!反戦は良いことだ。とはいえドキリとさせられることもある、ディランやブルーススプリングスティーンの訳詞で知られ自身もフオークシンガーで「あのねのね」にも曲を提供している長野県辰野市在住の、三浦久氏は反戦歌でドキリとさせられたうちの一人である、氏のステージパフォーマンスは人生を本当に歩むように両方の足を踏みながら歌うパフォーマンスが私は好きなのだが(笑)インドネシアの留学生関係の祖国での残虐行為を歌った曲にドキリとした、とりわけ、平和を望む声はみんなそうなのだが、三浦久氏のように取材したり、取材先まで赴いたりそこまで取り組んだり、こだわって取り組んだりする人はあまりいないように思う。まあ作品として優れていれば…との意見もあるが、「反戦歌」「平和を望む歌」はそのアーティストにスリチュアルな感情を入れてもらいたいことを私は望む、常識、とかではなく、「良識」と「純情」である。このブログは「ペダルスチールな日々」…なので、ペダルスチールプレイヤー諸兄に一言、「あなたが普段弾いているペダルスチールこそ、まぎれもなく平和の歌ですよ。」作品として優れていれば良い。…なんて書いたが…そのじつ、作品として優れていても実は、いやらしく感じさせられることもある。上手い歌うたいなら「感じる心のツボ」を知っていて、そこをクリックすることだろう。…しかしこれは今の私には気に入らないことの一つだ…、素朴で、愚直で、あまり妙な思想に染まっていない。愚か者の「平和の歌」が私は聞きたい。

「砺波市カレーショップ「jinj」2005/11/28

砺波市カレーショップ「jinjin」にてのライブ当日がついに来た。富山県での池田洋一郎氏とのコラボレーションは初めて、実は数日前から私はお客さん集めに電話攻勢ほかいろいろと奔走していた、やはり蓋を開けてみるまではどれだけ人が来て頂けるか不安でしかたがない。メールにてライブに来られない旨の連絡をくれる人もいて、不安がよぎる。しかし、午後7時30分の開演前にはほぼフルハウスにてライブを始めることができた。私が電話にてお誘いした人達はだいたい来て頂けて誠に感謝にたえない。みなさん本当にありがとうございました。ライブは単独で私から始まった。「週末には」では昔、高校時代富山県の(音楽少年達の)小松市出身の めんたんぴん と Tバードへのリスペクトと冗談を織り込んで歌った。「俺の神様」(大谷の曲だが彼をリスペクトしたわけではない)「絵日記~生活の柄~風をよけては歩けない」(このあたりはかなり思いつきで突っ走った。曲順を決めて今回はのぞんでない。「風をよけては歩けない」では歌うアドリブがつんのめってしまった…)新曲「聖衣にふれて…」では金沢市の某楽器店のことを歌ったが…どうだったろうか、今回は勇気を出して…というよりも新曲で構成すべきだと思い、(何度も聞いている人達のためにも…)普段の私の代表曲はやらなかった、…しかし思考がまとまらなかったかもしれない、前の晩スチールのフレットにカラー字を打ちすぎてフレット板が極端に見にくい感じになったことも普段の集中力を発揮できてないかも、(思わぬ所に落とし穴があるものだ)反省すべきところは素直に反省する。それと寝不足だ…。あとはイーグルスの「トライアンドラブアゲイン」を初めてライブでやった。これは上田氏に是非聴いてもらいたかったため、そして、これも勇気を出してオールマンブラザーズバンドの「ジェシカ」を失敗覚悟でやる、弾きとうして洋一郎氏と交代、粗かったかもしれないが私自身が最高にスリリングなステージだった、エンショウジ氏いかがでしたか?。(彼はかの、ディッキーベッツと握手した、うらやましすぎる人)いずれにせよ集中力を欠いたことは否めない。絶好のシチュエーションでは集中力を欠き、どうでもいいような営業やデモンストレーション演奏で絶好調の誠に困ったバイオリズムが私にはあるらしい、…それにしても…スチールが本番前に壊れやすいのは何故だ?!?!?。夕べもチエンジャーが5番ペダルが故障して顔面蒼白!ふー、やれやれ…。

さて洋一郎氏である、ニールヤングの「ローナー」から「フォレストライフ」「ジンを一杯」まで少し硬さがあったものの、「国道8号線」でお客さんのつかみがかかり始めた。ツインリードパートはようやくこなれた感じになってきた。それにしても洋一郎氏、題名も曲順も私には告げず始めてくれ、しかしこれはエフェクトやハンガーリング奏法の時に支障をきたすので今後は洋一郎氏には予め曲順を決めて貰おう!思えば…東京は高円寺「稲生座」でのライブで、その当時の垣地信之氏にも似たようなことをしたが、こちらはテクニカル、メカニカルな都合で、心の準備は対象外である、しかしあの当時のかきちゃんはストレスを溜めたことだろうなと思うがこれくらいの臨機応変さはやってしかるべきと思い直した。ライブにはスピード感が必要だからだ、特にロックには!一人でもメロディとリズムが歌をうたいながら演奏でき、相手のリードギターのリズムパートもやれる今の演奏スタイルにしてつくづく良かったと思った。しかしリズムパート練習量はまだまだ必要を痛感する。演奏を聞いて「この楽器を弾きたい!」と望む人がいても今の私のスタイルはさすがにあまり勧められない、たしかに難易度はウルトラCでなくウルトラQだ!(古い!死語だな。) そして池田洋一郎氏の名曲「春」オーディションの審査員のように前に座っていた上田ブラザーズの上田秀明氏の顔がほころんだ。そして雄大な「春」を表現するような洋一郎氏のギターソロと景色背景を演出する私のスチールは自分でもいい感じに演奏できた。演奏後の上田秀明氏のコメントには大変嬉しい気持ちにさせていただいた。「海」この曲はおそらく「めんたんぴん」の中では問題作だったであろう。しかし、私の私見ながら、かの「めんたんぴん」が大きく変わるきっかけになりえた曲ではなかったか…くしくもドゥビーブラザースが「ドゥビーストリート」を録音した翌週、めんたんぴんのサードアルバム「カントリーブレックファースト」のアメリカ録音のプロデューサー氏が同一人物だったそうである。あの「ドゥビーストリート」によってドゥビーブラザースは時代の先駆者になりえた。しかしそれは絶対的な演奏力と独自の世界観を持った上での「賭!」だったであろう。そう思えば…自分が自分が!で頭がかたくならず、感性は自由というところは時々確かめなければならないという気がした、「今日もおいらの町は」で私は小松市と小矢部市を歌に入れ更には「まちいちばんのカレーショップ」とやり、さすがに気恥ずかしい気持ちだった、「サンアントニオ」は私の歌、今回はカントリータッチの曲が多い。「新しい海」は洋一郎氏の佳曲である、私がスチールをジャラーンと弾きおろすやり方が多くなるのは注意しなければ、しかし、洋一郎氏の喉が疲れてきている、声はやはりある程度インターバルが必要だと思った。「天国の扉」…この曲はやはり最後に持ってくるしか演奏位置がない。終わり、「jinjin」の関沢氏が終わりの挨拶の後アンコール、「わかってほしい人」の演奏時最後のお客さん、南林氏が入って来られ私は更に彼を高岡市の実家へ送りそのあと更にセッションまでやってクタクタになることになるのだった、しかし、今回のライブの反省点はありすぎるくらうる、 でもPAの五島さん、まともな謝礼もできずすみませんでした。そしてお客さんできてくださった方々本当にありがとうございました。またいいライブを見ていただけたらいいなと思いました。…もう一度だけ。どうもありがとうございました。

「高岡市中田「アロー」にて」2005/11/24 

本日は津軽三味線奏者で師匠である木田貫匠氏からお誘い頂いた、高岡市中田ショッピングセンター「アロー」でのライブ、1時にセッティングに行くと、「OVAL」の梅崎ジュニア氏が来ていて、彼梅崎ジュニア氏は父君の梅崎氏とだんだん年を経るに従って似てきていることに、ふと微笑む。サウンドチェックを済ませて、控え室へ。なかでは木田氏がお弟子さんに厳しい口調で指導している現実に、「人前で弾くこと」の大切さをお弟子さんに教えているような気がした。(実際、一度聞いてツマラナかったらお客さんはもう会場に足をはこばなくなり芸人にてっては生計活動の停止を意味する)お弟子さんの中には反発を感じる人もいるだろう、だがそれは妥協してはいけない点である。さてステージは、ギタージャズのトリオから始まった。大変上手で高岡市でその人あり、の石浦氏の息子さんであった。3人ともなかなかの腕前だったが前のお年寄り達がどんな気持ちで聞いているのかを考えた時にはしかし、彼らは若者らしく妥協せず、「いつもの自分たちの音楽」演奏した。難解であろうがなかろうが、「自分達の音楽」を演奏する姿勢には若者らしいサワヤカサがあった。投げ銭もけっこう入ったようだった。音楽がわかんなくてもサムシングエルスがあり、何よりも「絵になってた」ことへの評価である。そして私である。さっきの若者達とは対象的に中途半端なステージになってしまった。ナツメロ、日本民謡も老人達には違って聞こえたかもしれない。素直に反省する。木田氏の門島氏との三味線のセッションは圧巻でした。練習量もさることながら、どんな姿勢でのぞむか、…が問われたライブだった。私は素直に今日の不出来を反省し、悔しさからか富山駅地下でストリートを敢行したのだった。

「富山市「さくらカフェ」」2005/11/23 

緊急のライブが十数年振りに会った、青木昭彦氏の招聘により入り、駅前を捜すものの見つからずに青木昭彦氏に迎えに来て貰う。この間駅地下で演奏してたら、「こんなに寒い所で演奏されてるならウチで…。」…と、カフェの彼女が言ったことが発端らしい。「落ちぶれ…うらぶれた…」演出が決まったわけだ!(笑)私としては「落ちぶれた…」「うらぶれた…」でも何でも良い!演奏の機会があればまあ、…最低限良い!あんまりにも人をバカにしたシチュエーションでは死んでも演奏しないが!自由に自分の好きなだけ…演奏出来るストリートは気に入ってる。まあ、…心配しなくても「落ちぶれた…うらぶれた…」演出は自然体でできているだろう(大笑い!)今の自分のアカデミックな演奏スタイルと作品は、わかる人には分かってくれる。駅地下で演奏することで「かなり格下」と見る奴は多いに違いない、(そーゆう一般人ならともかくとして音楽業界人やイベンターが多いのも呆れる。)しかし私は自分なりの「超一流」を目指す。私を指して、批判的な所謂「頭でっかち」連中と妥協しようとは思わない。人がどういう評価をしようと「自分の音楽」を素直にやるだけなのだ。前置きが長くなった。店には一般人のお客さんがいるなかでの演奏、青木昭彦氏から言われていた「乾杯」「岬めぐり」「聖者の行進」「Aトレイン」など演奏する。私としては「?」な選曲だがまあ、いいや、で…演奏(当然インストールメンタル)彼、青木昭彦氏はリクエストも取り出し、色々ひく「浜崎あゆみの曲」…とかっていわれて弾けない自分がいる。人前で弾かなくても「代表曲」ぐらいは検証しておいてもいいのかもしれない。しかし、ものの見事に「浜崎あゆみ」に限らず、現在テレビ、コンビニ、他、流れている音楽に琴線を揺さぶられることはない、若い時の多感な頃の感性は戻らないのだろうか、もしかしたら私が「頭でっかち」になっているかも知れない、「俺はいろんな音楽を知ってる。えっ、〇〇〇の曲、なにこれ、ぜーんぜん感じない。」なんて態度に自然となってるとしたら問題だ!…が感じないものは感じないのだから仕方なし、ただ、特定のジャンルだから「良い悪い」は無いつもり、かつては…そんな「マニアックなぬかるみ」にハマっていたこともある。考えてみれば…所謂「洋楽派」の連中は若い頃聞いた感性のまま20代に入って音楽離れをする。音楽業界はきっとティーンエイジャーの感心を集める音楽しか出していかない。そんななかで我々は「古き良き70年代の音楽」から動かない。いや、動こうともしない。そーゆう悪循環のなかで、我々の鑑賞に足る若いアーティストが出てくるとはちょっと思えない。「団塊の世代」の連中が大量引退したら、我々の感性にも届くようなシニアレーベルを立ち上げてくれないものか、そう、彼らが暇になったら、また音楽するでしょ?どうせ、話しは「桜カフェ」のライブに戻ります。インストールメンタルをながーくやって、「歌っても良いですか?」とやり、歌わせてもらった。 すると青木昭彦氏「車にギタレレあるから持ってきます。」とやり、一緒に演奏しだした。多分一緒に演奏したのは13、4年振りだろうか、驚いたことに彼はその頃の私のレパートリーを全部覚えていて、私がとっくに忘れた(私の曲)「バカの一念」や「赤心の歌」「ヘルプレス」「天国の扉」などを覚えてくれていたのだった、特に「バカの一念」などは曲の存在さえ忘れていた。彼は精神障害者のボランティア団体に「音楽ボランティア」として参加してるとのことで、彼の周りも良き友人に恵まれていそうなそんな「桜カフェ」のライブだった。私は青木昭彦氏のため彼の作曲した「バレリーナ」を歌って最後に「星空の万華鏡」を歌った…お店の方々は最後まで聞いて頂き、感謝であった。しかしながら、大変喜んでいただき「またライブさせてください。」に「是非とも!」と快く答えて頂きまたの再会を言って、青木昭彦氏との13、4年振りのセッションは彼の作曲は誰よりインパクトに溢れていたこを再認識して店を後にした。

「緊急ライブが入りました。」2005/11/21

富山市駅前(南側)中央郵便局真裏「桜カフェ」にて午後7時から。他出演者あります。今のところ詳細はわかりません。

「11月ライブ予定」2005/11/18

11月23日(勤労感謝の日)

高岡市中田ショッピングセンター「アロー」にて、お昼頃から。


11月26日(土曜日) 「おひねりミュージックバトル」

「Yoichro Ikeda sing めんたんみん」

場所 砺波市カレーショップ「jinjin」にて夜PM19時30分 会費千円(ワンドリンク付き)


出演 池田洋一郎&千田佳生


問い合わせ カレーショップ「jinjin」TEL 0763ー33ー4465

「オールドタイム定例」2005/11/12

月第二金曜日はオールドタイムでの私のライブ、お客さんは門島氏と、もうおひとり、オリジナルを3曲やった後、門島氏の笛の伴奏をする。今日は調子に乗って「目ン無い千鳥」までやってしまう。歌おうとしたら、門島氏が歌ってしまう。いやまたよう知ってるわ!

「金沢市「メロメロポッチ」」2005/11/9

10月8日一日おいて、「メロメロポッチ」の我らがイージータク氏の日である、松任市の「オーディオファミリー」でタク氏と会場のお客さんと出場を約束したのだが、ただし、タク氏曰く、「ワイルドウッドフラワー、一曲だけだよ」とのことで、一曲のセッションのためにクソオモいペダルスチールを搬入するのは少々つらいがお客さんとの約束は破れない。(当然?タクさんの約束も?)しかしながら洋一郎氏に前々日セッションをお誘い頂いていていたので演奏時間は確保できた上での参加だった!(やはり一曲だけの演奏でクソ重い60数キロを運ぶのはエラい)それと出演者が多いことはお客さんにガマン大会を強いてしまう可能性があるため、タク氏より「一曲弾き語りを…」と促されたが辞退させていただいた、それと今日は洋一郎氏がこのライブイベントを去る日である、タク氏曰く、「えー今日は洋ちゃんが、この、アンダーグラウンド小学校を卒業する日なので…」になかなかニクイ演出をする。「卒業」ならおめでたいこと。「除籍」とか「放校」とか「中退」「転校」…「罷免」「左遷」「更迭」…ではどれもこれも「お祝い事」のニュアンスからは程遠い。「アンダーグラウンド小学校」の校長先生イージータク氏、体に気をつけて良い生徒さんを(ミュージシャンを…)世に送り出してくださいね。

「鳥越村「ワンネススクール」」2005/11/7

夏場呼んでいただいた鳥越村「ワンネススクール」で秋にまた演奏できる幸いを得た。ありがとうございました。音楽をやっていて演奏できる場があるだけでそれは大変幸せなことなのだ。(あえて書くのですが!)私は人と音楽の関わり方を気がつけばいつも観察者になってた気がする。例えば、ギターを弾き続けいるけどバンドメンバーがいなくてステージで演奏できる機会の無い人、その逆で人前で演奏はしないが多重録音などで自分の世界を地下深く根を張っている人、東京の「地下生活者」の自分の世界を立ち上げてきた諸シンガー達、音楽好きでそれぞれに自分の思いで音楽を続けおられている。甘いと言われようが何でも金銭的に変換させて考えざるを得なくなってしまっている世の中で音楽に対して「純愛」を通している世の中の人が当然大好きだ!前にも書いたが知らず知らず傲慢になっているとしたら醜悪極まりないところだろう。「ワンネススクール」の森先生にご挨拶、私は「夏場呼んもらって以来、ほうぼうで会いますが、ゆっくり話をしてませんね。」にお互い笑いあう。鳥越村は山から吹きおろす風に、大量の落ち葉がまるで雪のようだ、冬はとうからじ。でも早いなあ…。山屋楽器の南ヨシタカ氏とPAセッティングを手伝いながら、いろんな人に挨拶されるがマリオ竹宮氏に数年振りに再会した、現在はパン屋さんをやっているとのことで、小さな可愛い娘さんが彼の後をついてくるのを見るのは顔がほころんでしまった。全くマリオ氏そっくりである、ステージではブラジル人の格闘技「カポエラ」の演舞が始まった。始まる前にブラジル人の民族楽器「ビリンボウ」(一弦の打楽器)をラップスチールにして弾いたら大変受けてしまって、ステージでやれば良かったかな…。と少し残念、「カポエラ」19世紀ブラジルに連れて来られた奴隷達が「踊りの練習」と称して密かに農場主達と戦う為開発された格闘技とのことで、現在も拉致を行っている国家があることを考えれば、奴隷制はいかばかりのものだったか、ブラジル人が奴隷制を止めたのはかなり遅かったそうである。さて次は私と洋一郎氏、今日は「サンアントニオへ行こう」をやった、この場所では良い選曲だ!スチールのパフォーマンスも冴えがある。演奏後の評価も上じょう、しかしながら、ここまでであった。疲労困ぱいで「ふるまいの餅」で炭水化物を取ることは眠気を意味する。「車でちょっと横に…」が最後までであった。おかげで「おーまきちまき」も見られず、トンマにPA撤収を手伝いながら、森先生に眠っしまったことを詫びた。小矢部に帰って大畑ひろかず氏に「東一」にてビールをご馳走になる。氏にライブの話やブログの話をされ、なにを今更だがはずかしくなる。そしてここにも永遠の「音楽少年」とのあったかい語らいがあった。日曜日の夜、こんな結び方は良いものだ…。

「小松市「フルムーンカフェ」にて」2005/11/7

本日夜は小松市「フルムーンカフェ」にてライブ。鳥越村の奥の廃村(失礼、一世帯在住)五十谷村での路上パフォーマンスを見て声をかけていただいた。「フルムーンカフェ」のオーナー青山氏の招聘で実在の運びとなった。当初私一人の要請を洋一郎氏参加したいとのことで二人に広げさせていただき、感謝である。日中「山屋楽器店」に明日鳥越村「ワンネススクール」でお世話になる南佳孝氏を訪ねる。しばし雑談した後、山屋楽器の女性オーナーの方との「めんたんぴん」全盛期の話や四方山話を聞かせていただいた。(ご高齢ながら大変綺麗なかたである。)70年代後半を高校生として音楽と関わった私にはかなり興味深く話をした。「フルムーンカフェ」を教えていただき、オーナー青山氏にご挨拶した後、最上階「脳天チョップ」で眠らせていただいた。(こう書くと脳天チョップ食らって眠ったみたいだが…)本日は清酒「神泉」の会の二次会で演奏とのことで、演奏時間は流動的である。pm930演奏開始、ライブ形式よりそのばそのばの空気を読んで演奏するのが望ましい空気である、私一人で「週末には」をやる。その時の空気を織り込んだつもりだが、ビールのせいか、饒舌だ。次の曲から洋一郎氏登場、一連の曲を演奏、途中「投げ銭」のパフォーマンスでかなりの額が集まった。このパフォーマンス時お金を集めていただいた方は「富山アースデイ」で私の演奏を聴いて覚えておられた方だった。ありがとうございました。第1回の演奏も終わり、演奏中話を続けたい方々は最上階の「脳天チョップ」へ、その中でずっと聞いておられた方が実は、富山駅地下での私の路上パフォーマンスを聞いておられた方だったとは恐縮した。カップルでレゲエスタイルな彼らは大変音楽好きな方々だった。その他、小松市「タロウ」で見ていただき、感じたと言っていただいた映像作家長谷川先生や、お店のスタッフで虎目のレスポールを弾いた方、なんと5年前富山駅前クラブ「マイロ」で共演者の方など、覚えてもらっていることで皆さんに大感謝だ。何回か今日は演奏したが3回目くらいの時ギター(お店の方)とスチールの演奏に突然、声明(お経のようなフィーリング…)で長谷川先生乱入、そして私はコンダクターになってそこにいた人達に声明を促したら、まさに涙を流したいような不思議なハーモニーが生まれた。(これはできたらもう一度やってみたい!それくらい素晴らしいハーモニーだった!)先生はさすがに芸術家アーティスティックである。そして先生は「山寺の和尚さんは!」を連呼して場を盛り上げてくれた!さらに演奏は続き。オーナー青山氏の感想で、「千田さんのソロがもっと聞きたかった」には恐縮しました。また再度「投げ銭」を集めていただいた方、本当に大感謝でした。彼らの行為に対してこれからも真摯に演奏を続けたい!そんな気分だ。後日談、私を呼びたいと会の有志に青山氏が相談したところ、皆さん知って頂いていて全員一致で即決した、ことを告げられて新たに世界を作っていきたい!と強く思った。最後の演奏は前述の長谷川先生に感謝を込め「安里屋ユンタ」を演奏、先生はそれを背にひっそりと帰っていかれた。…最後までなかなかニクイ演出で決めてくれた。車中泊。

「三味線とセッション」2005/11/5

本日は高岡市戸出「ラブスプリーム」にて津軽三味線奏者「鍋谷東輝氏」にライブをお誘い頂いた。同時に、門島氏の笛、松林ねえさんの歌とギター、七尾市の女性三味線奏者の方、初めての三味線とのコラボレーションである、リスナーはほとんど高齢者、門島氏の師匠である鍋谷東輝氏はさすがに芸術の域である、門島氏も凄いと思ったが鍋谷東輝氏の「カーン!」と乾ききったバチのタッチは有無を言わさず世界を作ってしまう力がある。見事だった。門島氏は中国笛、カラオケにてやっていたが、個人的にはカラオケは不用だと思った。笛、三味線、尺八、バイオリン、チェロは空間を味方につけてしまう能力があるはず、絶妙のタイミングとリズム感を備えられ、アーティキュレーションをして、再度御一考願いたい。スイマセン。松林ねえさんはますます、円熟しだしてきたかんじで、ギターも大部分安定してきた、2曲のみにさせていただいたが、構成上やむなし!さて、ハイライトは鍋谷東輝氏とのコラボレーションである、演奏終了後わかったことだが、なんと、キングクリムズンのファンだったとは驚いたステージにプログレに通じる「意識の高さ」を自然に感じていたのだ。セッションは両者が「きっかけ」をだし色を彩色していくプログレッシブな演奏形態、弾きっぱなしにせず、間を開ける潔さもある。私も大変良い評価で「稗つき節」など演奏、終了後鍋谷東輝氏とのセッションはまだまだ続き、音楽家どおしの心の通じるひとときであった。鍋谷東輝氏ありがとうございました。

2022年5月29日日曜日

「ライブ追加。」2005/11/2 

10月4日

高岡市 戸出 「ラブスプリーム」夜7時くらいから。

津軽三味線の鍋谷東輝氏と


10月5日

小松市 駅前「フルムーン」(映像作家長谷川さんの二次会?)&池田洋一郎氏8時くらいから


10月6日

鳥越村 フリースクール「ワンネス」

(演奏は正午過ぎ)&池田洋一郎氏

「「もっきりや」にて」2005/10/31 

本日昼間は富山市のCiCで演奏で夜は金沢市の「もっきりや」でライブである、CiCは路上にて演奏していたのを富山市商工会の方が声をかけて頂き実現した。ふたを開けてみれば殆ど「街角パフォーマンス」の連中で同窓会的なライブだった。客層はかなりお年寄りの方で、今日はオリジナルをやらず昭和のナツメロ大会にしようと決意した。 「蘇州夜曲」「島のブルース」「東京キッド」「港が見える丘」「グリーングラス」など「一緒に歌いましょう!」とやり、前の席のおばあちゃん達と歌う。今はこのての歌が聞けない分、皆さん口ずさんでくれた、彼女たちも嬉しそうだ、しかしこの模様がシティFMで流されることを聞き「しまった!」と少々後悔した、でも沢山のおばあちゃん達に喜んでもらえたのだからいいや!お客さんに媚びたつもりはない、私も好きなものもやっただけだ!昭和の戦前、戦後間も無くの曲は日本語が素晴らしい、適切な字数適切なメロディで誰しも口ずさむことができる。こんな曲が生涯で作ることができたら…幸せだろうな、お年寄りの温かいコメントを背に一路金沢市へ!さあて「もっきりや」である、金沢市香林坊、片町、堅町、広坂、柿木畠は凄い人通り、駐車場になかなか停められず、車のすり替えがうっとうしい、洋一郎氏が早くもセッティングを始めていて、マスターの平賀さんに「はじめまして」とご挨拶、マスター平賀氏はニコニコしながらセッティングをしていただいている。店にくるまで気難しいイメージは吹き飛んでしまった!「ホッ」としたかんじ、坂本さん来店、毎回感謝します。セッティングを終えて食事に「ライオンへ行こうか!」と余り金の無い私は狼狽する。結局、全員の妥協点「マクドナルド」へ、堅町のマクドナルドは金の無さそうな今時の子供らで溢れている。空調機が良くないのか空気が澱んでいた、この間の反省から曲中MCは無しで申し合わせた、いろいろ見つめ直して良い演出をするつもり、この間からの懸案である、店に戻り、マスター平賀氏と「輸入レコード商売往来」の著者で「パイドパイパーハウス」の岩永正敏さんのことなど尋ねてみた、この本は何度となく読み返し、大影響を受けた本だっただけに感慨深い、マスター平賀さんは岩永正敏さんのことを「岩永は懐が深いというかねえ…」ついでに「もっきりや」の本のことなど尋ねてみたが恥ずかしがられていた、そろそろライブの時間になり、古林氏、それとストリートで知り合った青年二人に高岡市「ショータローバー」で知り合ったストリートでもよく聞いてくれたかた(名前忘れましたスイマセン)私のお客さんに大感謝、ライブ開始定刻通り、「週末には」「陸路の船」「雪の降る日に列車に乗って」3曲を一気に駆け抜けた。素晴らしい反応、洋一郎氏今日は冷静に入れ込んでいる、ニールヤングの「ローナー」を皮切りに良いテンポでライブは進み、途中、パソコンを使って「海」を演奏、「裸のラリーズ」のファンを言ってはばからないだけに「めんたんぴん」の曲とのコントラストはバランスが今日はとれている感じがした。洋一郎氏は今日は乗ってる。たまにリズムが噛み合わなくなるものの「春」は圧巻だった温かいヤジ?!にささえられ洋一郎氏の額から大汗かくほどのセッション、アンコールは2曲「天国の扉」と「わかってほしい人」今日は良い感じでステージを降りた。(個人的には物足りないが…)洋一郎さんの古くからの友達にささえられたステージだった…マスター平賀さんも楽しそうな眼差しでステージをずうっと見つめておられた。演奏終了後「本当に凄く良かった」と評価していただき嬉しい。ステージ下では温かい談笑、洋一郎さんがとっても幸せそうだった、お客さんのコメントを今日も聞く幸いに浸れた。最後は私一人が片付けのため店に残り、マスター平賀さんに積み込みを手伝ってもらった時には外は大粒の雨が降っていた。平賀さんまた出させてください。

「高岡市kikare~ma」2005/10/31

 高岡市にてkikare~ma2005が行われた、出演は2ヶ所、当初「aala」にての池田洋一郎氏とのコラボレーションは池田洋一郎氏の体調不良により不参加、単独出演となる。然もエレベーター無しの四階!!………アンプとスチールにエフェクターを運んだ だけで大汗で大変!去年タイバンになった「ありノバ」の面々が来ていたのと安土ちゃんとシン君が来ていた、路上でよく一緒になる人達である、リハーサルも「SCIW」で済ませてきていて台車にスチール、アンプ、エフェクターを乗せて移動、体力勝負の2日間が始まった。pm7時をむかえたが安土ちゃんとシン君の前にお客さんがいない、シン君「どうしましょうかね?」私「どうもしないよやるだけだよ」と激!彼らはオリジナルが良くなっている。富山駅地下で歌っている成果が出ている。「歌いなれている」ということは「人前で…」でしか身に付かないことが大前提、しかし「ありノバ」諸氏もこの若い二人の演奏を見守ってくれている。温かいやりとりが嬉しい、ミュージシャンが若いミュージシャンを育てているのだ、二人も期待に応えて成長してほしいところだ。さて私も大爆走だ、「ありノバ」の連中にむかって、「週末には」で曲中MC、「体に気をつけて永く音楽をやろう!」とメッセージ、皆さん共感してくれている。久々に「シスター」でフアルセットを決める。一年振りに「知生庵」で共演、聞いてくれた彼女たちに会って、嬉しいコメントを貰う。が……。次の会場へスチールを急いで片付け、大爆走!また汗だく、洋一郎氏来なくて良かったかも、(明日に疲れを残すから!明日は金沢市の もっきりや でライブ)「SCIW」ではマスターがいまや遅しと待ってくれていた、ワンステージ分の移動時間しかないため焦りに焦った感じだった、けど二発目、皆さん熱心に聞いてくれた、「俺の神様」「陸路の船」客席盛り上がってる、今日は曲中MC以外はノンストップで突っ走った。「ikoiko」で「ロックは1人でもできるんだ!」とやる、と同時に「今回のニューオーリンズ自然災害は金のため環境問題、地球温暖化の問題を棚上げし続けてきたしっぺがえしだ!」とやる、人類の未来型を新しい世代が始める時が遠からず来る。地球温暖化問題は地球上全体の国家の協力無しには解決しない。「自国の利益優先」をやってるうちこの大惨事だ!それでもまだこの大惨事を地球温暖化問題と関連付けてアメリカが考えようとしないとしたら、まだ未来は暗い。上田氏と沖氏と「ダムダム団」の面々が聞きに来てくれた。前に出演した「コロQ」のギタリストを入れて「天国の扉」で盛り上がり今夜もおおきな幸いに浸れた 。目の前で身体障害者で音楽をやってる青年が大変喜んでくれた、マスターとも再会を誓い、明日もライブが二つあるので早めに休もう……。と思ったら!「㈱カフェナビ」で ま~た大汗かくほどのセッションしてしまい夜中の2じ過ぎまでやってしまい大反省、明日キツそう!!

「鳥越村五十谷杉まつり」2005/10/27

五十谷杉は樹齢千三百年、その木の幹の元でいろいろなライブが演奏された。豊島総一郎氏や (東京より)桑名シオン氏(新潟より)桑名晴子(大阪より)SP-D(高岡より)他沢山のミュージシャンやいろいろな人々が集まった。豊島総一郎氏はメールにて共演を誘って頂き、楽しい気分で出かけて、シオン氏とも 3人でリハーサルは道路上にてバッテリーアンプで共演した。豊島総一郎氏の音楽的なレベルアップは凄い、二年前会った時よりグレードが数段上だ、歌い続けていることがどんなに大切か証明してくれている。シオン氏も大工さんをしながら音楽をやり続けしかも凄いレベルであるセンシティブなピアノ、ボーカル、は「感じる」というところを押さえている。3人のミュージシャンのセッションに通りがかりの参加者は温かい拍手を送ってくれた。片付けて本番に備えるつもりが、説明会にてなかなか片付けられず、やる前から疲れ気味、あらら…。演奏は前回MC無しで!…と言ったにもかかわらず曲中MCだらけ、まあいいや今日は、豊島総一郎氏ともいいセッション、シオン氏のピアノは秀逸、桑名晴子さんのときはまた、どんと氏の曲の時入れていただいた、見つめ合って演奏を決めた時には「ゾクッ」とする色っぽさが晴子さんにあって、これも至福の瞬間である、後でお礼を述べた時の晴子さんの手は物凄く冷たく、酒の勢いか温めようとしていた自分が恥ずかしい、(ハズカシ!!)後で「むささび亭」のご主人にライブを誘って頂き大変嬉しい気持ちになり、ご主人はハモンドオルガンのB-3のことなど熱っぽく語っておられ、パエリアとワインをご馳走になって、ライブの招聘をまたお願いした。その後、SP-Dの山本剛氏が私をリスペクトして、セッションを誘って頂き、しかしエンディングでつまづいて大変申し訳ないことをした、しかしSP-Dの山本剛氏と妹尾氏の演奏は秀逸、私をリスペクトしてくれていることが大変ありがたく感じられた、そして、最後のセッションは総一郎氏とシオン氏に加え、EATのボーカルの彼女の歌と演奏に涙腺が緩んでしまいセッションを申し出て、これも至福のひと時を味わった。クタクタになるほどセッションして車の中で心地よい眠りの中へ、まつりのジャンべの音がいざなってくれた。

「手術!(自分で!)」2005/10/25

指の傷口は悪化の一途、角質化しているものの盛り上がり過ぎ!然も出血はとまらずジクジクとした痛みは相変わらず、サムピックが指にはめられず、膿がたまっている時にサムピックをはめる時に激痛が走る。医者に行けば良いものを、角質化している肉の盛り上がり部分とジクジク膿を吹き出している部分を切除する決意をする。もう長い間直ってない。ハサミを用意する。バンドエイド、角質化した所から削っていき、膿のかかったところとジクジクとしたところをむき出しにする。最後の激痛を伴う箇所を残すのみになって、ハサミの刃をあてがい、一瞬で切除の覚悟を決める。「ゴク……。」ほんの小さな痛みを伴う突起物の肉を切除するのに油汗をかきそうな緊張感、決心して、「ジョキ!!!」 予想どうり激痛!!!……と同時に大量の血、ちょっと予想より多い血の量に痛かった筈と納得、しかし切除部分が少なかったようなので、再度切除する決意をする。これはさらに油汗が出そう、刃をあてがい、血が止まり始めたところで決心して「ジョキ!!!」再度切除部分は痛みも倍、しかしこれで回復のメドは立った。サムピックをはめられて痛みは伴うがキツくはない。現在経過良行。

「10月22日」2005/10/24

本日は旧松任市「オーディオファミリー」にて洋一郎氏とのコラボレーション、一昨日下見に訪ねてそのオーディオフリークのキレイでウッディな館(店舗)に驚いたものだ、ここのところPAスピーカーからライブ会場で流れる音に慣れすぎていたのか、その音の良さには慄然とさせられた、コーヒーの味もこの音のなかでは一味違う。10月22日当日、土砂降り、お客さんの入りが気になる。しかしそれは杞憂だった、フルハウスでスタート、3時入りだが今日はアンプをどれを持っていこうかとか、弦を新品に交換とか相手がオーディオフリークなのでかなり気合いが入った。中でも「ビッグマフ」はこれをつけると極端なハイ落ちだがつけねば成り立ってかないのでやむなし!早く入りすぎたので和む。おでんや酒があるもののオープニングで歌うためガマン!それと洋一郎氏へ「演奏前は控えてください」といった手前もある、おでんが美味い!しかし演奏終了のちに食べるつもりが終了のち全て無くなっていたのは落胆してしまった。演奏開始。パターンになっている「週末には」「陸路の船」「雪の降る日に列車乗って」で曲中MCを入れながらの演奏、これが後で凹む今回要因になる。つかみは今回も良い。洋一郎氏をMCで呼び出しバトンタッチ。最初入れ込み過ぎかリズムが甘かったがボトムの弦のゲージを上げた効果が早速出ている、正解だ。7曲やったが「まだまだ聞きたい」といったコメントにはありがたい気持ちになる。「アメイジンググレイス」を楽器説明会をしたのをキッカケに2ステージ目が始まる。「わかって欲しい人」「海」を演奏終了のちイージータクさん乱入というより上がってもらった。「ホーボーズララバイ」で終了。お疲れさまでした。和やかにときは過ぎしあわせなMacintoshの柔らかな音のなか夜は更けて、「めんたんぴん」の元ロードマネージャー永田氏に今回のライブの感想意見を聞いてみたところが、「洋も千田君も喋り過ぎ!」とか、「君たちはロクにマイクの角度も調節しようともしない」「なんで゛ めんたんぴん の曲を今やるのか?」などなど手厳しいが考えてみればもっともな意見感想をいわれるが、我々サイドの意見も述べられところは述べ、この3、4ヶ月間これが精一杯でベストを尽くしたこと、私自身はテクニカルな面で過去例を見ない進歩があったこと、最初の試行錯誤しながら「成り立っていけるか、成り立たないか!」が「成り立つ!」の確信に変わってきたことなどなど永田氏に告げた、それにしてもさすがは元「めんたんぴん」のロードマネージャー(PA担当)意識の高さはたいしたものだ!現場を離れても全体的なライブの構成を見る目、「ロックとは?」といった現在にも通じる意識の高さ、「めんたんぴん」はこんな人びとの意識の高さの上に成り立っていたバンドだったのだ。プレイヤーだけで全てが生まれるものでもないかもしれない。「めんたんぴん」ではないが「越中屋バンド」のMC無し曲の最後に小室良さんが「どうもありがとう」の一言で最上のライブが出来上がったことが素晴らしいとかつて思ったし、興奮を覚えたものだった、当時高校生だった私はそんなライブのやり方をしたいと思ってたはずだった、今度のライブでは初心に帰ってみるつもり、転機かもしれない、あくまでステージ構成上の…だが…指の故障はまだまだ直らず、翌日洋一郎氏に電話連絡したさいこの経緯を話したところ「ペダルスチールのスペシャリストとして奢りのような部分が見え隠れしている」と言われ、自分ではわからない部分だけにこの忠告にもありがたい気持ちになれた。かつて某ライブハウスで「自分の腕前をひけらかす為やってるのか」と言われたあげく、ステージをひきずりおろされことがあり、その時は怒り心頭で反省は無かったが今回は素直に見つめ直して見る、しかしながら某シンガーが「スチールパートを音数少なくして…」とか、「あくまで歌だけを生かすようにとか」こんな意見は相当ズレてる、あくまで演奏態度の話、「音楽少年として」「人前で演奏する態度として」「聞いて戴く人々にたいして」しかし演奏はいつでも「最高最上」の上での話、ストリートのやりすぎで根性がいじけたのか……。たまに、だ~れも聞かない演奏をやってると、傲慢さが見え隠れするならその反動カナ……。……?とも思う。かの駒沢さんが書いた「リングリンクス」のCDにはこう書いてあった。「迷える千田佳生君へ、音楽を人生と思えば、まあ…。いろいろありますよ…。」…と。同感です。ハイ!とは言え、打ち上げもたけなわ、寝袋にくるまってMacintoshのスピーカーから、最上の音楽を聞きながらまどろんでゆく幸せをもう一度味わいたいものだと思いつつ、これを書いている。オーディオファミリーの西本さんありがとうございました。今度は模型のコレクションを見せてくださいね。

「ライブ予定表」2005/10/22 

 電話番号など連絡先の現在わからないものは追って掲載します。


10月22日

松任市 オーディオファミリー

(池田洋一郎氏とのコラボレーション)

10月26日

五十谷村神社 鳥越村方面


10月29日

高岡市Kikare~Ma 2005


「aala」にてPM7時より

電話0766276676

(池田洋一郎氏とのコラボレーション)

「SCIW」

PM8時30分

電話0766245967(千田佳生単独)


10月30日

富山市商工会議所イベント(お昼頃)


同日、金沢市「もっきりや」

PM7時より(池田洋一郎氏とのコラボレーション)


11月4日

高岡市戸出「ラブスプリーム」

(三味線 の鍋谷東輝氏のイベント)


11月6日

鳥越村「ワンネススクール」

PM1時くらいから

(池田洋一郎氏とのコラボレーション)

第二金曜日

富山市「オールドタイム」定例ライブ

電話0764911715

11月26日

砺波市カレーショップ「jinjin」PM7時30分から

(池田洋一郎氏とのコラボレーション)

「アロンアルファの使い方」2005/10/20 

ペダルスチール、バンジョー、ヨーマカウコネンのギタースタイルの方なら、フィンガーピック+サムピックの演奏方法でピンと来る人は多いだろう、ヨーマカウコネンの演奏方法は一部分私の憧れでもある。多くの可能性を秘めている。とりわけ、ハズレにくいフィンガーピック+サムピック、それと逆への「返し」ができるフィンガーピックは出来るはできないもんだろうか?つまり、フラメンコギターの返しの演奏方法の応用+ソロスタイルにおいて、かなり自由度が増すのだが…この分野に同好の士はいないものか…。で、アロンアルファである、手荒れのため、アカギレ、逆ムケなど多い。そんな時は、(例えばアカギレ)角質層同士肉部分にアロンアルファがつかないように皮と皮とをくっつけるのである。何回かこのやり方で練習やライブをこなしたが……現在は液状化絆創膏なるものがあるらしいので一昨日薬局で試供品を試したところ………「イデエー!」激痛、液状化絆創膏なるものがこれだけの痛みを伴うとはー!しかも長ーい!これは接着剤の一種らしい。使い方を誤った部分もあるのかもしれない、逆ムケ悪化後これがなかなか直らず。

「イテテテテ……」2005/10/17

右手親指の逆ムケの傷口が悪化する、絆創膏を頻繁に替える、サムピックをはめて演奏するが昨日よりもっとヒドいジクジクとした痛み今日は一曲どうしても弾けず、ボリュームノブを回しつまむだけでこれだけの痛みを伴うとは……こりゃあ暫く演奏中止だな……まあしかたがない昨日はステージ上で激痛、しかしながらギャランティーはデカかったけれど、やはりこの親指の腫れ化膿と痛みが代償っていうところか………あーイテテテテ

「10月16日 日本海倶楽」2005/10/17

 本日珠洲市にてライブ、日本海倶楽部(正確には内浦町)池田洋一郎氏とのコラボレーション、家を午前9じ出発、洋一郎氏は既に着いていた。本日は日本海倶楽部の「ビール祭り」とのことでジャズバンドがドタキャンして起用されたとのことで、風光明媚なこの景色ならジャズバンドより我々のほうが大部いいかも、日本海倶楽部はどうやら障害者施設、の生きる場的なレストラン、障害者のかたも積極的に働いていた。珠洲市にてこれだけの人々を集めるのは大変なことだろう、我々の出番は12時30分から、中宮さんご夫婦も前に来ていらっしゃる。珠洲市のシンガーソングライター乙脇善仁氏も来ておられたが、本日1時より仕事とのことで残念、快調な滑り出しで「今日もオイラの町は」「フオレスト」「国道8号線」ではカントリーフィーリングが久々にハマった好感触を感じた、「天国の扉」では久々に歌えた、次の「春」では洋一郎氏いきなりポエトリーリーディングを始めて慌ててしまう。何かやってくれそうな気配はみごと当たっていた。しかしながら会場にハマったカントリーフィーリングの好感触はそれも味方につけて場内の空気に溶け込んでくれた。私もペダルスチールバッキングでとりわけドラマチックに演出した。洋一郎氏のギターは「春」という背景を演出すべく今日は大変秀逸だ。私も大地が春に染まっていく背景色をあざやかに映し出した。惜しむらくは最後の「ジンを一杯」はこの場では選曲を誤ったと思った。インツーのカントリーフィーリングは日本人には馴染みがないましてや珠洲市なら(失礼!)みんなで手を叩ける曲が良かったかな……と少し残念、ライブというよりは営業に少し近かったかもしれない。中宮さんと洋一郎氏とのバックステージでの反省会は熱が入った。綱渡り的な演奏のやり方だが夢に溢れている、今度録音ということでチェックする方法を取ることにしが、洋一郎氏も中宮氏も熱くサウンドを語る加賀と能登と越中のロック少年達である。(実際は中年だが……)この熱くサウンドを語る少年達の姿を最近のロック少年達に見せてやりたいと思った。この間の金沢フアィブフェスタのロック少年達を今の場合は指すのかもしれないが、あの日は「歌」というか私には世界観が見えなかったのである。熱くサウンドを語る幸いに浸り反省もし会場の温かいコメントを反芻し珠洲市を後にした。しかしながら疲れか穴水付近で車中仮眠し帰りは遅くなった。

「ステンカラージン」2005/10/17

某日、富山駅地下にてストリート、本日も誰も聞いていかない…階上にはタバコを吸いに来た不良高校生男女、聴いてないのは明白、吸い殻を片付けていかないガキ共にはイライラする、楽器早めに片付けて注意しようかと思った矢先に、明らかにロシアの人らしき人が聴いてる、子供連れで、ずうっとこちらを見ている、色々歌い弾くが変わりなし、少々気味が悪くなった。急に携帯をかけだしたと思ったら暫くの後彼の奥さん登場、彼らはこちらに来た際、「あなたの音楽は大変素晴らしいと主人が伝えております。何の機械ですか?」彼女は日本語のできない旦那のために急に呼ばれたらしい。すいません。じーっと黙っていたのは聴いてくれていたのだった。ありがとう!またいろいろ弾くがサービスでロシアの曲を、「カチューシャの歌」ぐらいしかさらない。でも大変喜んでくれた。ロシアの彼女は大変日本語が上手い。とっさに中学生の時音楽の授業で大好きな曲「ステンカラージン」を思いだした。日本語で全て歌えたのは自分でも驚いた。


「ステンカラージン」

ボルガの流れは果てなく続き

今宵も宴は怪しく響く

麗しペルシャの姫を迎えて

微笑むステンカラージン今宵は楽し


ドンコサックの群れに起こるそしりを

受けたるステンカラージン何を思える

涙にむせびつたたずむアタマン

姫の消えゆきし波間を見つむ……


こんな歌詞だったが全て覚えていたのは部下を収めるために敵から略奪した姫君を処刑しなければならなかった事実を歌っていたからだろう、この曲は自分のソングライティングに重大な影響を与えているかもしれない。音楽の授業で明らかに影響を受けたのはビバルディの「春」シューベルトの「魔王」の歌詞だったがこれも全て歌えたのは自分も驚いた。ロックがまだかなりマイナーだった73年とうじのことを思いだした。話がそれたが彼らも当然「ステンカラージン」は知っていて口ずさんでいた、帰り際彼らに「スパシーパ」と感謝を伝え彼らも熱く私の手を握ってくれたのだった。

「ベストプレイヤー賞獲得。だが…」2005/10/8 

本日金沢市香林坊「5タウンズフェスタ公開オーディション」2曲演奏するため金沢市香林坊へ。ファイブタウンとは片町、柿木畠、堅町、広坂、香林坊が町の活性化のために行った。ミュージックフェスタ、あまりこのオーディションなるものに出た経験はないが優勝賞金10万円という現実的な金額にひかれ応募した。出演アーティストは16組上手く行けば…の展望を持って望む。出演は6番目、弾き語り勢の最後的な出方、しかし審査員の注目はしっかりと集めた感覚を得た。MCで「今度金沢市、もっきりやさんでライブをやります。」と演奏しながらMC,1曲目は「週末には」私は珍しくあがり気味、オーディションはまるでテストのようなニュアンスを感じるからか、本日雨天時のため寒いからかあまりスムーズではない、スチールも堅く感じる、二曲目「陸路の船」ハンマーダルシマー奏法に審査員もビックリしてくれたような感じ、しかしながら若者はのって無い。今回は演奏待機時に前の出演の子が後始末にもたついてウオーミングアップが図れなかったことも大きいが、メンタル面でも、この次の出番の人のことを考えずにモタモタといつまでも撤去しない前の前の出演者に相当イライラしてしまったようだった。メンタル面で久しぶりにつまづいたかも。しかし自己採点では及第点のはず、全ての出演者が演奏を終えて結果発表、このワクワクドキドキ感が堪らない。賞はパート別でベストボーカル賞2人、ベストプレイヤー賞1人、ベストパフォーマンス賞が1人、グランプリ1人、であったが、私は2番目に名前が呼ばれ、ベストプレイヤー賞を獲得できた。「やった!」…と思った反面、「グランプリを逃した…」と思ったのも事実、だがこんなもんか…表彰式で思わず、「きのどくな…」と言ってしまった。在郷だね…。しかしベストプレイヤー賞はかの「イカ天」以来、あのベストプレイヤー賞はあの当時、いろんな幸せを運んできてくれた、今度もそうなりますように、ベストボーカル賞に輝いた女の子と談笑したり、清水たかさんや審査員諸氏に御礼を言って、車中にて賞金袋を開封、「!!!!」中は予定回収額の20分の1であった。「うーん」最後のひと伸びがあったら、競輪でいえばゴール前直線で先頭で入ってきながら、2番手3番手のマーク屋にズブズブ食らって3着か、大外から別線のヤツらにひとまくり食らった先行屋の心境である。最後のひと伸びが明暗を分ける。ハー………。(sign)

「仲悟志氏と会う!」2005/10/7

富山市にて仲悟志氏と会う!しかもストリートで、漁師が網を張るようなもんだなあ…、10年ぶりくらい、お互いに今の近況境遇を語り合い彼は早く帰宅したいにもかかわらず聞いていってくれた。「今はねえ、一人でやるスタイルがメインになったんだよ。」とあらかじめ断り、ここのところオープニングが多い「週末には」弾き終えて仲悟志氏一言、「千田さん、脳にスッコーンとくるようなやつをやってくださいよ。」私、「!」さすがに地下→大谷をラウンドしてきた奴は歯ごたえがある!だ・け・ど。こんな所でしゅーるなものや密室芸やるわけにはいかないんだよ。それと俺は大谷ではないんだから…、こんな時に「!」と思うことがある。しかし、私は私の感性、例えば今、「頭でっかち、言葉の遊び、ヤマ無し、意味無し、オチ無し…演奏でごまかし…」は避けたい。しかしまだまだ力不足なのかなあ…、だけど、自分は自分だ。大谷な見方だけでアーティストの良し悪しをしてもらっても困る。シュールリアリズム、だけで推し量れるものでもない。…がスチールの自由度が上がり、まだまだこれから、自分は自分、誰がなんと言おうが自分の作風でいきたい。私の作品がツマラナくてもその先にあるものが問題だ。「超現実感」「普通の感覚」の間をいったりきたり、しかし、ここでもう一度原点に帰ってみる。「歌は自分のために歌うもんさ、まずは」そしてそこからまた考えを広げていきたい。仲君、いい刺激になったよ。

「スチールが壊れる。」2005/10/5 

スチールのチューニングプラーが折れてしまった。早速取り外し、予備のチューニングプラーを六角レンチを差し入れ回しながらタップを切っていく。このような機会にホームセンターにてイモネジ(0・15×3×4)や六角レンチを購入、修理後上手くいったと思ったのだが、5番ペダルの8弦4弦のE♭(E)→D、E♭→Fがうまくいかない、12弦ユニバーサルなので、切り替えレバーとの兼ね合いが妥協点が見つからない。修理をまた要する、修理のやり方も練習の内、故障など不測の事態は本番前になぜだか起きやすい。皆さんはいかがでしょうか?

「鳥人間コンテスト」2005/10/5 

毎年鳥人間コンテストを見るのが楽しみである。滋賀県彦根市琵琶湖にておこなわれており、距離的には対岸をクリアして、今年は折り返し、年々見るのが楽しみである。人力プロペラ機部門を見ていると、正に今の私とダブって見える。かたや落ちないようにペダルをふみ、かたや、演奏するため、リズム、メロディーアンサンブル、歌を歌い続ける為ペダルをふみ続けている…フライトしてからは自分次第、しかしながら、その陰には大勢の人々の夢の結晶なのだ、毎年うるうるくるものがある、そして、人間はたいしたものですね、と思う!私もこの元気でペダルを踏みたい。

「すなわち!最上」2005/10/1

イベント名称は「乃最上」(これは、すなわち最上と読む。)一週間前、金沢市ミニケルズカフェに立ち寄って、先週のクイーンズコートと同時に出演が決まった、今日も久々に単独ライブである、主催者、ゾンビミュージックの清水氏はその日、「DNAカフェのチャリティーライブで千田さんを見て大きな衝撃を覚えましたよ!」と言って頂き大いに恐縮したと同時に、見る人は見てくれているのだなと安心したような気持ちを抱いた、あのDNAカフェでのライブは正直言ってアンプのボリュームが下がり過ぎて失敗例だったのですが…、一週間前のあの日、勇気をもらえた日であったかもしれない。そして本日ライブ、クイーンズコートで私も衝撃を覚えたキングクリムズンのカバー曲をスティックという楽器で演奏するドラムスとのデュオ「四十肩」と金沢市人気ロックバンド「スタンフライヤー」にも在籍中のギタリスト高田純二氏を擁する「ジョウズ」、そして私、千田佳生はゲストで出演となった。一番目は私、千田佳生である。それでもボチボチお客さんは入ってるタナボタ(失礼!)ライブがこのところ多いのは嬉しい、主催者清水さんに感謝しつつライブ開始。このところオープニングを飾る「週末には」でボーカルのアドリブ、二曲目「俺の神様」曲のラインナップは例によって考えてない。一人きりの特権はその状況判断が許されること、三曲目「兄弟」で一人でだって「ロックはできるんだ!」とやる。この言葉に感動して頂いた人が後で手を握り締めて頂いた、最後に弦を切る。あらら…、弦をはりながらMCも慣れたもんだ、4曲目は「シスター」思えば…この曲を再び歌える感動がある、去年秋にポリープをやって裏声がいっさい出なくなってひと月まえから、やっと、出るようになったのだから…完治というか、ファルセットボイスを取り戻すのに一年かかったわけだ!気管支炎にはこれからも気をつけたい。5曲目は山下由氏の「フローラ」牧歌的と幻想的なコンセプトの佳曲である。6曲目は「雪の降る日に列車に乗って」でまたノリを出すこのところこの曲を演奏することも久しぶりだボーカルアドリブ大会、そして「陸路の船」ここでも「石川県の皆さんに美しい富山湾を…」といった常套手段のMC、この曲を演奏することは久しぶり、「兄弟」もこのところやってなかった。ライブのスピード感をとるか、まったりとした演奏をとるかは現場の状況判断である。気楽な反面、決断はすみやかにしなければ、今回は迷いがあった。最後は友部正人さんの「絵日記」を金子光晴のところを高田渡さんに直してやる。そして「生活の柄」こうして演奏曲を並べてみると大変後半はゆっくりしたペースになってしまった。「週末には」のような軽くノリの良い楽曲がもう2つ3つ欲しいところだ。さて楽しみにしてた四十肩やはり良い、キングクリムズンの楽器をスティックでギター、シンセ、ベース、各パートを一人で演奏するのだから、すごい、キングクリムズンの「太陽の~」マイクオールドフィールドの「エクソシスト」客席大きな盛り上がり、先ほどの私の幻影は吹き飛ばされてしまった…さすがに「乃最上」(すなわち最上)である!最後クリムズンの「レッド」で決められこのデュオに必要なのはオリジナル曲とボーカルと流れを寸断するまっりとした楽曲だろう、(「待ってください」のような…)またのライブに期待します。次々凄いバンド「スタンフライヤー」の高田純二氏率いる「ジョーズ」ハードロックのテイストに楽曲を作曲するセンスの良さが光るこのバンドも全てインストールメンタルこうなると私は「歌モノ」が良かったのか悪かったのか…高田純二氏のギターはマーシャルタイプのアンプ三段積みにダイレクトプラグイン、のギミック無しのノーエフェクターはかっこいい!潔いサウンドは私の琴線にビシビシきた。楽曲の良さもある。それと各パートヘタクソな人は無いレベルダウンを感じる人はない。「遊びごころ」に溢れた良いバンドだ、終わって、交流会、良い演奏良いライブやった充足感がそこにはあった。「四十肩」の大坪さん、ロバートフィリップもかくありや?、といった人物で思わずニヤリとしてしまった。毛利さん、やはりビルブラッフォード好きかな…!?とか和やかにこれだけのクオリティの高いライブはない、「濃すぎた」なる最高の賛辞を各ミュージシャンは浴びていた、私には「今度のもっきりやのライブは必ず行きます!」など私と同い年の三人衆や、10年前「アンナプルナ」にて拝見して頂けた人と再会!「昔見たときより格段のパワーアップですねー」と言われ嬉しい、清水さん本当にありがとう御座いました。「乃最上」のイベントに来れば、いつも最上のアーティストに会える」そんなイベントを続けてくださいね、このイベントに名前を連ねることのできた幸いにこれ以上無いような充足感が私を包んでいた。

「外国人うけ。」2005/9/29

私はかなり外国人ウケはいたって良い。ここで英会話が堪能なら…先日ストリートにて、外国人カップル、ニナとダンの二人が乗りまくって踊り出した、ずーっと聞いて乗りまくってくれて、お金も置いていってくれた、外国人は良い演奏には謝礼をしてくれる、この直後どっかのオヤジ、「演歌やってくれ」私「一曲だけなら…」ちあきなおみの「さだめがわ」を弾く、ところがこのオヤジ、矢継ぎ早にリクエストしやがっていい加減うっとうしくなり、「帰れ!」を云う直前、帰っていった、無論、謝礼は無し、今後は無視だ!うっかり気を許した私も悪かった、次も外国人、「週末には」を弾いていたら通りがかった黒人さん3人、覗きこんでくる。絶賛してくれた、日本語も上手い、ガーナから来たとのこと、あのオスマン・サンコンさんの友人とのこと、しかも彼らはミュージシャン、そのうちの一人は鳥の鳴き声や、瞬間芸を披露してくれたが、「時間がない、明日またここで会えるかな!?」と言ってくれる、私「わからない。でも会いたかったらいるよ。」と言ってしまった!(シマッタ!)…ドーしよう?

「金沢市クイーンズコート」2005/9/27 

本日金沢市クイーンズコートで吉野五十一氏のオープニングをやる「おとなの相談室」でスチールを弾く、バンドプレーはチームプレー、急に決まったステージだが一生懸命やりたい、ボーカルは東さん、バンドのメンバー坂本文也氏(ピアノ、キーボード、プロデューサー)とも久々にプレーしあう、しかし皆さん方手の合う好手ばかり、みんな音楽を良く知っている。リハーサル、吉野五十一氏と再会を喜び合い、「本日一曲一緒にやろう。」に快諾!新曲とのこと、吉野五十一氏とも三回目の逢瀬である、さてバンドのほうは今日は初めから音数に注意深くやろうと決めていた、結果、終わってイージータク氏の感想は「いままでで一番良かったなあ、いつもこれ位の音数でちょうどいいんだよ、」と言われ、良かったと言われるのは良いのだが、プレーヤー的には本当は面白くない、現在は洋一さんとのコラボレーションやソロで弾けて精神はゆとりがあるが、前の私なら弾き過ぎてヒンシュクをかったかもしれない、シンガーソングライター連中が「こう弾いてくれ!」…と指定してくるプレーの中にニールヤングの「ハーベスト」でのベンキースの一連のプレーがある。私もさんざんやってきたことである、逆にいえばスチールはそのような認識のされ方とも言える。「ハーベスト」うらジャケットにはペダル2本か3本きりのエモンズのスチールを弾く(ニーレバー無し)ベンキースの姿が写っているが、物凄くシンプルなベンキースのプレーは「ハートオブゴールド」でおそらく多くのギタリスト達に「ペダルスチールを弾くんだ!」と決心させたアルバムではないだろうか。スチールの精神世界に大きな影響を及ぼしたベンキースの功罪は大きい功績とかかなかったのはその後に来る発展性を妨げた可能性が残るからだ、「ハーベスト」での一連のプレーは確かにスチール入門の間口としては広く、大変印象に残るプレーである、しかしあくまでも現在時点、ペダルスチールのプレーと聞いて 「ハーベスト」でのプレーを示唆する人々があまりに多いことを考えればまだまだスチールはロックには入りこんでないと感じざるを得ない。話が長くなった… で吉野五十一氏との共演では、先ほど意見を述べられたイージータク氏とステージから目が合い、タク氏確信犯的にニヤニヤしている。私も思わず苦笑い。最後「ウエイト」では何となく、いや表しにくい精神状況で「ウエイト」の3番を熱唱した。「ハーベスト」の壁、私には途方もなく大きな壁である!

2022年5月28日土曜日

「9月24日小矢部「L-Bar」2005/9/27  

私の住んでる小矢部市にもいわゆるライブハウス(いや、スペースかな?)ができた。通常営業せず、「TEA&BAR」の(店名)ブースらしい、先月、家の近所の「A鉄工所」の職人さん、下重氏が私が乗ってた車を走って追いかけてくれてまで持ってきてくれたライブの話である!(…と、いっても走行速度は15キロ程度、)ここのところ、自分がフルに歌うライブが無かったのでありがたい。(ストリートもライブではあるが…)日中、富山駅地下にてストリートをやってからライブにのぞむ、あまり時間はない。にもかかわらず、こんな日に限って作務衣を着た品の良さそうなご老人が声をかけてくれて「まさかこんな素晴らしいスチールがこんな所で聴けるとは!」と言って頂け、この方は立命館大0Bにてハワイアンバンドでスチールを担当していたとのこと、感慨深く語っていかれ、バッキースタイルのスチールを弾き学生時代は演奏旅行を沢山されたとのこと、話は大橋節夫氏、やポス宮崎、昭和30年代の頃の音楽、「昔はレコードだけが頼りでねえ…」とフェンダーのスチール(6弦ラップ)が大変高価で当時は初任給の3ヶ月分だったことや、私は野口武義氏、石田新太郎氏、マウイセレナーダス、原田実さんのスチールをかつて20代初めの頃見ることが出来たこと、とりわけ、外山寛さんのスチールが神技(わざ)のような演奏だったことを語った。その時の曲で「君の思い出」をやってみた、大変喜んで頂き、引き続き、「ハワイアンウエディングソング」やいろいろ弾き「スイングスタイルだねコードが凝ってるなぁ」と言われる。しかしながら長話の為、本来の目的の歌う練習が出来ず、しまったと思ったが…まあいいか、これから日本武道の大会に行き、終わり次第京都に帰られるとのこと、いつも主張してる「ナツメロウエスタンはやんないよ!」なんて過激かつ、思い上がったような演奏態度はとんでもない!こんなこともたまにはいいかも。さて、小矢部「L-Bar」である!日頃、老人とビョーキの中年と、たまに若者が歩いていても長男の町でどこからこんな沢山の若者が湧いて出たのか、と云うくらい若者がいる、こんな若者のみのパブは久し振りかもしれない。全部で11アーティスト、私は最後から2番目…少々つらいが音と翌日勤務ありの人々の関係でしかたがないらしい、我々の大先輩で「とっちゃん」も憧れてる堀井誠氏登場、わざわざ来てもらえるとは、恐縮してしまう。最初の下重氏のバンドはベースとドラムスが女の子でハードでありながらお洒落な感じで下重氏はジャズマスターを古めのファズ音色で決めていた、なかなかカッコイイ!(フェンダージャズマスターというだけで相当お洒落だ!しかしこのギター本来本当にジャズを演奏する為に作られたギターなのかな?いまだにこのギターでジャズを演奏してる人は見たことがない。同列のジャガーもイメージとしては古い、ベンチャーズ時代のイメージがある、これにギブソンのファィアーバードなど、使い勝手が悪そうな感触を思い出した)ずっと聴いていたかったが、隣のバーで堀井さんと長話、バンドタイムが終わり、女の子のジャズピアノのオリジナルは秀逸、弾き終えたタッチの真似などして堀井さんにたしなめられた、そして私、このところオープニングを飾る「週末には」で一気に!そして少々のリップサービス、「IKOIKO」と繋ぐ、私2曲目で「ゼーゼー、」客席の大畑氏より「まだ2曲しかやっとらんがに何ゆうとんが!」と叱責!まあこれは半分パフォーマンス、最初「ロックは一人でも出来るんだー!!」…なんてやったもんだから「ロックは一人では無理やな!」…をやるつもりがコケてしまった。深夜にもかかわらず来て頂いた五島氏、感謝です!友部正人の「絵日記」を金子光晴の所を「住田さん」に変えて歌った。今年初め、亡くなられたが、時々はこうして歌で皆さんとお会いしょうと思う。「兄弟」「俺の神様」と続き、わたしが「最後の曲です!優しいカントリーソングを…」とMCをした後に「ホーボーズララバイ」を弾くつもりが「ひまわり」を弾いしまい、大谷2連発をやってしまい、「しまった!」と思ったがもう遅い、イントロを間違えて弾いて前にも同じことがあった。(ライブでではない)しかし、ピアノの女の子の友人でボーカルの女の子が結婚するとのことで曲中、「彼女も曲の物語のように、子供を生んで幸せに…」なるMCをやってその後、「はげんでね!」と付け足し爆笑、お幸せに…イベントも人が少なくなりつつあったので「Aトレイン」をやる。内容は「一番列車で行くんだー!たとえー5時まで呑んでてもー(以下省略)」…といった内容、そして最後に…「このイベントを長く続けて行こう!」で結んだ。最後のバンドもまだ荒いながらも楽しめた。終わって皆さんが「大変良かった」の言葉はおおきなエネルギーになる。特に主催者下重氏の、「僕的にはホームランでした」は本当に嬉しい、またやりましょう!堀井さん何杯もビールご馳走様、また弾きましょう。翌日もライブなのでそうそうにねたが午前3時過ぎ、疲労困憊なり、しかし心地良し!

「9月17日加賀市橋立町「加佐の」2005/9/20 

本日はまことに感激だらけの日、高校時代から数年間憧れた、「センチメンタルシテイロマンス」の中野督夫氏、「めんたんぴん」の池田洋一郎氏、佐々木忠平氏、そして「Tバード」の田島康文氏、佐々木克彦氏との共演である!これを感激と言わずして…だ!本日も歌えないが…北陸的には超豪華版の出演者なので出演者としてステージに立てる(座る…実際は…)だけでもよしとせねば!現場一番のり、「加佐の岬倶楽部」のどこかにアンプを下ろして、公園で車中仮眠するつもりが……PAセッティングを手伝うハメになり、大汗をかく、(まあ、いいけど…)PAセッティングはこの間からの懸案だが…実際は大変なものだ、そして今日はチョウコウ機まであり、大変だ…実際!そうこうするうちに、私がかかわれる範囲のセッティングは終わり「Tバード」の田島ヘッケル、康文氏、佐々木越中、克彦氏現る、田島康文氏には3月に「ビッグピンク」にて聴いて頂いたことがあり、その時の御礼を述べた、3人でコーヒーをとりながら、ファンだった私は当時の思い出話をさせてもらい、佐々木克彦氏にはコーヒーまでご馳走になってしまった。田島康文氏は現在はボイストレーナーとのことでそのうちお世話になるかも…携帯番号を交換し、スチールを組み立てて、庭にあったハンモックにて体を横にする、大変気持ちよい、しばしの至福の一時、洋一郎氏は遅くなるとのことで、まどろむ間もなく、中野督夫氏到着、「今日ペダルスチールを弾いてくれる?」に快諾、「もちろん!」リハーサルはドラムとベースの若い方と(すいません、お名前忘れました)田島氏、佐々木氏、が督夫さんのバックコーラスに入るラインナップ、やってみるとやっぱりさすが、コーラスワークはTバードの二人は絶妙だ!私も入り、「うちわもめ→カモンベイブ」でレスリースピーカー効果のハモンドオルガントーンで決める、「あの子の家の町明かり」では、久し振りにペダルスチールの王道のノーマルE9th(もとい、微妙にB6th、これはこのところのソロパフォーマンスの影響でもはや、E9thだの、B6thだのは関係無くなってきた感じがする。)で督夫さんが「それ、いい、いい」と言って頂き嬉しい、2曲の予定が何曲か追加、正直言うと、ライブだのなんだのより、ずうっとこうして、音を出していたい!これも至福のひとときである、ソロパフォーマンスに比べれば、バンドはかなり余裕しゃくしゃくである、(というか、洋一郎氏とのデュオに比べれば…そのくらいのじつは綱渡りである)洋一郎氏とのリハーサルも済ませ、持ち物整理していると…洋一郎氏が「おーい!早く来ないと、無くなっちゃうぞー」私「ハーイ!」と、控え室ではなんと!「カニだー!!!」もう山盛りのカニに感激!このところの小食で胃袋が縮まってるのが恨めしい、寿司つき、カニを喰うときはみんな無口になるっていうが本当だなぁ…食い終えて満腹の人が…「今日はこれで大満足で、ライブなんかもう、どうでもいいって感じだなぁー、」に皆さん方爆笑!私は皆さん方が去ってもカニと対峙している…いかん本番はじまっちゃったー慌てて、カニクサい手を洗い、客席へ、奥能登輪島の中宮さんが来ている、それからへいちゃんも、有り難いサポーターです。特に中宮氏は能登の御意見番、毎回クリアーすれば必ず道が見えるはず、しかし相変わらず厳しい方である、オープニングはベースとボーカルのギターデュオ、なかなかどうしていい味だしてる、セッションのリズムセクションを任されてるだけあるなあ、中宮氏は「これは最低限のことやわいね」とやはり辛口だが…地元民の女性ボーカルはカラオケでステージだが…オリジナルはともかく、体に歌とシンクロナイズするリズムが無い、これは致命的、ステージに上がったら恥も味にしなければ!「女」を感じさせる曲だっただけに、体にリズムさえあればカラオケも味になるはず、ご一考を!そしてTバードのお二人、さっき、お茶を飲みながら話た時は謙遜しておられたがコーラスワークは往時に勝るとも劣らない秀逸さであった。欲を言えば、カバー曲でなく「Tバード」のオリジナルでステージを構成して欲しかったが、お二人が今現在歌いたい歌を歌うと言う姿勢は尊重されるべきである、もしかしたらプロミュージシャンとしてやってた時代より、イイ感じなのかもしれない。「心だけ少年」は正に秀逸、そして…私も同じ心境、それともう一つ、アイボリーコーストに出ておられる関係上、「お客様の聞きたい歌曲」を演奏される姿勢に不服はありませんが…小編成ならば特に、「今の考え、今の世界観を盛り込んだオリジナル」を聞きたいのが本音ですが…絶対に営業ライクになって欲しくい…、これは私、いやTバードファンの殆どの人の願いである、言い切るけど。ここで佐々木忠平氏登場!傍らには松田かおりチャンがいる、楽屋で佐々木忠平氏に挨拶した次には、「日本にロックなんて無いよ!」と言われ返す言葉が全く無く、しかし逆に言えばロマンチストってことか?と思い直した。忠平氏の演奏の後佐々木忠平氏と歓談したが話の内容は上手くかみあわなかった、かたや地方競馬愛好家かたや、富山競輪愛好家では上手くいくわけないと思った、ギャンブルでも異質なものだ、忠平氏は「競輪場はまるで刑務所のようだった。」この言葉に思わず頷いてしまった。競輪場はものの見事にオヤジの世界、若い女の子なんて存在しない。たまにいても、お水か、婆さん、足に蛇のモンチャンを入れて見せびらかしている女の子とかいたりする、(これはこれで面白いけど。)しかしなあ……刑務所か、松田かおりチャンは私は案外良くて、もう少し歌って欲しかったなあ……。しかしこの二人で日本の競馬場で営業をやればそこそこいけるのでは?それとももうやってるのかな?活躍期待してます。そして我々、洋一郎さんと私、トリ前である、例によって洋一郎さんはライブのテンションを高めんものと、「最初ねえー、Bマイナーのブルースから始めるから。」洋一郎氏は毎回アーティスティックである!しかし今日は飲みすぎ、日中暑かったとはいえライブ前はセーブしなきゃあ!演奏の細かいところを抜きにすればたしかに熱い演奏で危ない感覚をはらんでいる、アンサンブル上というよりはプレイヤー同士のやり合い、パーカー&ガレスビー、いや待てよ!でも、モンクとマイルスと言ったら縁起でもないか…、後日談、「いやあ、昨日は自分の世界に入り過ぎてたよー。」まあ、今度はクールにいきましょう!我々二人はB型なのだった。気をつけましょう、お互いに…、(これは自分本位で突っ走ってしまって、周りが見えなくなって孤立したりする危険をはらんでいると言う意味である!しかもB型人間同士はそうなっても意固地にまだ突っ走ってしまおうとするから厄介である!)後から聞いてPAセッティングは最悪だったとのこと、PA卓の位置が悪かったこともあるが反省すべきは演奏にのぞむ体制だろう、お金を支払っているお客さんが存在しておられ、お客さんがまたリピーターになって貰わない限りは「プロミュージシャン」は存在できないのだから…絶対に。(いや、まあそんな単純な問題ではないが…)最後メインアクトの督夫さんである、さっきからいろいろと気を使って頂き、恐縮でした。毎日の演奏活動を証明するかのようにライブは秀逸である!アコースティックはしかしさりげない魅力がある反面、数多くありすぎる点も否定できない、しかしそれだから多くのフオロワーがあり、共感できる人々が多く仕事になるってことか、我々ペダルスチールはそれが無い、北海道のPETA氏もアコースティックギターのフオロワーに支えられている、督夫さんのステージは進み、バンドバージョンに参加する。「アイシャルビーリリースト」で最後の曲その最中に主催者の楠澤氏が「ロストプラネットミュージックホールやって」と耳打ちされ、「アイシャルビー…」終了後「ロストプラネットミュージックホール」のリフを弾くが誰一人入って来ないので引っ込む。洋一郎氏が「A7」「A7」と繰り返し、佐々木忠平氏をボーカルに全員登場、忠平 氏「昔、国中の~」と歌い「ツイストで夜を明かそう」をやる。楠澤氏に終了後迎えられ、「いやあ、スチールは素晴らしかった!」と激賞していただいた、ありがとうございます。楽屋にて「センチの曲を良く知ってるよね~何も言わないうちから、もう準備できてんだもん!」と督夫さん、「そりゃあ、かれはセンチの大ファンだもん」と洋一郎氏、(違います、と言えない状況だった、今はセンチの曲は好きだが…当時は聞いたことがなかった、ファンだったのはTバード、これも照れくさいから言えたもんじゃない、本人さん達の目の前で。)洋一郎氏、更に、昔、「少年マガジン」のLPの懸賞で 「めんたんぴんLIVE」が当たった経緯を話した。ちなみに、その中の「ロック野郎」は良く使わせてもらった、作曲本人洋一郎氏が今はあまり気に入って無いというのは意外だった、オリジナルとは案外そんなものかも知れない、本人さんはそれほどでもないが…周りの人々の心に残っているということ、多感な10代後半から世の中に戸惑う20代前半中盤まで私、千田佳生の心の憧れと支えであり続けてくれていたのだ、敢えて今、北陸と中部の音楽、ロックの先輩方に御礼というか、感謝を申し上げたい。時と人々の繋がりの末に、今日は、皆さん方と一緒に演奏活動ができたという「幸い」を得た、今回、何回も書くが、ありがとうございました。 それにしても、少年マガジンのあの懸賞で「めんたんぴんLIVE」でなく「アイドルワイルドサウス」が当たってたら今の幸せは無いのかも……あの時は数枚のハガキを出してもう一枚「安全バンド」のレコードが欲しいと思ったことは覚えている。後日談、督夫さんのセッションは福井県今立の「茶コール」の箕輪さんの助言もあってのことかも知れない、それと古くは、ウエットバックの谷口幸至郎さんライン、なにわともあれ撤収で皆さんで汗をかいた後、楠澤氏宅で打ち上げ、午前2時頃、督夫さんの感謝の包容を受けて、洋一郎さんと同時に家に帰ったのだった。

「デビッドリンドレーさんのこと…」2005/9/19

あまりにスチール関係の話をしてないのでたまには…私が大影響を受けたミュージシャンの内の一人、ソロアクトの他、ジャクソンブラウン他のセッションワークでも知られる、そしてこの人は私が次のステップを踏む時にかならずサゼスションを与えてくれた人だった。スチールプレイヤーの中にあっては最も一般人に知られる人の一人だろう、ファーストコンタクトは1983年にエルラーヨエキスで来日したライブに触れてカントリーのスチールしか知らなかった私は大影響を受けたカントリーのスチールにも大影響は受けていたが、スチールの可能性を暗に示唆してくれた、またステージから「あんたもやんなきゃ!」と言われてるような気がした。人生に影響を及ぼすライブはいくつかあったがあのライブは正にそのうちの一つだった。そして自分の音楽をやるようになり、しかしながら、「こんなソロアクトが通用するもんだろうか?」迷いの中手探りで自分のスタイルを模索中の時だったが…(これは今でも続いている。)二度目のライブを金沢市で見た時、パーカッションとのデュオの形態、然もラップスチール、シンプルな6弦、よくもこんなに沢山の楽曲を演奏かつ作曲出来るもんだ、と思った。シンプルさが逆に武器になる。例えばフオークシンガー諸氏のやっている弾き語りはいやでも歌にギターに集中せざるをえないシチュエーションである!少しズレてるかもしれないが………シンプルな潔さ………と、おもわせておいて………相手のむこうズネをさらう。デビッドリンドレーさんにはまた助けられた、落ち込んでいるとき自分より体がかなり小さな老婆に「しっかりせられ!」………をやられた気がした。自信のなさは吹き飛んでしまった。ラップスチール出来ることがペダルで出来ないはずはない、大まかにはそう思ったかもしれないが……ありがとう。デビッドリンドレーさん。

「先週のオールドタイム」2005/9/19 

先週のオールドタイムは今回こそお客さんゼロかなあ…と思いつつ始まった。開店当初からのお客さんと、カーペンターズの「オンリーイエスタデイ」を皮切りに、70年代アイドル曲のパレード大会(当然、インスト)やってみると、メロディが面白い。だが…恥ずかしいなあ!!今はオバサンに進化した(退化、劣化か?)アイドル達の若かりし頃の顔が浮かぶ、それと高校時代の出来事、友人、榊原郁恵ちゃんの豊乳、きっと若いころは肩がこっただろうなーとか、清水由貴子若いころからオバサンぽかったなとか、(ゴメンナサイ)岡田奈々の曲は秀逸だったなとか、本当にとりとめも無いことを考えて弾いた、門島氏来て頂き「草原情歌」「花」など一緒に弾いた、終わって、二人で大谷ひろゆき氏と、その妻が巻き起こした、ハモニカ事件について事件の経過を詳しく聞き、二人で大谷の所作を大批判していた、あの松林ねえさんのハモニカを借りてライブをやるふりをして自分の情欲望を満たすとは外道も外道、ド外道である!………と言わざるを得ない。借りるなら、他の男性シンガーか、自分の妻のハモニカを借りてやればいいのである!いたいけな何も知らない少女に淫行を仕掛ける中年男の所作である!うたがわしきはハモニカではなく大谷の行いだ!奴は一切吹かないで吸ってばかりいたに違いない、このハモニカは勿体無いなどと言わず供養したのち倶利伽羅不動尊に納めるべきである!真面目に解釈しないようにネ。

「マイケルとZOE.ジュンジュン」2005/9/15

水橋バブテスト教会に招いてくれた、マイケルとZOE.ジュンジュンと再会した。思えば彼らと会ったのも、ここ駅地下だった、前回、香港とマカオの教会団体20数名に混じって聞いてくれたのだった、今回も偶然通りかかりだという、あ、ストリートを聞きに来たと言ってたっけ、再会を喜び合い、そして意外なことを…「千田さんスキヤキミートザワールド、でたの?」と聞かれ、「いいや、最初エントリーしたけど出なかったんだ。」彼ら「やっぱり!」「みんな千田さんが来ると聞いて楽しみにしてたのに!私達はゴスペルクワイヤーで出ました。」私「!、そうだったのかあー。」「残念…」ことのいきさつは前の日記のとうりだが…つまらない意地を張ってしまったのかな…でもあの状況はしかたがない。前の日記でジョイナーと書いた女の子はZOEの間違い、だった、それとジュンジュン(この人は日本人の女の子)再会を祝してドクタージヨンの「IKOIKO」をやる。嬉しい気持ち、毎日がこのところ感激だらけ、マイケルやZOEとメール交換をやり、またの再会を約束し別れた、どうもありがとう。そのあいだオッサンが「北島三郎やれー」とだだこねやがるので、北島三郎と島倉千代子の曲をやる。マイケル達苦笑い、俺も、このオッサン駅地下のホームレス、だが「今日は金あるぞー」と500円置いていく。(マイケル達が帰った後、オッサンに金は返した。)ふと気紛れに「誰か故郷を思わざる」を弾いてみた、良い曲だ!故郷を思う心情はどこの国も同じ、年齢に関係なく、日本のカントリーソングだが…これをやれと言われたら、抵抗を感じかもしれない、私もややこしい人間だ…そうこうしているうちに、いつもの青年と以前「オールドタイム」でソロを聞きに来た青年と会う「あれは凄かったですよ」と言われ嬉しい気持ち、そのうち、サラリーマン数名の方が聞いてくれて、最後、「最終列車」を演奏、サラリーマン氏に「あなたはカントリーから入ったのか、それともハワイアンから入ったのか」と聞かれ、カントリーと答える。マニアックな発言にもう少し話をききたかったかも、最後に「最終列車」を演奏した。そういえば、信州の山岸先生はお元気だろうか…この曲は山岸氏から教わった曲だが…彼は500円置いてくれたが同じ500円でも明日の飯のあても無いオッサンからもらえない。(失礼)マイケル、ZOE.ジュンジュンまた会おう!

「堅町ストリートにて。」2005/9/14 

金沢市堅町ストリートであるが…おかしい?誰一人居ない?かなり前だが、何組か平日でもこの季節はいるはずだが…おかしいな?ひょっとすると、町内会が浄化と称して禁止を打ち出したか?スチールを持ち出す勇気が湧かない。困ったな…せっかくここまで来て…、嫌な予感、今日は帰ろうか…弱気な自分に加速がついてくる、文句を言われるのはヤだし、いつまでも迷っている自分が腹立たしい。「いいや、やろう!」ほかの町のストリートでも似たような経験はしているがなんか今日は特別だ、スチールを組み立てて弾き始める、この弾き始めるまでが異様に汗をかく。意識は冷静だがかなり緊張している証拠だろう…やりなれた場所ならこうはならない、人間の体は不思議なものだ、すごい汗、スタンダードを暫くは弾きながら歌い出すタイミングを図っている、これは何時ものパターン、暫くして、軽ワゴン車が前に止まり、「千田さーん!」私「!」一年以上前ここで一緒に演奏したLOG氏である。「いやあ、会いたかったんですよー。」いやあ私の方が不安が吹き飛んでしまった。聞けば彼LOG氏も名古屋方面に演奏歌い旅の帰りだという、今朝汗だくで目覚めたことなど私にも覚えのあることばかり。せっかくだから一緒に演奏、彼LOG氏の曲は秀逸だ、いろいろ尋ねた、何故こんなにストリートが居ないのか、まさか禁止になったのでは?とか、金沢路上組合(イイ名称だ!)は現在どうかとか、いろいろ… とにかく珍しく予感が外れた、リラックスして演奏、LOG氏は一緒に演奏した時のことをよく覚えていて、なんかとても嬉しい気持ち、途中高岡市の「ショータローバー」で以前演奏を聞いていただいた方が通りかかり、聞いていただいた、「一発でフアンになっちゃったんだよ」とLOG氏に言って頂き恐縮する。しかもLOG氏のCDも買っていって頂きありがとうございました。女の子も3人聞いてくれている…ずーと…大変嬉しい気持ち、一転!ほがらかな気持ちになれ、覚えてくれていたLOG氏と彼のフアンの女の子に大感謝!良い夜でした。

「書き忘れたが…」2005/9/13

岡田代表がスピーチで微笑んだり、軽く、小泉純一郎氏のように、いやウィットに富んだ話し方、接し方、(あくまでもイメージの話)をすればもう10議席は伸びたのでは…?理念もその人のひととなりには勝てない場合なんてくさるほどあるよなあ。

「日曜日ストリート」2005/9/13

本日は衆議院選挙、朝、投票を済ませて、富山駅地下へ、「千田さーん」との声、5年前に関東の方に行ったストリート仲間内の通称「あぶさん」である。用で帰省したとのことでしばしの懐かしい話しをした。今日はたっぷり弾くつもり、そうこうして、戸出の「ラブスプリーム」で常連客の某中学校の教諭氏が通りかかり、「いやあ、今日は生徒の引率なんですよ。生徒に聞かせてくれませんか?」こんなこともあって楽しいものだ…。電車待ちの時間まで「ホーボーズララバイ」面白いのは生徒さんの以外に満ちた顔、中学生徒さんは思春期特有の刺激に敏感なはずだ、極端な反応が見てとれた。お礼を言いあって別れ、しかし「ホーボーズララバイ」とはまた、地味な選曲だったか?彼に感想を聞いてみたいものだ…。今度は能登は七尾のエレキギター大好きおじさん(失礼!)冬場に聞いてもらい涙を流していただけた方である。しばし話しリクエストに応じ(ディオンヌワーウィックの曲らしいが題名は分からない)今度もうるうるしていただき有難うございます。ペダルスチールを始めたいと言われ、よく考えた方が良いと答えた。それでもいろいろメモ帳に書いていかれた。(健闘祈ってます!でもよく考えて…)今度はバレエの発表会帰りの母娘、質問のほか、子どもさんが触ってくるのをお母さん、再三再四注意しているが私は失礼な態度でないかぎり子供さんには触らせてあげたい。「いいですよ」に「すみません」で恐縮しました。きけばフュージョンバンドでピアノを弾いているとのこと、「私もジャコパストリアスの大フアンです!」に大喜び、「チキン」を弾いて喜んで頂く。「今度ライブに行きます」と言って頂き恐縮しました。娘さんに弾き方を教えながら、ハワイアンのグリッサントを体験してもらう娘さんに喜んで頂く。又しばし弾き、今度は朝日町でオカリナ奏者の方伴奏する。しかしこの手の楽器はキーが不安定なものが多い。スチールだから相手にキーを合わせることは可能だが固定チューニングの楽器は大変だなと思う。フレット間の3分の2、4分の3、5分の4、6分の5、…大変、笛の門島氏も大変だが、楽器生産者はキー音程の悪い楽器は出荷しないでほしい。「千と千尋の神隠し」「コンドルは飛んで行く」などなど沢山弾きクタクタ、二巡目の途中でリタイアさせて頂く。疲れて車に楽器を運ぶ気力が湧かないまま佇んでいると、いつもよく聞いてくれる青年、今日は自分が弾き聞かせてくれる、アルペジオとストロークがおかしいのでレクチャー、良い曲だ。帰ってテレビをつけると自民党が大勝利を収めていた。しかしこの大逆風のなか、それをものともしない綿貫氏国民新党は危なげなく当選、これがこのことが経済の安定の重要な要素なのか…沈んでいるものが沈んで、浮いている物が浮いている安定関係、下克上は都市圏のもの、田舎は変化を望まない。とはいえ「郵政民営化」に大多数の人々が判断をしたことになる、民主党の岡田代表が辞任、私から言わせて貰えば、党内の力関係で彼、岡田が代表になったことがそもそも街ではないか、若い頃から注目していた、菅直人氏がつまらないことでつまづき、民主党のリーダーを降りた時からイヤーな予感はしていた、小泉純一郎氏の後はいったい誰に?自民党がまた来期の選挙で肥大化しないうちに菅直人氏もとい、民主党には頑張ってもらいたい、小泉純一郎氏の後はおそらく阿部晋三氏だろうが後大分時間がかかるだろう…それにしても、小泉純一郎氏の後のリーダーは大変だ、…って何の話しをしてんだか…とんでもないな!!

「ストリートにて」2005/9/9

 富山駅地下へ、久々ストリート、台風が来ていたのできっと誰もいないと思いきや、ミナミ君と竜君、しかし彼らだけ、演奏開始、今日は良い感じ、数曲階段に座って聞いてくれたカップル音楽をやってそうな感じ、始める時ストリートを前回やって大変喜んでくれた「松林ねえさん」を誘った、声量の関係上マイク、ギターをラインインする。細川ギター教室の基礎があり、艶歌に通じる声の艶やかさが良い、数曲やって、今回は前回程の反応はないが、楽しく過ごした、私もソロで歌う、何よりもストリートに付き合っていただける友人がいることを私は大変ありがたく誇りに思いたい!…しかもこういったストリートは若い子たちなら許されるといった勘違いされた風潮がある。実際は音楽的なところでは年期が入っている人の方が良い音楽を演奏出来るはずなのだが…残念ながらそうでもない!いろいろな歌や音楽との関わり方「たかだか歌」…だからこそ楽しいのだろう…とも思う。あまりに冷めた音楽との関わり方に「ムッと」して「ムキ」になることもある、某氏が「歌なんて、自分の為に歌うもんだ」…常に楽しく歌い聞かせてくれる彼女には本当にそう思う。しかし、相手のことを考えず「一方的」だったらこのグルーヴは生まれないだろう、家事やお仕事の合間の「本当に楽しいこと、そして歌を作り続ける姿勢」に拍手を送りたい。何より良い歌だ。富山駅地下や山形駅構内など良い歌音楽を演奏出来るストリートOKの場所がだんだんなくなっているらしい、いつも言っていることだが、「楽しい空間」を維持する為に、極端な音量や、かなり迷惑な行為、駅地下を汚すこと、他、富山駅地下を永く続ける為に、そして私も見守って行きたい。こういったことは人口との比率といった事と無縁ではないだろう…、博多駅構内や、仙台市はストリートを全面禁止にしたらしい。「みんなの集い楽しい空間」かつて東京には「原宿歩行者天国があった」これも人口との比率と無縁ではないだろう…、なくなっていった原因は…しかしいつかは富山駅地下にも「流血沙汰」とか起こって使用禁止になるのかもしれないが…予定調和外、混沌からの発生、今でも私はそれに魅力を感じてる。ジェファーソンエアプレーンは歌った「私達は集まれる。一緒にいよう、私達は混沌からのエナジー、壁にぶつかっている、壁を感じてる、壁を取り去るの、やってみて…」一匹狼的な私でもこの曲には惹かれてしまう、「これはこう」といった決めごとは苦手だが、お互いが暗黙の了解のうちに秩序が整って共存できる。といったことには大賛成!「しばられてない」といったこと「心の自由」を感じていられる思い。大切にしたい気分だ。(実際そんな上手く行くわけ無いが…)

「8月21日小矢部クロスランド」2005/9/8

本来なら、本日は福野「スキヤキミートザワールド」のフリースペースbitにて演奏出来る筈だった、しかし、主催者の一方的な出演日変更の為、出演を見送らざるをえなくなってしまった。代わりとして、PAなしで歌わせようとしたり、話しの持って行き方でそれに出させようとしたり、失礼である。間違いは誰にでもある!経緯を説明して欲しかった、それで、開始を20分早めて出演を要求したが出来ないと言われ、少しムキになった。「昨年もそのまえも遠方から来たバンドに1時間以上ステージを使わせていたのに、出演ブッキングのミスを補う為の20分が何故動かせないのか?」このことに対しても明確な答え方を返してこない、「スキヤキ」に出演して10数年になるが、こんな不誠実な答え方はあったもんじゃない、遠方のバンドに甘く、地元音楽家に対して辛い印象を今回のことで持ってしまった、これは中傷ではない!今年はスキヤキミートザワールドのライブが空いてしまった… 。しかし数日前に、大沼氏、五島氏より地元「クロスランド小矢部」にて、自主ライブをお誘い頂き、自分のこの憤懣も鎮められる思いがあった、本日クロスランド小矢部の休憩所に於いて決行、出演はフアンクスと私、千田佳生である。PAオペレーター、セッティングが決まらず時間が過ぎる。PAオペレーターの勉強は皆さんでしなければいけない、五島氏一人にまかせっきりでは酷である。フアンクスが終わり私、今日は高岡市「ウイングウイング」で演奏を終えたばかりの「松林ねえさん」をゲストでださせて頂く、客席はダレ気味なので締める!中国人の女の子の集団が前に陣取っている「週末には」から始まって、お客さんの中田さん、彼女達の思いを察したのか、「中国の曲やってよ!」の声、では…「サクラ」のアルバムの中の曲名は分からないが演奏…大きい反応あり、彼女達は近所の「Mニット」の女の子、彼女達は遠い中国から来て日本人にどんな気持ちを抱いてるだろう…観光での来日ではなく福利厚生の面でもきっと大変だろう…そうこうしてゲスト、「松林ねえさん」(未だに本名を知らない)ギブソンのギターを持ち歌い上げ、(ギター購入はその人の情熱のバロメーターだと私は思う。艶歌に通じる色っぽさが彼女にはある)4曲歌い上げ、会場の中年男性諸氏をナックアウト!やるねー!…んっ!それとは反対に中国人の彼女達は退いている…(彼女達は大沼氏がつれてきたらしい)???同性の歌には興味がないらしい。「ラッキーオールドサン」の後「ノーウーマンノークライ」で出演者をステージに呼び締めくくった。皆さんご苦労様、またやろうね。しかしながら課題も残した、PAオペレーティングは皆さんで勉強しましょう!

「9月4日城端「バブルホィッスル」2005/9/5 

昨日の興奮さめやらぬ中能登の中宮氏と話していると…携帯が鳴り、何と、元「じゃがたら」のOTO氏から、「本日、城端で弾きませんか?」とのこと無論快諾!城端桜ガ池近くの野外ステージでは色んな人たちに挨拶される、コテージのリハーサルでは良い感じで挨拶を兼ねて演奏、OTO氏に「いやあ、千田さんは富山名物だから是非、みんなに聞かせたくてねえー」と言われ、「立山アルペンルート」や「鱒寿司」「ほたるいか」と同列に言って頂き嬉しい?まあ…いつかそうなるように、会場はライブを見ながら、バーベキュー、いいなあ、最高だ…ビール美味し!OTO氏のバンドとも打ち解けて演奏、去年は特に、大絶賛されたが、去年のことを覚えている人が声をたくさんかけてくれた。嬉しいものだ…こんな自分でも絆がどこかで育まれてきたのだから…演奏はうまく行った、しかしながらライブが進むにつれ、演奏…より、「歌いたい!」という衝動が恐ろしいほど大きくなった、特にレコードデビューを9月に控えた「山崎雄弘」氏の歌声を聞いた時にはどこかで…と思ったが雨のためそれもかなわず、結局打ち上げの席で勝手に演奏…やっと楽になった、しかしながら、一部の人たちには場壊しだったかも…、でもいいや、熱心に見てくれる人もいて、小池さんとセッションは秀逸、セッションは良いなあ。楽しく時は過ぎ来年の再会を誓い合ってみな帰っていったのだった。

「9月3日小松市「タロウ」桑名晴」2005/9/5

本日小松市「タロウ」にて桑名晴子さんバンドと対バン、このライブを行うにあたり、洋一郎さんのチケット購買力、営業力、地元との信頼感系のたまものである、ライブをひとつ行うにしても、知り合いや友人、にチケットを売ってまわるといった行動が自分には一番ヘビーだ、ダイレクトメール、やEメール、といった方法もあるが、出演バンドにギャランティーを捻出して、最低限、赤字を出さない!……考えてみれば大変な作業である、これを自分のライブに当てはめて考えてみれば、実は…この作業がつらいというか、方法を確立していない自分が見えてくる。ライブをやってお客さんが来なくてライブハウスにご迷惑をかけてしまうのはつらい気持ちだ……、しかし、何らかの方法を考えなくては…「地下ー」の青木タカオ氏の方法が自分には相応しく思うが、それも大変な作業である、みんな本当に努力してると思う。ストリートは手軽に演奏出来るが、音の問題、や我が国ではストリートミュージシャンに対してまだまだ格下扱いと言うか、ストリートミュージシャンそのものの認知のされかたが無い、若い人が既成ミュージシャンのソングブックを広げて聴くに耐えない演奏をされれば、いかに玉石混交と言えどもストリートミュージシャンは覚悟して、この繰り返しの中で活動を続けていくしかないだろう、ライブを打つのが物憂いからストリートに出るのはやはりいけない、ストリートは自分を鍛える作業であるが、あるいは演奏力の維持とか……ストリートに逃げ込む演奏活動は避けなければ…ライブハウスでアーティストとしての認知されることは財産である。さて、ライブは、私は早めに「タロウ」に入り、素麺とオイルサーディンで食事、ビールを飲み、ゆっくりする(今のうちしか飲めない。)洋一郎さん、輪島の中宮さん到着。(中宮さんには本日のPAオペレーターをお頼みした)ステージを設営、中宮さん久々の現役プロアーティストのPAオペレーターに興奮気味、頑張ってください。リハーサルでなかなか音が決まらないが、先々週からみればどおってことはない、リハーサル終了間際に桑名晴子さん登場、天野翔氏(ベース)になんとタコヤキ(長田和承)氏も同行していたギタリストでスチール奏者(ラップスチール)実に10数年振りである。旧交を交わしたあと仮眠。再びリハーサルで、中宮さんより、スチールの音に対して色々と意見を言われ、それがデビッドリンドレーに通じる音色を要求しておられることとわかり考えてみればハードにドライブするスライドギターをあまり弾かなくなっている自分に気がついた、スライドギターをもう一度「きょうも小松の町は」でやる。やはり初心に帰った気分になる、マニアの袋小路に入ってはいけない、流石に奥能登のロック御意見番である。本番は洋一郎さんの声が後半疲れた感じがあったほかは及第点と言って良いと思う。ステージアクションとして動いていたし、気合いの入った歌声だっただんだん調子を上げておられる、ところで見れば、最前列に女の子二人、晴子さんの話しによると、掲示板でライブの前座をやりたいと書いてあったそうである、彼女達はストリートミュージシャンだそうで、今日の晴子さんのステージはとても頼もしく映ったに違いない、ギターやウクレレを持ちながらリズミカルに体中を揺らして、しなやかさを出されてしまっては、ここにいる男性ミュージシャンではどんな良い演奏をしても太刀打ちできそうもない、「女の子達に憧れられる女性ミュージシャンも良いものだ。」と素直に思った。ふと、このライブ会場が、20代や10代の女の子、いや女性で殆ど埋まった会場だったら、どんなステージパフォーマンスをするだろうか?と想像してみたりした、20代の女の子達の憧れの的でいられる女性ミュージシャンでいてください、アンコールはセッション、洋一郎さんと私、洋一郎さんのギターは秀逸、天野翔氏のベースもタコヤキのスチールも良い演奏でライブを締めくくった、私はオルガントーンで演奏タコヤキ氏と音が被る心配も無く、中宮氏も「チャンネル別系統にしといて良かった」が何故だか印象的だった。終わっていろんな人に絶賛されたが自分なりに反省も感じたライブだった。まあ、あくまでもテクニカルなことだけどね。洋一郎さん、本当にご苦労様でした。ゆっくりと休んでください。

「白山ミーティングat獅子吼高原」2005/9/1 

8月27日なんと今週も獅子吼高原である、コンセイさんと今週も「越中さ」同士の楽しい会話で始まった(笑、彼女は高岡市の人、富山県人同士、然もゴセイ同士とくれば会話の内容も泥臭い)早速、又兵衛さんにご挨拶、ある程度予想はしていたが知り合いだらけ、去年末ライブさせて頂いた「知生庵」さん、ネパールで知り合い、長野県高遠から来られたインディアンフルート奏者「かつみ」さん、昨年、黒部川のレイブに招いてもらった「晃平」さん、「メロメロ…」の熊野さん、など。夏休みもあとわずかなので家族連れの人々やフライト(パラグライダー)の人々を見ている。特にパラグライダーの飛ぶ様子は圧巻でずうっと見てしまう。古くから鳥になりたいと望んだ人類はついに風と上昇気流に乗って飛ぶことに成功した、オットーリリエンタールや二宮忠八といった人々が今日のハングライダーなどをどんな気持ちでみるだろう、パラグライダーもハングライダーも飛行機が既に発展しきった後の産物、動力源なしでも飛べる、然も素人でもインストラクターつきでタンデムフライト出来るのだから凄い!話しを戻して、白山ミーティングは食費は殆どかからずと言うか、大変皆さん方にご馳走になった、まっ昼間のビールは効いた、このところ小食だった為あまり入らなかったのは残念、もうすぐ秋を感じさせる空に、車の中でまどろむ幸せが有った、バッテリーアンプとスチールを持ち出して、弾き出す。オクラホマから来られたギタリスト、ダステイ氏とセッション、彼はペダルスチール奏者のバデイエモンズやスピーディーウエストのことも知っていて彼らの存在しかしらずレコードなど一枚も持ってない私は恥ずかしい限り、いいかんじでセッションは続いて、そこへイージータク氏も加わって、路上での演奏に見入ってくれる人々も出だしたところへ福野町の「サムデイ」のマスター登場、大変乗って聞いて頂いたギタリストのダステイ氏とマスターが交流して、出演の話しをしているところなど、なるほど、ミーティングだなあ!皆さん方にきっと良い出会いがあるだろう。来週小松市の「タロウ」で一緒になるかの、桑名晴子さん登場、挨拶を済ませ、ゆっくりする。実は……リハーサルで盛り上がり過ぎてバテたかも…又兵衛さんより促されて、路上での演奏を屋根付きの仮設ステージへ移動、洋一郎さん登場、少し体調が良くないそうで心配、山上のライブのセットをする。PAが来るまでバッテリーアンプはやはり大活躍した、今回持って行ったアンプはクレートアンプ50w2台.グヤトーンジャム15w2台,thin10w1台いつの間にかこれだけ家にある、1台はカキちゃんの物だが、断るのを忘れてしまった…、演奏開始サムデイのマスターが場を盛り上げてくれているありがたい!洋一郎さん体調不良ながらよく踏ん張ってサムデイのマスターや他の人の感想や評価もすこぶる良好、かつみさんは高遠に来た折りは大歓迎の旨を告げられ嬉しくなる。サムデイのマスターも洋一郎さんのギターと歌を大絶賛していた、ありがとうございます。わたしが2曲歌って、イージータク氏登場、「それはスポットライトではない」「ワイルドウッドフラワー」など気持ちよさそうにうたわれて、いよいよ、桑名晴子さん登場、ソロアクトながら大変素晴らしい演奏、2曲かつみさんとコラボレーション、2曲目で「キーはB♭かF」と言ってセッションを促されて入らなかったら男の恥である、素晴らしい演奏だった。……と思ったら「少し♭してたわよ」と言われ、いきなりのセッション(乱入か?)チューニングが甘いスチールを弾いてしまったことに少しだけ反省でも晴子さんのプロ根性が立派だと言うのに尽きるかも、洋一郎さん曰わく、「彼女のねっとり感が欲しいんだよね!しっとり感っていうか…」そうそう殆ど呑む機会のない大吟醸酒「萬歳楽」を大量に呑んで、ベロベロで演奏したんだった!酔っ払って演奏はいけないね!!………でも、幸せだったんですよ晴子さん、打ち上げは静かに過ぎ、さわやかな朝、酒は残ってない、朝食が美味い、洋一郎さん早朝お帰り、今日は暫くしてから、一人で日中弾いている、PAの操作がわからない、ダステイとかつみさん登場、心のセッションをする。風景に溶けていくような………夕焼けの時お帰りする人たちのなかフリースクールの校長先生が来られ、またまた楽しくなる、帰る前にラストセッション、タク氏→かつみさん&ダステイ→それと小矢部市のキンジ氏でラストセッションを終えて家路についた。皆さんお疲れさま!そしてどうもありがとうございました!♪

「8月20日獅子吼高原レストラン」2005/8/31 

70年代「夕焼けまつり」の行われた獅子吼高原、そのレストラン内での演奏、ターミナルで洋一郎さんと待ち合わせ、マネージャーのコンセイさんの指示にて山道を登った、ゲートまで来たとき洋一郎さんが「この道を当時4トントラックで登ったんだよね、舗装されてなくて滑りながら…」感慨深げに呟いていた、しかしそのレストランのお客さんは70代以上と思しき男女のロータリーアン、演奏するも反応無く、ここは私が機転を利かせ…!!「蘇州夜曲」「東京キッド」「稗つき節」「港が見える丘」をやる。反応あり、終わって数人より「いつもどこで演奏してるの?」「ジャズは好きなの?」色々質問される。いきさつを話す。思えば、少年時代テレビでよく夏場やっていた「思い出のメロディ」なる戦前、戦中、戦後の歌謡曲特別番組も放送されなくなった、この年代の人々は淋しいだろうなと思う。現役歌手の高齢化、不在、物故、などで番組が成り立たないのだろう、ジャズもこの年代の人々にとっては「不良の音楽」だったのだった、ジャズもいまは「権威ある?」「芸術的な…」「高尚な…」音楽へと発達したそうである、ヘエー。……………

「8月13日鳥越村フリースクール」2005/8/31

山屋楽器の南ヨシタカ氏のご紹介でフリースクール鳥越村で演奏する。当初ソロアクトだった予定が池田洋一郎さんも参加することになって、皆さんに喜ばれる。PAオペレーターに又兵衛さんここでも再会があった、そしてここでの再会は二回続けて(二週続けて)の獅子吼高原に繋がることになる、フリースクール鳥越村、高度な社会になりフリースクールの存在意義も大きいに違いない。校長先生も大変だろうが子供達と一緒に楽しむ主旨には感じ入った言葉だった、今日はそんなフリースクールの子供達の前で演奏出来る幸いにあずかれた。洋一郎さん今日は絶好調、皆さんが絶賛していた、子供達の情操に何らかの良い影響というか思い出になってくれたらいいなと思った。10数年前名古屋のカントリーロックバンド「ウエットバック」で演奏を聞いて生まれて初めて踊った子供達のことを思い出した、その時のボーカル谷口浩一郎さんは女の子にとりかこまれ(小中学生)私は男の子達に取り囲まれたことを思い出した。それ以来だなあ、富山市出身の24歳の監督さんの「富山」を舞台にした「富山弁」の映画を見る。「富山弁のディテール」に徹底的にこだわったら恐ろしい映画になっただろうが作品が悪いという意味ではない。社会が高度な技術と共に発達しても人間の能力は変わるものではあるまい。社会からの適合性を見いだすことの出来ない子供達は出てきて当たり前である、私の子供の頃「根性」が尊ばれた時代だった、やがてはそれが「勝者の論理」の時代に変わった、「おちこぼれ」なるイヤーな言葉が世間に流れて、社会問題化しだした時代だった。最近政府は「ゆとり教育」を見直す方針らしい。学力低下が原因だそうだが…

「輪島市路道こやけ祭り」2005/8/26

さて3連チャン最後は輪島市路道こやけ祭り、夕焼け祭り世代の能登輪島市の中宮氏のセッティングにより実現した。中宮春夫はギタリスト、二回セッションしたがなかなかのギターセンスの持ち主、先月スタジオ(自作)にてセッションはツィンリバーブをフルボリュームで鳴らして夜寝付けなくなった経験をさせてもらった。早めに着き朝市通りのまちを散策、風呂に入ったり百円のカンチューハイを呑んだりするうち駐車場で鳶を餌付けしてる老人と話す「鳶に油揚げさらわれる」のことわざがあるが猛禽類だから足の爪やクチバシは恐ろしい。パンくずを急降下してタッチアンドゴーはさながらショーを見ているようで得した気分になった、鳶達が小さい子供のお菓子の袋をさらったりしないことを祈る。(私は少しネガティヴな考え方をしてしまうところがある)さて路道こやけ祭りである、中宮春夫氏よりかねてから言われていたピービー800wセッション500(ペダルスチール用アンプ)を持って来る。それと洋一郎さん用に65wピービークラシックアンプ(漏電してるが私のお気に入り)中宮氏は先日の電話で必ずラインアウトのついたアンプをと譲らず、私もペダルスチールはマイク撮りで…と主張が真っ向からくい違いを見せていた、リハーサルでは音量下げを指示される。私、リハーサルではレパートリー外の「始まる場所は」などいろいろ弾き歌う。中宮氏「今日は人どうりがあんまりなくてー」の言葉どうり人が少ない。オマケに隣りの夜店のスピーカーがやたらうるさい。しかも音が割れまくってる、(うわあ!)気がそがれるが頑張った、洋一郎さんもだんだん良くなってきた。気がつけばだんだん人が集まって聞いてくれている「新しい海」「春」「国道8号線」状況はともかく中宮氏のオペレーターがついておられることでサウンドはいままでとは異なる側面が現れた。中宮氏曰わく、「PAオペレーターは絶対に必要やわいね!」の言葉には我々の違う角度から捉える考え方が存在することを強く感じさせられた。毎回恒例?のレクチャータイムでは能登のロック少年団(中年団か?)に「〇〇〇の曲も聞きたかった」と言われたりした。打ち上げは宿泊の前提で…洋一郎さんと中宮氏に宮武さんと中宮氏のバンドでキーボードの方、「乾杯!」ビール美味し!どうなることかと思われるたこともあったが乗りきった、洋一郎さんを囲み「めんたんぴん」のほかのメンバーの動向のこととかいろいろ…しかし良いはなしが沢山あった、私、千田佳生が旅先で「富山県」と言うと「めんたんぴん はどうしてる?」と聞かれることがあるのだ、ビールは次々に缶が空いていき、よもやまばなしにはなが咲いた、最後の「天国の扉」で手を振る喜びを得たこと…久し振りの美味しいビールの席での語らいなかでの喜び、何時の間にか心地よい眠りの中にいられた。

「小松市夜店ステージ」2005/8/26 

本日大雨、どうしたものかと思えど行かねば!「タロウ」にて洋一郎さんと待ち合わせ、携帯電話が無く公衆電話から、携帯は神経症の元だ、ない方が良いがそんなことは言えない。9月4日のライブの宣伝をして歩く、親戚の方にも買って頂いているとゆう…たいしたものだ…私の周囲は私の音楽活動と音楽にネガティヴな感情を持つ人が少なくない、堂々としておられる姿勢には頭が下がる気がする、フライヤーを置いもらえる店「ガンボ」を紹介する、ここでもいずれライブをお願いした。数日前 小松市 の梯川河口付近で海のスケッチ中の青年に会った。芸大受験生とのこと凄い絵だが「習作品」とのこと、絵を頂けないものかとも思ったが、言える筈も無く演奏を聞きたいと言われたので演奏する。スチールの絵にも感心を持ってくれたようだ。若者らしく敏感に反応してくれた。またの出会いを言って別れ、彼は絵画への思いを熱く最後まで語ってくれた、また会おう。話しをもとにもどして小松市夜店ステージでは、洋一郎さんの親戚の方や、古くからの知り合いのかたたちに話しかけられ、大変良いステージだったと絶賛された、メロメロポッチで私を見たことのある方々がカップルで見にこられた、ありがたい気持ち、オープニングのボサノバのかたも古林氏から私のことを聞かされていたとのことでびっくりであった。もしかしたら狭い世界で動き回っているだけかもしれないが、一人でも二人でも聞いて貰えれば今の私は本当に嬉しい。洋一郎さんのアンプがおかしいらしくクレートアンプを渡す。50wと50wで100wの筈なのだが?(ローランドのジャズコーラスと同じ出力)すこし小さいようだが洋一郎さん気に入ってくれる、大分二人のコンビネーションが出てきた、投げ銭あり、帰りに「ガンボ」でお茶を飲むが帰りの渋滞は花火なかなか進まず夜遅くなる。

「8月5日金沢市石引夜店」2005/8/26

同じ夜店のステージでもさすがに金沢市は盛大である、大勢の人達のほか、レゲエバンドに、フラダンス、浅野太鼓、そして我々池田洋一郎&千田佳生の出演。PAスピーカーが不調しかし洋一郎さん調子が良さそうだ、私のコーナーでは「週末には」を昭和40年当時、実際に故祖母に連れられ親戚のおばさんの家に遊びに行き、小立野まで市電に乗って行ったエピソードを交えて歌った。当時5歳今は引っ越した親戚の家はどこにあったのか…「ウルトラマン」を見たくてならなかったが帰りの電車の時間の関係で見られず、しかし「ビッグX」を朝方テレビで見て、保育園の友達の話通りだったと納得した覚えがある(当時富山県はNTV石川県はTBS系だったため、保育園で金沢市で見たマンガの話が話題になり自慢しあっていたものだ、だからTBSのウルトラマンは富山県では見られなかった。)洋一郎さんステージでのボーカルスタイルについて開眼するところがあった様子、だが焦らずにいきたい。ステージを早く終わり過ぎたらしく残念、レゲエバンドの若者達から質問を受けるがこの様子も予定行動的?になった…夏の定番はハワイアンだったが、これからはレゲエバンドも参入して(いや!もうしているか)サンバボサノバなどと夏場の定番になるのかな、カントリーは季節イメージ的には秋だろうか…ともあれ金沢市石引のステージを楽しんで明日、明後日のステージに体力を温存する。PSイージータクさんの明るさはかけがえのないもののように思われる、(フラダンスを積極的に盛り上げていた)石引のステージではジャズの「ピラミッド」の人や沢崎氏の消息、いろんな人が私のことを覚えていていていることにありがたい気持ちになった。

「8月4日小松市「タロウ」」2005/8/22

本日は桧原海氏のオープニングを勤める。ジャズやブルースに通じる氏のオリジナルは秀逸、私も反対に桧原海氏より大変評価して戴く。ソウゲンカズヒロ氏も新しいオリジナル曲を演奏これまた秀逸、ジャズやクラシックへの憧れを桧原氏に語れば話は延々と続き、またあってセッションする楽しみが増えた、いいライブでしたよ坂本さん。

「7月26日小矢部市越前町夜店」2005/8/22

小矢部市越前町夜店にて演奏延々と演奏するも、一人として聞かない。淋しいものだ…なかにはわざわざ耳に指差して目の前に立ちはだかる子供もいる。人通りも少なく、福光町夜店とエラい差があることを感じる。翌日も演奏するが変わり無し。遠くの人達は聞いてくれていたようだが「素晴らしいBGM」と評価され、この状況下では最高のひょうかだと確信する。それにしても、この町のショウエイ会は年寄りが長期間引退しないため若者の感性に対応する企画がない。金はどこへ行ってしまったのだろう。

「この夏の演奏経過報告1」2005/8/22

忘れている演奏もあるかもしれないが、夏場の演奏経過は以下のとおり。7月26日 福光町「ねつおくり」河村氏より依頼あり、10代20代の若い女の子達に混じって4組の中のひとつとして出演。以前高岡市でストリートをやった時の人達やスキヤキミートザワールドで演奏した人達が見に来てくれた、彼等はノッて聞いてくれるが10代の若い女の子達は無視している。若い女の子のミュージシャン?はしょうがないな…と思いつつも「ライブはみんなで作るもの」と言った意識が欠落しているのは寂しい。県下人間デュエット「泣き虫」は他のミュージシャンより頭ひとつ抜けているが、東京都内ではガサマンといるタイプであることは否定できない。矢井田ひとみ、椎名林檎、など今の若者のトレンドで認められているならば、彼女達を審査した大人達は彼等を彼等らしい個性的なミュージシャンに導いてやって欲しいものだ。

「池田洋一郎邸にて…」2005/7/16 

洋一郎さんとの練習も数回を数えた、何よりも「めんたんぴん」の演奏曲を一緒に演奏することは毎回感慨深い、このユニットは沢山の可能性に満ちていると思う。かつての「めんたんぴん」の洋一郎さんの作曲ナンバーは財産と言える。しかし、私の作曲した曲や奏法、そして洋一郎さんの現在の作曲した今の世界観の曲を演奏するシチュエーションにおいて、かつての「めんたんぴん」の曲を聞きたい人達は多い気がする(それだけ我々の世代は現在聞きたいものが無いといった話をよく聞くが…)かつてのそれを求める人達にはどんな評価かは判らないが…もう少し大きくしかしながら気楽に構えて、かつて以上の演奏をすればいいだけである、十分に革新的だし、何より、これは「めんたんぴん」ではないのだから…だって私、千田佳生が演奏してるんだもん(笑い)小回りが利いて色んなジャンルで演奏、作曲できるユニットはなかなか無いだろう、何より練習がまとめ易いというメリットがあるし、演奏場所も小さくても魅力を発揮できるはずである、チャーと石田長生のBAHOが良い例かも、あと「HOT TUNA」のように小編成でジャンルは目一杯広く、といった姿勢も魅力的だ、一にも二にも作曲だろう、洋一郎さんの長い間培ったプロデュース能力にも期待したいところ、どうかお楽しみに。

「金沢「クイーンズコート」にてD」2005/7/7 

 鶴来にあったライブハウス「DNA」のチャリティーライブ、昨日は「同型のアーティスト」だけだったが今日はバラエティーに富んでいる自分の出番の時はアンプの設定でボリュームが低すぎ不本意だったが、ライブの評価は高く、次に繋がる感触、ロベルトに抱きしめられる。ロベルト氏には焦らずゆっくり店の復活に期待したい。坂本さんお疲れ様でした。

「ライブ状況報告。」2005/7/7

7月2日利賀村「ブルーグラスフェスティバル」3回目の出演。張り切って出たのだが、今年はやや低調だったかも(自分が…)2番目の出演。だが3曲で終わり、25分の出演時間帯の割合には少なく感じた。しかし司会者の指示に従わないわけにはいかない。「ゆたんぽ」の麻生氏、清水夫妻にお会い出来て、孤独感が解消されたような気になった、それほど今の自分は浮いてるかも、カントリーやブルーグラスに対しての考え感じ方の違いの分だけ浮いかな…と思ったが撤回する気持ちも無く、しかしカントリー、ブルーグラスは大好き誤解して欲しくない、しかしカントリー、ブルース、ブルーグラスは「思いの丈」を聞かせる歌である、歌詞や意味、感情を咀嚼して歌う歌だ。断乎としてこの線は譲れない、オリジナルソングで参加は分かって欲しいものだ、しかし、ジャムの時は楽しめた、従来のやり方は今ひとつだが新しい伴奏しながら演奏するやり方は上手くなった、全ての演奏終了後ひっそりと帰った。何か淋しさにとりつかれるとこんなもんだ。「カントリー」のHさんに「カントリーにそんな難しい考えはいらんわいや!」と言われても、今の自分の求めるものを妥協する気はない。スチールを単に弾くだけのシチュエーションには戻れない、考えてみりゃ遠くまで来たもんだ…っていったらクサいかな…。

「水橋バプテスト教会にて」2005/6/29

 翌日お誘いを受けて、水橋バプテスト教会へ、昨日セッションしたマイケルが笑顔で迎えてくれた、他、日本語に流暢な女の子も(すみません名前聞きませんでした)ライブの前に食事とゲームをする。中国の家庭料理は日本の中華料理とは全然別モノだった。彼女たちの手料理を食べられた幸福感、特にスープが美味かった、日本人は重湯、お粥を余り取らないが中国人は頻繁に食べるそうである。ゲームは若者達のルールが最後までわからず自分の頭の悪さにがっかり、ダンスパフォーマンスのゲームは流石に辞退させていただいた、うらやましいくらい身が軽い。さてライブである。マイケルが昨日のいきさつを説明し、拍手を持って迎えてくれた、「週末には」ですっとばす。32歳の若い牧師さんは唖然としている。今日も歌詞はアドリブで自分の思いの丈を語った。拍手は温かい。次に「陸路の船」でMC「日本とマカオ、香港は海で繋がっている」と、どこかで聞いたようなMCを語った。これも反応が凄かった、ジョイナーがお茶を何度も運んでくれた、このあたりは儒教の影響下にある国同士の共通性を感じた。ありがとうジョイナー。3曲目は「兄弟」を教会のマイケルのほか二人入れて演奏、心配したが二人共リズム感はしっかりしていて助かった。昨日駅地下でマイケルが唄ったスピリチュアルソングを演奏、次に「カントリーロード」しかし一連の曲に若い牧師さんが乱入、なかなかどうしてノリの軽さと良さは牧師さんとは思えないがナイスガイであった、マイケルのオリジナルの後、アメイジンググレースでしめる。一礼。アンコールで終わる。そして、マカオ、香港の女の子達に一緒に記念撮影をして、暫くの歓談の後、もう帰国だという彼等に挨拶をして別れた。今日も良い演奏だった。ステージからお客様、または聞いてくれた皆さんに今日も最後に大きく手をふることができた幸せを感じた。帰りに中国、もとい、香港マカオ製のお菓子を頂く、考えて見れば、酒もタバコないパーティー、楽しめた。…がもうそろそろメールアドレス覚えなくては、写真をジョイナーから送りたいと申し出られても、答えられのは流石にこの頃情けない。皆さん道中ご無事で!ありがとうございました。

「富山駅地下ストリート中に…」2005/6/28 

小松市「タロウ」で私の心の琴線の震えが止まらなくなり、富山駅地下ストリート敢行する。誰も立ち止まらなくてもいいから弾きたくてかなわない。(まさかライブ依存症でもないだろうが…)蒸し暑いのでサンバ、ボサノバなどなど暫く弾いていると20代の若者の二十数人の集団に取り囲まれる。英語で話しかけてくるから、「!」顔は日本人だが!「私達はバプテスト教会のものです、香港とマカオから来ました。これは何ですか?」私はいつものように説明しデモンストレーションをして、彼等は、驚き、拍手してくれた。その中のギターを持っていた男の子にセッションを持ちかけると現代風のスピリチュアルソングを歌い出して、こちらも「チェロトーン」でリスペクトするとお互いに良い感じでアイコンタクトしながら演奏を終えた。富山駅地下に大きな歓声が上がり、その様子を見ていたヤクザ風な(失礼!)あんちゃんがお茶のペットボトルを差し入れてくれた。「喉かわいたろ?」私「おお!ありがとう」そして帰り際日本語に流暢な女の子が、「明日私達水橋のバプテスト教会でパーティーをします。演奏してもらえませんか?」マカオから来た彼女たちのお誘いにちょっと考えてから快諾した。「では明日会いましょう!」電車時間があったので彼等は急ぎ立ち去った。以下次号。

「小松市「タロウ」にて。」2005/6/27

本日、小松市「タロウ」にてライブあり、時間があったので山屋楽器店へ、ツインリバーブを試奏させて貰う、エフェクターの故障が発覚、即、修理を頼み込む。危ないところだった。ひょんなことから窮地を救われた、ここに寄らずに直行したら、大変なことになるところだった、逆に言えば、今日はツイてる。楽器店の中で楽器を試奏しながら、かの「めんたんぴん」の面めんもここで溜まった後音楽のギターのことやエフェクターなどなど高校の帰りだべってただろうか、などなど想像を巡らせていた、「タロウ」には「舞台監督」として「元めんたんぴんロードマネージャーの永田氏」が来ておられて早速舞台設営に動いておられた、たち位置を決め、ライトセットに慣れ無いながらも緊張感が高まる。リハーサルは良い感じで、フラダンスの久保田ミサ氏の緊張感溢れる所作にこちらも更に緊張感が掻き立てられる感じだ、池田洋一郎氏との初ステージは良い感じだが、気持ち良すぎて細かいことを忘れたが、心配されたソロのつなぎ目などスムーズにいったので気持ち良いステージだった。ソロの時はつんのめったが、反応は上々、「週末には」「陸路の船」で「みなさんの目の前に美しい富山湾を…」などと石川県人の神経を逆撫でするような?MCをする。「雪の降る日に…」では、「めんたんぴん」に対しての思いの丈を織り込み唄った、観客は拍手で応援してくれ、胸に沁みる思いがあった。本日の白眉は久保田ミサ氏のフラダンスチーム、「秀逸」で「優美」であった、久保田ミサさんは私を大変評価していただいたのは恐縮した、「コクシネル」の池田洋一郎氏のギターは流石だった。野方さんの歌には執念を感じた。小松市は「コマツ」と「めんたんぴん」の街ツイてた1日を思い、帰りファミレスにてこれを書き下ろしていた。

「ライブ状況報告」2005/6/23 

 珠洲市「カフェドらんぷ」 乙脇氏の段取りでライブにゲスト参加させて頂く、何より珠洲市で演奏するのは17年振りである。輪島の中宮氏にも合格点をもらった、何より珠洲市の人々が大変喜んで聴いて貰ったのは本当に嬉しい。乙脇氏宅にて 打ち上げの楽しい語らいの中にいる幸いを思う。帰り道は、輪島の「塗太郎」なる中宮氏のお店にて昨日のライブの感想を聞いたり、店舗のギャラリーに、なんと、漆塗りのフェンダー、ストラトキャスターを発見、中宮氏にもなんらかのライブに対しての情熱が十分感じとられた。輪島駅跡にてストリート敢行。


高岡市山町筋消防会館にてのライブ

沢山のお客様の入りに気を良くした、ここでも反応が良い。某お客様は「今日の出演者は最高のラインナップだよ」の声に大変嬉しくなる。ただ、もう2曲やりたかったなあと思うがひきぎわっかもかんじんであり

2022年5月27日金曜日

「ライブ情報」2005/6/19

6月26日小松市「タロウ」にてPM730から、ソロの他、「めんたんぴん」 池田洋一郎氏とのコラボレーション。

6月19日本日高岡市山町筋消防会館にてPM600からよろしくどうぞ。

「本日ロックの日」2005/6/9

長く連絡の取れなかった高木晶氏より留守電、「誕生日おめでとう」とのコメントを聞き嬉しくなる。それでなくても高木晶氏とはネパールに行く前に携帯で話して以来だった。携帯をネパールで無くしてから連絡の取れなかった友人だっただけにやっと連絡が取り合えるといった感じだ、相変わらず夜間勤務中なのかいまだつながらない。しかしこれで連絡を取り合えることに大変喜ばしい気分だ。

「ライブ予定」2005/6/7

6月10日

富山市オールドタイムPM9時より

6月11日

石川県珠洲市「カフェドらんぷ」にてPM7.30より

6月19日

富山県高岡市山町筋消防会館にてPM6.00より

7月2日

富山県利賀村にて「ブルーグラスフェスティバル」に出演

利賀村「スターフォレスト」にて時間未定

「ゆき&ちか」2005/6/1 

本日金沢市にてアコースティックギターとフィドルのデュオ「ユキ&チカ」に偶然会う。しばし聞いていたがなかなかの腕前、コンビネーションもバッチリで好評を博していた、聞けば、宇都宮市と前橋市から来たのだという、目的地は沖縄県だという、感想をのべたあとセッションを申し出てみるとOKとのこと、笠木透さんの「海にむかって」は嬉しい選曲だ、フィドルも軽やかで、今度は彼女たちのオリジナルソング、演奏後打ち解けた雰囲気になった、若い女の子達だが、土の匂いのする楽曲に好感を持った、色々話しをしてみると富山市、高岡市はあまり良くなかったようである。(まったく在郷ってやつは…)勧められソロパフォーマンス「雪の降る日に列車に乗って」をやる。丁度、アメリカ人の観光客が通りかかったのでたちまち人だかり、長めに演奏する。アメリカ人のご夫婦ニコニコしながら聴いてビデオなど撮っている演奏後アメリカ人のご夫婦ギターケースにコインをいれたので私も演奏する機会を与えてもらったのでコインを一枚、普段ならもっと差し上げるのだが給料日前はこれが精一杯、すまん!アメリカ人はストリートミュージシャンに対して謝礼をする習慣があるが、日本人にはまだまだ根付いてない、彼女たちのストリートも前途は多難だろう、完全に打ち解けた感じになり、「今日はこれを見れただけで収穫だったよね」と言って貰ったのにはこちらが恐縮してしまった、彼女たちは、知らず知らず旅のウェザリングが出てきていたが、演奏の良さも有って、汚れが凄みになっていた、日本人にはまだまだ土の匂いのする女性アーティストはいない。彼女たちが本当の意味での土の匂いのする女性アーティストになることと、旅の安全を願いながらペダルスチールを担いで彼女たちと別れたのだった。どうかくれぐれも無事を祈ります。

「ブラックアンドブルーにて」2005/5/31 

ブラックアンドブルー、かの「めんたんぴん」のギタリスト「池田洋一郎」氏の会社である、氏はコンピュータの会社を経営し、「コクシネル」なるバンドでも活躍中であり、セッションをお誘い頂いたので金沢市へ、ブラックアンドブルー社内はおびただしい数のパソコンで私の体中に緊張がはしった、セッション16ビートの「週末には」から「国道8号線」いろんな曲をセッション手の合うギタリストだ思えば…高校生の頃「Tバード」「めんたんぴん」に憧れてそれがオールマンブラザーズバンドやドゥービーブラザーズ、グレイトフルデッドに入っていことになるのだが…いや、一番最初はドゥービーブラザーズだったな、池田洋一郎氏は音楽的に大変前向きな方であった、ギターも音楽第一、音数アンサンブル重視の姿勢には頭が下がる思いがする、時間を忘れてセッションは楽しく過ごした。しかしながら小松市「タロー」での出演は辞退申し上げてもうしけない気持ちだが他でのセッションは参加させて頂くことを約束して高校生の頃憧れ大好きだった「めんたんぴん」のギタリスト池田洋一郎氏とまたの再会を約束し別れた。しかし、子供さんにとっては若々しく音楽に関わって生きておられる池田洋一郎氏は自慢できる父親な気がする、子供さんを抱えて、それでも音楽を捨てずに頑張ってこられたのは敬服に値する、もう一つ、あの、イージータクさんの息子さんが亡くなられた話しはタクさんの心痛は図り知れないだろうと思う。突然死は起こりうることである。タクさんのライブにも期待したい。

「青木タカオになれなかったヨ!」2005/5/31

長岡市「アポロン」にてヤマハ「サウンドスケッチヤー」を購入!デモンストレーション演奏の間中、若者達に大人気だったそうな……ここでも店員さんにペダルスチールのレクチャー、ペダルスチールを欲しい人がいたら何を選べばいいか?、注意点をレクチャー、店員さん熱心に聞いてくれていた、ここの社長は知っていてフィドルの名手なのだった、店員さんしっかり者ですよ!社長。柏崎市は青木タカオの故郷、柏崎市駅前に着いて青木タカオに電話、「♪ごらん-あれーが~僕のー昔~♪祈った~地蔵さあー…」…の地蔵はどこにあるの?…と青木タカオに質問、「あれはねー」と場所を聞いて青木タカオのうたを検証、確かにあった。しかし手を合わせることまではしない。照れくさい。そして青木タカオの家近くの「◯◯軒」でオムライスを注文、ところが…量が多い上「ゴテッ」…とした盛り付けかたイヤーな予感は的中!量が多い上クソまずいので汗だくになって休み休み時間をかけて水で流し込む。この世で一番まずいオムライスをなんとかかたずけ青木タカオに電話、「えー!◯◯軒行ったのー」「あそこは不味くて誰しも行かない所だねぇー!」この世で一番まずいオムライスは胃もたれもキツかった、口直しに高岡市の「サイゼリヤ」でスープとピクルスで口直しをやりガスター10で胃もたれを直し旅を終えたのだった。

「山形市にて2」2005/5/31

ストリートを終え、楽器店「ミュージック昭和」へ、楽器を持ち出しアンプ試奏、100wアンプだったがアンプはプリアンプが命と思い知る。店員さんペダルスチールは見るのがはじめてらしくレクチャーする。ライブハウス「フランクロイドライト」へマスターは変わられていてデモンストレーション演奏を新たに、やる。マスター大変喜んでいただくブッキングを検討したい。演奏を終えて再び駅前、夜の山形市はストリート演奏者が多い。若者達が大勢聞いてくれていた、2年前不快な思いをした音楽少年はもう来ていないとのこと、しかし、音楽は続けて欲しいと思った。そう教えてくれたひとが2年前ストリートで一緒に演奏したことがあった人だった、再会できたストリートミュージシャンは珍しい。そして覚えてくれていたことに対して、ありがとうといいたい、演奏していたら、かすかにリードギターを弾く音がする、「こっち弾きなよ」共演を誘った。こうして地元山形市のストリートミュージシャン達と演奏した後家路を急ぐ赤湯温泉辺りにて車中泊。

「山形駅前にてずっと…」2005/5/30

本日午前10時頃から山形駅前にてストリート、ここでは二年前ストリートをやったことがあった、あれから私は格段の進歩がある、しばらく弾いてから二十歳位の若く可愛い女の子が聞いてくれている。(彼女は2時間以上聞いていた)演奏しながら色々な話しをする、熱心に聞いくれていたありがたくてたまらない。ペダルスチールをやってなかったら、今頃の私はただの冴えない中年男だろう、いろんな山形市のひとが聞いくれていた、彼女は特に熱心に、学生時代ブラスバンドでクラリネットを吹いていたこと、彼女も人生の楽しくなる何かと生きがいを探していると見た。ペダルスチールをやり始めるに当たっては「難しいのであまりすすめられない」としか答えられないが…どうしてもとあれば…こんな若い女の子が気軽に入ってくるようなペダルスチールの練習メソッド、を作らなければ!競輪の世界と同じで男社会、しかも、中年男と老人しかいない、変えていかなくちゃ、ね!

「東北ツアー2日目」2005/5/28

磐梯山SAで眠った。寒い。磐梯山は昔山の四分の三が吹き飛んだ山、元々の高さを思ってみる。風邪をひいたらしく、気管支炎の兆候、炎症止めを飲む。現在回復、本当に旅にばかり出てるなあ、裏磐梯、福島市を通り。仙台市着、吉野五十一氏推薦の食堂、「半田や」があったので入る。仰天するような安さ、まるで学生食堂よりも安く美味い。サンマ焼き、コロッケ、味噌汁、ご飯、で350円は凄い。ここに入る前、パチンコ屋で大負けしたのでありがたい。本日、仙台市「レモンカントリー」なるライブハウス、カントリーミュージックのライブハウスながらマスターチャーリー渡辺氏は音楽的に前向きな人物だった、私のことも良く評価していただいた、「自己主張の強いスチールだねぇ」……たしかにそうだ、30分づつ、33すてーじ、長年カントリーミュージックをやってきたが、特に難しいこともなく楽しんで弾く、マスターチャーリー渡辺氏の歌声にはカントリーミュージックへの愛情が感じられ、「泣きたいほどの悲しさだ」は秀逸、演奏を終え話し込む。共通の知り合いの話題、よもやま話、懐かしいことを沢山思い出した。深夜48号線のパーキングエリアにて

眠る。

「東北ツアー中。」2005/5/28 

突然だが…仕事が途切れた!とのことで会社は休みになった……ということはツアーだ!ま、営業に出て来ればいいのかもしれないが、暇なときは有効に使いたい。めったにこんなタイミングはあるもんじゃない!出発、適当に車に物を積んで…楽器にバッテリーアンプ、着替え、一路北へ。会津若松着、ライブハウス「ジャンダルム」2年前、デモンストレーションライブをやって以来、お世話になりました。昨日ライブだったとのことで、飛び込みで演奏させてとは言えない状況、以前、デモンストレーションライブながら大好評だった、楽しかった思い出がある。世間話をして店をあとにした。ライブを正式に一度はやりたい所だ。道中、思いもよらない人から電話、かの、「めんたんぴん」のギタリスト池田洋一郎氏よりセッションのお誘い、私が高校生の頃憧れたバンドのギタリストからだから、これを喜ばずして何を…だ!週明けにでもセッションに応じるつもり、もう一人の飛田さんとも「今度是非」なんて言ってたのだから、見る人はみてくれているのだと思うと嬉しくなった。

「西武前にて演奏、「ん!?」」2005/5/23 

西武前にて演奏、偶然我がライバル「大谷ひろゆき」氏に出会った。演奏前、私「どうしたの、こんな所で」大谷「いやあ、偶然やちゃあ、買い物、買い物千田さんこそなんでここにおるがけ?」私「今から演奏だよ、忙しそうだし今夜ライブやろうから聞かんでいいちゃ!」………それから十数分後ライブスタート、「週末には」の後「ホーボーズララバイ」弾くつもりが「ひまわり」をなぜだか弾いてしまう。「あれ?」いつも曲目を決めずにやる弊害がでた。終わって、「次は新湊産のレゲエで…」とMCをした刹那、どこからか鋭い視線を感じ、「アッ!」大谷発見!、危うく大谷二連発をやってしまうところだった、「ヒヤリ」大谷ニヤリとしている、曲目変更、「新湊産のレゲエから長崎県産のレゲエに変更します」のワケのわからないものがあるMCをやってしまう。「水は一つ」「絵日記」(金子光晴を高田渡さんに変えて演奏)~「生活の柄」「雪の降る日に…」とやって終わる。「雪の降る日に…」はMCアドリブ大会、富山駅地下で知り合った若いシンガー達の名前を織り交ぜ演奏、しん君、安土ちゃん、ゆっきー、大島君、岡崎の親方、松林ねえさん、聞いていてくれることに目頭が熱くなった。もちろん、大谷もだが……。その他「細川ギター教室」の皆さん、西武前で立ち止まって聴いてくれる沢山の皆さん、ありがとうございます。最後エンディング前にて、手を振るひとときは北海道以来の充実感があった、エンディングを決めて拍手に迎えられて至福のひととき………いいものだ……。「タカヒロシ」こと大島君にはいずれ「独唱パンク」なるイベントを紹介したい、「ちゅうはいテンションズ」の二人のコンビネーションは心の底から羨ましい。松林ねえさんは「大人の女」を感じさせる歌だ。大谷もきっと聞けばきにいるはずだが…「デュエットしょう」とか言い出しかねないので聞かなくて良かったかな?「オールドタイム」のママさん現れ、前述の 安土ちゃん、ゆっきー、しん君、松林ねえさん、岡崎親方、を紹介した。「オールドタイムミュージックシーン」のためにも種を撒いていくことは必要だ、みんなが音楽にどれだけこれからの人生関わり続けていけるかはしるよしもないが、きっと何かのきっかけや音楽ならではの「縁」「良い人間関係」を生むと信じる。そしてそれがカントリーミュージックのスピリットを受け継ぐような(形、演奏形態のことではない)世界観を私は紹介していくつもり、そして私の世代から彼らの世代に何かをほんの少しは伝えられたらいいんだが…大谷氏別れ際、「いやあ~、俺の神様 やっても良かったがにぃ~」と言って帰り、私「思い止まって良かった」と思った。

「ライブのお知らせ」2005/5/20

5月22日、富山市総曲輪通りて「街角パフォーマンス」のライブあります。私の出演はPM14:00から40分程度です。他のライブ予定。近日中アップします。

「北海道ツアー予定」旅日記 2005/5/18

北海道ツアー日程
4月29日小樽市ジャズ喫茶「フリーランス」小樽市色内2-9-5?0134-27-3464
ドリンクオーダー 投げ銭

4月30日札幌市「アメリカンメロディハウス」札幌市中央区南五条西5丁目LC参番館2階
?011-512-4388 チャージ5000円フリードリンク pm8.20 pm9.40 2ステージ

5月1日小樽市「あじや」PETA氏のゲスト小樽市稲穂4-3-9 ?0134-24-9358
2500円  19.00時開場

5月2日 札幌市「らぐたいむ」札幌市中央区南8条西14丁目 ?011-551-1260
 ドリンクオーダー 投げ銭

5月4日 釧路市ジャズ喫茶「ジスイズ」釧路市栄町8-1 ?0154-22-2519
  1500円 開場pm1900 開演pm19.30

5月5日 鶴居村ペンション「ヒッコリーウインド」鶴居村雪裡原野北14
?0154-64-2956  大人1500円 中高生500円 開演pm20.00

5月6日 帯広市「ランチョエルパソ」帯広市西16条南6丁目?0155-34-3418
ゲスト ピアノ斎藤建 無料

是非聞きに来てください。 北海道でお会いしましょう。

「北海道追記1」旅日記 2005/5/15

ライブではどこの会場でも「やまがたたみえ」画伯のスチールの絵が好評だった、「私も書いて欲しい」の声に対し、大変時間がかかる旨を説明して諦められた人々が多数いた!「これは富山県一小さいアートギャラリーなんです」と言ったらほとんどの人は関心を示してくれた。たみえちゃんの常設展示はもう何年目になるだろうか……。

「松本市縄手通りにてストリート」2005/5/14

昨日のうちに上宝村までシフトしておいて、11からストリート。いつものことだがあまり止まらない。終わり頃、外国人(英国人)トレバーとその彼女、目の前で抱きしめ合ったり人目をはばからない行為にテレながら弾いている。彼女は女子高生のようだが…(違ってました。)こんなときは分別のあるおじさんに変身…はできない。やはり、トレバーが「レナードスキナード」の曲をリクエスト歌ヌキデ……。「サタディナイトスペシャル」トレバー大喜び!、続けて「フリーバード」をやる。トレバー歌ってくれる。若い女の子達(ストリートやってた)聞かせても聞いてない。ストリートやってる若い女の子達はこんなもんだ、だいたいどこでも、三浦氏のオーリアッドへ行こうかと思ったが気力が出ない。これから「菜じゃ」に行ってみようかな?

「オールドタイム」2005/5/14 

5月13日オールドタイム、「きら」氏に来ていただく、ありがとうございます。演奏して数曲目、けたたましい救急車のサイレン、隣りの「京多」のマスターが極端ないびきをかいて運びだされる。近所の店の人々がみな出てきて心配そうな表情、「脳梗塞」……まさか「蜘蛛膜下出血」思えば、「京多」の配管工事を20年前行った、意識が戻って欲しいと願う。「きら」氏にビハインド奏法を習う。これは使えるかも…

「北海道離岸から自宅まで」旅日記 2005/5/9

フェリーターミナル東港は30キロは苫小牧市から離れてる。早めに出たつもりがそうでもなかった。北海道を離岸した時はここ数ヶ月楽しみにしていたことが終わったな……みたいな心境だった、船の風呂にてくつろぎ、各ライブや、北海道でのことを反芻する。今度北海道へはいつこれるだろう……またすぐにでも旅を続けていたい心境だった、だがそれは許されない、2等寝台は慣れたがマナーの悪いヤツには困ったもんだ、爆睡、翌日は新潟、これもパターン、楽器店「アポロン」に寄る、ここはペダルスチールが置いてあった楽器店、だがそれも今はない、近所のジャズ喫茶店「フラッシュ」以前デモンストレーションをさせてもらったことがあった、マスターにまたよろしくと店をでた。さて、今度北海道での大反省は「帰り道」新潟からおやべまで2時間半……といったらつまり、スピードの出し過ぎだ!途中、食事時間も入れてだから………運が良かっただけだ、間違いは全てぱーにする、おおきないみでむちゃくちゃだった、次回に備えて自戒したい。反省。

「北海道スチール奏者に遭遇、」旅日記 2005/5/9

早めに出る。2じ頃苫小牧市到着、…出航は19時50分発、それまで時間があったので苫小牧市まで、苫小牧市、「阿弥陀様」へ昨年デモンストレーションを聴いて貰おうと思ってきまずくなった所である。店の扉を開くやいなや、「あ、お久しぶり!」店のマスター。ツル氏である。初めて色々話をした。一年振りだが顔を覚えておられて今度はにこやかに話しかけてくる。しばし、談笑、本日バンバンバザールのライブあり、…で誘われるが、本日夜1950分北海道を発つ旨申し上げる、ほど近くにスチール奏者がいらっしゃるという、婦人服洋装店で「セルマン」というお店屋さんの奥にスチール奏者の三橋さんはおられて、ご挨拶の後、演奏を聴いて戴いた! 今度は三橋氏のバンドの音源を聞かせていただき、多重録音レコーダーによる音源はハワイアン、なかなかのものだった、珈琲を頂いて、「もう少し早くわかってたら、他の連中にも声掛けたのによー、苫小牧市には後2人スチール奏者がいるよ!」とのことだった、船の出航時間が迫っているため、1730、おいとました。少し無礼とは思ったが店を閉める間際と状況にも恵まれて演奏を聴いてまた聞かせていただけた、またの再会を「阿弥陀様」で誓い合ってお別れした。三橋さん、いつまでも元気でスチールを続けて下さい。

「ランチョエルパソ。」旅日記 2005/5/8

一路帯広市へ。途中昨年も毛蟹を食べたカニの茹で揚げ場で毛蟹をいっぱい食べる、今日は年に一度の毛蟹を食べる日なのだ、美味しかった。今日のライブは東京「武蔵野はらっぱまつり」に「フリーマーケット」で出演したときキーボードアンドピアノプレイヤー、斎藤健一氏を迎えてのライブである。彼斎藤健一氏はここ帯広市の出身で全く偶然に「ライブランチョエルパソ」のコンピューター関係に身をおいているとのこと。そして今日のライブ招聘の為奔走していただいた。感謝します。ありがとう。全く奇遇である。どこでどうつながるか人間わからない。だから面白い。………で、その健ちゃん。帯広駅前「十勝プラザ」にリハーサルスタジオを確保した連絡があった。帯広市教育委員会の管轄らしく、スタジオ代は2時間千円と破格の安さだが……、お役所のそれらしく、書類を書かされ、時間キッチリ、ピアノは有力、PA、ギターAMP無しの素晴らしい内容だった、健ちゃん登場、元気そうだ、少しも心配してなかったが案の定!、てのあうバッキングを任せてしまえる数少ないうちの1人である。練習は段取りよく進み、健ちゃんとライブするとか演奏するとかよりもPATA氏の時もそうだったが暫くこうしていたいと思わせる至福の時だ。練習が終わり、「ランチョエルパソ」へ大きなレストラン、これなら修学旅行の生徒さんも捌けるだろう。大勢のスタッフ、マネージャーの小山内氏によるとそれでも半分にへらしたそうな………、社長の毎月の給料の心配は大変なもんだろう、ご同情申し上げます。マネージャー氏以下スタッフの方々がチラホラ覗きにいらっしゃる、マネージャー氏ウエストコーストフアンとのこと、待ち時間に食事、ローストポークの麹漬けは秀逸!生ハムもうまし!ライブまで待ちくたびれて少し眠る。もう少し早く設定しても良かったか?ライブ開始、健ちゃんのご両親がきておられた、泣かせるなァ、私には出来ないことだお父さんにはいろんな場面の写真を撮って戴いた。ライブつかみはイイ、30分やりきった、「雪の降る日に」では健ちゃんに感謝を込め紹介した。2ステージ目昨日の「ヒッコリーウインド」のカップル、安達&Samyがきておられた、泣かせる、特にワンステージ目である程度帰ってしまったので大感謝、「陸路の船」をリクエストして戴いたが昨日ヒッコリーウインドでカポタスト忘れてきたことに気づき断念、「サンアントニオへ行こう」で歌詞をアドリブでかえる、?みんなで行こうかサンアントニオ、?フェニックス、アリゾナ~?………とやるところを、みんな行こうか帯広、ランチョエルパソ~とやり、美味しいハムとビールがきっとあんたを待ってるーぜ~とやった。健ちゃんにも2曲歌ってもらった、いいかんじだ改めて同い年と思いしった、最後彼へのエールの意味で「天国の扉」健ちゃん、御同輩、まだまだ頑張ろうぜお互いに、演奏終了後平林社長氏、地元カントリーバンド「チャックワゴン」の和田さんとテーブルを囲む。先のSamyアンド安達さんも来てもらい、「千田佳生バンド」を結成し、和田さんをボーカルに「ジャンバラヤ」「コットンフィールズ」を演奏する。テレながらも相当な音楽の情熱ありと見た!しかしながら、カントリーミュージックの本質は歌詞にあり、オリジナルをもしも作ることがあれば…分かるはずだ心の叫びが、私、千田佳生は種を蒔いて歩く、「本質」を触れられる状況をつくるまで、少なくともカントリーミュージックにおいては、カントリーミュージックの非難はかなりやった、しかし、形だけ。非日常性を求めるような酒場の酔っ払いにアーティストの本質を曲げさせられてたまるか?本当のいみでのカントリーミュージックを見つめていきたい。ブルーズもね、若者達が私のまわりにやてくる、珍しそうに、そこで言う。「ペダルスチールをやりたまえ、いまやったらスターやぜ!(ただし、北海道地区のみでの…)協力するぜ!健ちゃんのかのじょも絶賛してくれた。しかし平林社長氏、「アイソーザライト」歌わないのは反則だぜ!(ボリュームさげろ!のパフォーマンスも良かったよ、老婆心ながら、月々の従業員スタッフへの支払い、………ご苦労様です。まだまだ頑張りましょう。


しかし、疲れた。ふー、夜ホテルにて、手塚治虫さんの「ブラックジャックを読みながらの寝酒はしふくでした。

「ヒッコリーウインド2」旅日記 2005/5/8

朝、スッキリと目覚めて、本居氏夫妻と朝食をとる。ブロックの上に桧の板の低いテーブルは良いものだ、本居氏夫妻はこちらをベースに4連泊出そうだ。「暇ができたらくるんですよ。」わかるわかる。窓から見える景色に心癒やされない人はあるまい。8時30分出発。…の前に昨日からだしっぱなしのスチールを片づける前に……最後の1曲を「フェィドイットラブ」本居、安藤両ご夫妻の前で弾く「色褪せし恋」とはシャレがきついかしら。しかし「朝からこんな贅沢な思いができるなんて!」と本居氏に言って頂けるこちらが感謝したいです。マジックを渡され、「ここで演奏してもらったミュージシャンは壁にサインしてもらってるんです」中野トクオさんやヒグラシさん、なんとジェフマルダーのサインまである、ギャラも頂けたのは正直嬉しかったです、すいません。安藤氏とまたのライブ特に「ジスイズさんとバッティングしないように…」次回もよろしく、CDを作るようにここでも促される、また会いましょう。

「ヒッコリーウインド」旅日記 2005/5/7

朝、疲れを感じつつ「おだ昆布店」を探すが御不在、以前昆布を送っていただいたお礼と何か買って帰るつもりが残念、コインランドリーで洗濯の後、鶴居村へ向かう。途中、温音内で釧路湿原の凄さに胸をうたれる。湿原軌道を歩く。初めて湿原の様子に感動。釧路の街をうろついてる場合じゃなかったな、鶴居村の温泉にて体を洗う。風呂は1日に何回も入りたい。「ヒッコリーウインド」着、ペンションは久しぶり、きれいな部屋はマスター安藤氏が頑張って建てたとのことだった、真面目に大工の勉強をしたとのこと。たいしたものだ。ペンションも時には良いものだ、安藤氏の御家族みんなでの暖かさにホッコリとした気持ちになる。安藤氏の小学生の娘さん、宿泊客の吉本さん夫妻にオモチャを見せて食卓で遊んでいるのが可愛らしく微笑ましい。料理は奥様の創作料理、ざるそばを近所で食べてしまったことを大後悔、うどんは遠慮させて頂いた、さてライブは数人で始まった。宿泊客のSamyアンド安達さん、安藤氏のお誘いにより、ライブを見て頂けることになった、今夜も特別に暖かい雰囲気だ。更にこの素敵なカップルは翌日の「ランチョエルパソ」にも見に来て頂いたのだった、ありがとう、Samyアンド安達さん、「ヒッコリーウインド」はバーズのグラムパーソンズの曲から名ずけた名前だが、意外なことかもしれないが私は曲を知らない。チェックしておけば良かったなあ…ライブは「雪の降る日に列車に乗って」で歌詞アドリブパートに終了後「縁が広がり繋がっていく…」といった箇所に感動を覚えたと言って頂いた。安藤氏、嬉しい。どこでも反応が良かった曲が「陸路の船」(青木タカオ作)だった、今回ここでも「絵日記」を高田渡さんバージョンでやり、「生活の柄」に繋いだ。安藤氏は白糠町の渡さん最後のライブに立ち会ったそうである。熟年のご夫婦の為に「カイマナヒラ」を弾こうとするがうろ覚えなので「ハワイアンウエディングソング」を、そして休憩の後、安藤氏率いる「ヒッコリーウインドバンド」に加わった。「テキーラサンライズ」「ウエイト」「ゴーイングノーホエア」マンドリンプレイヤーの方が嬉しそうにしていてくれる。「千田さん、最後にしめてください。」こんなときは「天国の扉」終わって皆さんが余韻に浸ってくれている、…と毎回のタネ明かし、……になってるかな?皆さんわからなくて当たり前だが……。「再びの演奏を期待します」との声を後にお客様は帰っていかれた。本居氏と安藤氏と私でバーボンを嗜む。最後のショットグラスは〇十年もののフレーバーが素晴らしいモノだったので恐縮した。何から何までありがとう。夜、大熟睡。疲れてるなあ…………。

「「ジスイズ」にてライブ。」旅日記 2005/5/5

準備、リハーサルはある意味身内だけのライブ。テンションを少しづつ上げていく、ステージ衣装に替える為、ホテルに戻り着替えて帰ってくると皆さん、今や遅しと待っていらっしゃる。席に着いてチューニングを終えると、小林東氏のこのライブを招聘するに至った経緯をお話になられた、曰わく、「ちょうど昨年の今頃、知久さんのライブのポスターを見て入って来られ、弾かせてもらえませんか?とのことで弾いて頂いたところ、これは凄い。と思って、ミニコンサートになり、聞けば、中標津でライブした後だとのことで、ここに新しいご縁が生まれました。」小林東さん、ありがとうございます。ライブは今夜もゼッ好調!「ジスイズ」が真っ先に決まった店だった、「陸路の船」では光るスティックを使用、初めて見る人は度肝を抜かれる、…の筈だが、さっすが「ジスイズ」さんの常連客、歯ごたえがある、トリッキーに、繊細に、普通に、、「生活の柄を」をトリュビート、「友部正人」氏の「絵日記」を高田渡バージョンにして演奏、うるうるくると言ってくれたかたに感謝します。ライブは最後の「一番列車で……」(Aトレイン)で最高に盛り上がった。アンコールは小林東氏に「スターダスト」を捧げた。終了後子供達は興味津々な感じで光るスティックとスチールで遊んでる。片付けて打ち上げ、……の前に、「千田さん。ちょっと目をつぶって、……」私、「?」 目を開けると……そこには「大谷ひろゆき」のCDをマスターが持っている信じがたい光景があった。「わァ」………。さて、打ち上げである。中華料理にて。みんな本当にご苦労様でした。「Aトレイン」を演奏しているとき自分の紹介の他に、マスター小林東氏、PA担当の本居氏、そして進行の安井さんのカーテンコールを行ったのは自分としてはかなり突発的なことだった、このやり方やり取りは面白かったので今後も使える。打ち上げであるが、和やかに時は過ぎていく幸いを餃子や揚げ麺と共に噛み締めていると、パーカッション奏者「富樫雅彦」氏がパーカッションを引退をしらされた。されど、作曲家、絵描きとしてアーティスト活動を続行してらっしゃる由、さすがだ。また釧路に着たときの再会を誓い合って別れる。本当にありがとうございました。

「釧路市2日目「ジスイズ」」旅日記 2005/5/5

朝方起きて、フロントに連泊を申し出る。諸料金が掛かって少々高めだが「ジスイズ」の近くであること、町の中心街であることには替えられない、とは言え、連休で街は殆ど休み、朝食サービスは大正解。かと思えば、早朝(?)から営業してる楽器屋もある(9時位)私よりも10歳位年上と思しき男性二人でやっておられる。「オトヤ楽器」なるお店は小さな店内ながら、製品は殆ど最新型で商品の回転率が高いことを示していた、足らない。ノイズ対応策型のシールド50センチほどのものとダンロップのサムピック(これはなかなか無い。)を買い、ビッグマフを試奏させてもらった。ビッグマフはその商品でサウンドがかなり違う場合が多く、ビッグマフだからといって安心出来ない代物なのだ。試奏してみると。バイオリンの音は今まで弾いた中でも1、2を争う性能ながら購入は断念。お店のご主人に大変喜んでいただいた。鶴居村へ行くときの注意点、鹿が飛び出してくることがあるから注意、とか…その後街をぶらつくがあまり面白く無い。パチンコ屋は昨日ガラガラだったのが年寄りで一杯、ランチバイキングで美味しいものを少しづつ食べた。特に中華スープ、と紅茶でケーキ類を食べたが食べ過ぎは愚かなことだ。変わってものを少しづつ食べた。900円なら安い。弦を張り替えて「ジスイズ」へ、マスター小林東氏、PA担当、本居氏、そして、今まで「たま」の面々を招聘してきた安井さんが来ていた、会場設営、この日のPAは初めて使うという光栄に預かった。リハーサルもスタッフ一同、和やかに進んで常連客の早い人びとがきていただいている、(それにしても眠い。一時中断、眠い。)以下次号

2022年5月26日木曜日

「移動日続き(話がそれたので、)」旅日記 2005/5/4

朝まで高速道路の札幌近くのパーキングで車の後ろで寝る、北海道らしい風景が目に入って来る、 去年も食べたたラーメン屋に入り今年も食べた。(あまり美味くない)疲れをとりながら釧路市へ向かう。今日は楽器には触らないでおこう。しかしながらよく晴れた天気ストリートというか野外演奏日和だが、先を急ぎたい。釧路市到着は午後6時を過ぎてしまった。途中チーズ工房に寄っていろんなチーズを試食した。納豆菌で熟成させたチーズは匂いが強くそういえばこの匂いは………。釧路市到着「毛ガニ1パイ500円」残念ながらこれは各家庭で茹でて食べるものだそうで食べられず!釧路市駅前到着、実は目あてがあった、パチンコ屋で今時珍しいオール10の台が沢山あり楽しみにしていた、1400円の勝利、明日も行こう!1時間ほど遊んだあとホテルを確保し、「ジスイズ」へ、マスター小林東氏と話し込む。「田中まこと」氏のCDを買う彼は旅先でよく名前のでる人、因みに私と比べられる人は、もとい、私がよく比べられる人は五十一氏、ヒグラシトシロウ氏がいる。ヒグラシ氏は是非とも一度見てみたい。そういえば今のところペダルスチール奏者には会えないから少し寂しい。夜、アメリカン居酒屋で飯を食べたが安かったのはマスターが注文を露骨に間違えて、しかも隣に座った歯医者さんをわたの失言で怒らせてしまい、苦い酒だったかも…釧路市の歓楽街は人影も寂しく、客引きも長く食い下がって歩いているどころではない。おとなしく、ホテルに戻って眠った。

「本日休養日(移動日)」旅日記 2005/5/4

5月3日、憲法記念日である。憲法改正、憲法修正、憲法改悪、これまた毎年の事ながら、平和憲法が現状の憲法だとしたら、論議論争はしても替えないことが望ましい。北朝鮮問題、拉致被害者の方々および、そのご家族の苦しみは大変なものだが、北朝鮮の最近の焦りが大変気になるところだ、将軍サマが亡くなる前に「核兵器を何としても完成させなければ」という焦りは想像しても恐ろしい!将軍サマが亡くなって、北朝鮮の人たちがマインドコントロールから解放され、拉致被害者の日本への帰還を果たすことが出来る。というのが一番安心な平和へのシナリオだが、アメリカの自国の経済的な都合上爆弾の雨を降らせるという欺瞞だけは阻止されなければならない。金の為の憲法改正など論外なのだ。大義名分を語ってるが結果これに他ならない。アメリカの一番の子分、日本は軍事力に当てはめる分の金を平和への繁栄の為に当ててきた。軍事力を持たない国のプライドなど空しいもんだろう、お金持ちの妻がプライドだけは高く、自分ではお金を稼がないくせに、夫にああだこうだというのに似ているかも…しかしながらこんなパターンで妻が経済的に夫から自立しようとして不幸、ど!ビンボウにハマった女性を何人か知っているが…今の日本が経済的理由よりもプライドを優先させるとは考えにくい、考えてみればそれほど日本人は個人主義に…というよりも各々の幸せが保障されている、大きな波はよほどのことだろう。考えてみれば、日本とアメリカの理屈で某シンガーソングライター夫妻に当てはめてみれば、日本にあたる妻が経済的に自立し、(この場合音楽的を軍事的に当てはめる)アメリカにあたる夫から独立を維持し続けてているが、音楽的な格差(この場合夫の音楽的力量ネームバリューをアメリカに当てはめて軍事的な格差とする)はいかんともし難く、私、千田佳生に経済的に夫から自立しているにもかかわらず、「そうよ!私は夫っていうかぁ~男に頼って、頼って、頼って、頼って生きていくの!ほほほほほほほほッ」と経済大国に似た皮肉を言うのである!(しかも彼女は代表取締役である)それを言われた私は国に当てはめたらまさかー!私は〇〇〇か~! 我々3人のミュージッシァンの音楽的力な力関係は世界情勢に似ているのかも…

「札幌「らぐたいむ」にて。」旅日記 2005/5/4

少々疲れ気味、だが、ライブを始めるとシャキッとする。しかしながら過信はいけない!誰しも疲れた奴のライブなど見たくない。要領よく疲れた体を休ませる、疲れてくると判断力が鈍る。今日は宿も決めずにボーっとしてる。また すすきの かな?…と思ったら全然住宅街、どこにでもありそうな場所にそれは有った。ライブハウスらしくて、ホッとする。マスター高橋氏と話し、集客が連休でちょっと…とのことだが! 覚悟の上だ。地下生活者の「水上純一」氏が入ってくるかねてよりお名前は存じあげていたが聴きに着ていただけたことに感謝である。急遽青木タカオ氏に連絡、感謝を伝えた。人数は少なかったが集中力はゆとりがでてきた。評価も上々、お客さんと話し込む、ここ数日音楽三昧だったので店においてあった2次元オセロに興じるひとときが尊く思えた。お相手していただいたのは寺西さんというギタリスト、むくつけき容貌に似ず非常にセンシティブなギターを弾いてくれた だが待て、彼もイーグルスフリーク、私、「もう~最初から言ってくれりゃいいのにぃ~。」やはりもう一本ギターを弾いてくれる人がいるのには叶わない。
イーグルスフリークなら、やって欲しかったセッションで後悔を何度か味わったので用心深くなってしまった私がいる。セッション出来、音楽を分かち合う喜び、もう一度トライしてみたい。

「運河にてまた。」旅日記 2005/5/3

小樽市運河にてまたストリートを敢行。ただし、1時間4百円の駐車場のためほどほどに…楽器を担いでいくと…「千田さんじゃありませんか?」との女性の声、「!」かわいらしく聡明なかんじのそのかたは小松崎さんの奥様でフィドルを持っておられた。これからストリートとのこと、「向こうで夫が演奏しています」とのこと、ハンマーダルシマー奏者、小松崎健氏である。早速お会いすると長年お互いに存在は知っていたもののお会い出来なかった人がこんな素敵な場所でしかもいきなりの千田、小松崎氏のセッションと相成ったのだから、まさに、奇遇である。観光客も足を止め、昔、よく聴いた「SAKURA」の曲などセッション、長年お会いしたかった方がこんな素敵な場所でしかもいきなりのセッションが叶ったのだから、なんて素敵な旅であることか、今夜のライブが素敵なものになる予感のように思えた。再び札幌へ。

「ありがとうPETA氏、そして」旅日記 2005/5/2

ライブも3日目、そして今回はかねてよりフィンガーピッキングとその人柄と歌に対して評判の高いPETA氏のゲストである。そしてまた小樽市に戻った。疲労の度合いを考えて、今日も早めに宿を決めて、少し眠ることにする。駅前の玉光堂なる楽器屋に入ろうとすると小樽市カントリーミュージック…なるポスターを見て、事務局に電話してみたが仕事らしく、電話で応対した女性の方も(ミュージシャン)「ペダルスチールの方はいらっしゃいますでしょうか?」の問い合わせに何のことか分からないといった感じで要領を得ない。ペダルスチールの楽器の存在をあまり認知してないシンガーのケースは沢山あるのでもう驚かない。だが…もう少し粘って、今夜のライブを聴きに来てもらうべきだったかも…さて、「あじや」である。マスターの木本氏は私と同い年、青木タカオ氏、に東京在住の一年間で運良く、大谷ひろゆき氏、山下由氏、古賀ひろゆき氏、そしてカブちゃんと会っているのだ、よもやま話の中これまた懐かしいPETA氏到着、彼とは東京上野野外音楽堂以来8年振り、風邪をひいて調子悪そう、店の前で今夜泊まりの宿の「青葉荘」のお婆ちゃんに会って、「今夜聴きに来ませんか?」(昨夜のノリが残ってるなこりゃ…)とお誘いすると、なんと、娘さんが聴きに来て戴いたばかりでなくビールも奢ってもらった。ライブ開始。PETA氏は綱渡り状態しかし、さすがプロ根性、立派だった。歌に入るまで、インストールメンタルパートでインターバルを取ることができる。楽器こそ違うが私とPETA氏は同型のアーティストだろう。私も昨年は無理をして声が出なくなってしまった経緯を考えるといま無理をしないのが賢明だが聴きに来て戴いたお客さんがひとりでもいれば私だってそうするだろう。「ハックルベリー・フィン」をPETA氏とセッション、良い感じ、本当はライブよりもこうやって飽きるまでセッションしていたい。私のライブも好評、いつもの歌詞アドリブも好調だ。最後に「天国の扉」をセッション、ありがとうPETA氏、打ち上げの酒うまし。PETA氏の新譜買うことを申し出ると「本日のギャランティーです。」と無料で頂いたのは恐縮した。(しかも彼が去ったあと、チャージ山分けをマスター木本氏に託して帰っていかれたのにも二度恐縮した)私も帰り際「木本さん、一曲聞かせて貰えませんか?」青木タカオ氏よりフオークシンガーと聞いていたので歌って貰った。「今現在のリアルな木本氏の思い」を歌った歌曲もとい、佳曲だった。木本氏、ありがとうございました。また会いましょう。

「2日目Heartofすすきの」旅日記 2005/5/1

2日目はアメリカンメロディハウス、しかも、すすきののド真ん中、風俗店のビル群の一角にそれはあった。エレベーターのBGMはショパンがかかっていた。お店は20周年との事、風俗店に囲まれた中でも、ここだけが異質な感じ、(すいません塩田さん、)そして、生ビール3杯呑んだ後、ライブは始まった。お客さんは高齢者が多く、というかほとんど、最初から掴みはいい、「ハワイアンをやってくれ」の声に「ハワイアンウエディングソング」をやる。大変反応が良い。全体的に反応が良かったがオリジナルである程度押すよりもジャズスタンダードでやったほうが良いと判断。後半は「ロンドンデリーエアー」を弾くと判断は正しかったと思った。たぶん70歳代の人が楽しめる音楽は少ないだろう。それと店内は禁煙。これは英断である。帰り際「タバコの煙りが入ってくるわよ。先生!」なんか、常連客の皆さん方は、品性の良さそうなそれでいて父親の年齢より遥かに上と思しき人びとばかり、しかしながら「これからはやっと好きな音楽をやるんだ!昔スチールギターが欲しかったけど、金無くてねー!」ガラス工芸の先生をしていらっしゃる由「スチールギター弾きたかったけど先にウクレレやったほうがいいって先生にいわれてねえ」どこのバカ講師だ自分の都合をこの老い先短い人たちに押しつけるとは!しかしこんな事を言える筈もなく…だ。私がいや私達が音楽を楽しめてるのは日本を必死に頑張って働いてくれたこの世代の人たちがいてくれたからに他ならない。フオーク世代の私達より一回り上の団塊の世代の人たちは特に、この戦前生まれの必死に働いた日本の上に乗って、日本のフオーク、ロックを立ち上げたのだ、物事の発展には段階がある、日本に豊かさ無くしては誰しも気軽に音楽を楽しめやしないのだ。ペダルスチールを少年のように興味津々に触っておられたこの人たちに目頭が熱くなってしまった、再三のアンコールがおわり、富山県滑川出身の若い演歌歌手の熱い包容を頂いたあと、「永遠の音楽少女」こと、塩田明子さんにお礼を言って、人生の音楽少年の期間を40年繰り上げて働き続けて、いまやっと本来の音楽少年に戻った少年達に別れを告げた際、「来年も来いよな!」「また聴きに来るからよ」の声に、いつまでも音楽少年達と一緒に「アメリカンメロディハウス」がありますようにと思い、すすきのを後にした、外ではまだ風俗店の呼び込みの若い女の子が震えながら頑張って働いてた。

「小樽市の町並み」旅日記 2005/4/30

小樽市の町並みになかなか風情を感じる。廃屋がどれもイイ感じ、漫画家「逆柱いみり」の作品に登場するような… その昔栄華を誇った。町並み全体がアンティークな感じ、ただし、客寄せの町並みよりも、生活の臭いの後のリアルな町並みに興奮を覚える私がいる。明後日はまた小樽市、「あじや」だ。

「ジャズ喫茶、フリーランス」旅日記 2005/4/30

初日はジャズ喫茶「フリーランス」マスター神田氏がにこやかに迎えて戴いた今回電話での応対では実に親身になって戴いた。私のライブをお客さんに説明するのに困るという。なるほど、「最低限の線で…」と私が言うとマスター神田氏いわく、「まあ、ブログレッシブフオークかなあー」といわれ、フオークからなかなか脱出できないもどかしさを抱えつつライブは始まった。つかみはいい、なるべく休みを入れず演奏しながらのMCが功をそうして、良い感じ、途中ギタリスト氏を入れ無事終了後、投げ餞が17000円あり、その後一人で一万円入れた方と食事にいき 車中でねむる。

「小樽市運河にて、」旅日記 2005/4/30

かねてより聞き及んでいた運河でのライブを敢行する。午前4時に着いた小樽市に為、少し眠れるスペースにて仮眠、観光地なのでホテルは最早無理だろう、しかし、この町には停車可能な道路脇があり助かる。しばらく仮眠のあと運河でのストリート、何か縄張りがあるらしく再三場所移動を強いられる。イライラしてくるがよそ者は仕方なしに、落ち着いてしばらくの間ひきつづけて弦の交換、良い気分になり、話に出ていた浜田隆史氏とセッション、良い感じ、後でラグタイムギタリストの彼のプレイは秀逸だった。

「初日、船中。」旅日記 2005/4/29

昨夜、北陸高速を130キロで爆走、3時間でフェリーターミナル、また例によって軽自動車の後ろにコンパネをひいて対角線に寝る。すっかり慣れたよなあ、体を横にできればぐっすりである。スチールと薄いthinアンプを持ち込む。2等寝台、トラックドライバー連中が酒盛りを始めて、寝台がヒダラ(干した鱈)臭く、たまったもんじゃない。スチールとthinアンプを持って甲板、波は穏やかなのに「船酔い」をしてしまった。地獄のようだ。寝台で寝たくてもあの臭い匂いは改めて、吐き気を助長させる。船酔いは潮風にあたるにかぎる。長い間、潮風にふかれていた。酔い止め「センパア」でやっと、まともになった。

スチールとは 目を使うので。疲労困ぱいの時にスチールをひいたので体調が正直にあらわれたのかもしれない。

正直船酔いは思ってもみなかっただけに侮れない。慎重にいきたい。

「2005アースデイにて。」2005/4/27 

ことしはなんと富山市ファミリーパークで催される。大勢の人、一般客、アースデイの遠方からのお客さんもマナーが良い例えばタバコはほとんど全ての人がパッケ口を持っていて今の若者はしっかりしてるなあ~と感心する。たったこれだけの事でも長く運動してきた成果なのだ。

さてステージだが、長ーく歩いて里山の芝生広場、2台のアンプを台車に括り付けて重ーーーいペダルスチールをひっかついでやまを登る、なかなかの経験をさせていただきました。去年セッションした若者たちと再会、(毎回の事だが顔を忘れているのはこまつたもんです。)大谷のステージかつて私と一緒に演奏していた寺野君は今は大谷のところにいる。そ・し・て!フェルナンデスのストラトキャスター(1977年購入ギターの愛称は「マサエ」)も大谷ひろゆき の手の中にある。私の青春を知っているギター、拉致されている愛娘を見る心境である。横田ご夫妻の淋しさの何十分の一かわかる気がするのだった。大谷は受けている。フアンをちゃーんと掴んでいて、オフステージも楽しそうだ、私のほうは私の音楽を良いとおもって聞いていてくれるのだ、数は少なくても見る人は見てくれている有難いと思う。「人が寄ってくる人」「人が余りつかない人」残念ながら私は後者だろう、しかしながら、旅に出たりすると何も知らない人が全く先入観無しで評価してくれる。その時自分が自分で良いところがあるんだと思いよく安心する事があるのだ周りの評価ががどうあろうが自分は自分の道を行くだけなのだ何回も書くけどね。でも、大谷っておいしいなあ~!
私はソロで自由にやったが、ステージからセッションを呼びかけたのは失敗したなと思った(山野氏ごめんなさい)自分がまだまだ音楽をがんばっている理由の一つに「大谷ひろゆき」の存在がある。断言して言える。音楽のやり方や考え方そして同時代を生きるライバルである。(その妻も・・・)そしてよき友である。(その妻も・・・)


さてメインステージを見に下まで降りていくと、「じゃがたら」のOTO氏に会う。「6曲目にでませんか?」と演奏に誘っていただいた、うれしく、そして毎回の事ながらありがたい、演奏に奈良ダイスケ氏、サヨコ氏、とも久々の再会、明日のライブに行きたいなあ。彼等の楽曲は他のバンドとは明らかに一線を引く何かがあり、「さすが!」とおもってしまった。翌日の富山のライブに行けなかった事が惜しまれた。演奏セッションはじめ、スチールに座ろうとしたらズッコケてOTO氏が絶妙のMCを入れてくれたのだった。(笑い)また会おうね。

・・・と北海道ツアーしゅっぱつします。

「FMとなみ収録終わりました。」2005/4/26

まずは案内です。FMとなみ76.9MHz「となみ野芸能館」放送日時、毎週月曜日、11時30分 10分間コーナー、再放送(月曜日17時30分~)
放送日時、5月2日、曲「週末には」(千田佳生 作)5月9日、曲「ひまわり」(大谷ひろゆき 作)
5月16日、「雪の降る日に列車に乗って」(作、千田佳生)
5月23日「陸路の船」(作、青木タカオ)
5月30日、「兄弟」(作、青木タカオ)
おおむねトーク5分、曲4分の構成です。トーク内容は
第1週「千田佳生自己紹介、ペダルスチールとは?」
第2週「ペダルスチールに出会うまでの音楽遍歴」
第3週「これまでの演奏実績」
第4週「演奏旅行などでの出逢いやエピソード」
第5週「今後の活動予定、抱負」
…とまあ、こんな感じですが、全て一発録音でやり直し無しでした。(曲もトークも!)所要時間。は一時間20分。スピード録音で、緊張感を味わう間も無くおわりました。
聞いてください。

「jinjinにて」2005/4/24

今夜はソウゲン和宏氏 六反洋一氏によるライブ、お客さんが来るかと心配したがなんとかなって良かった。六反洋一氏最初硬さが見られたものの、最後のインストールメンタルになるとノリノリでやって拍手だった。だが人間の耳はいざという時判断に詰まるので常時チューニングメーターを装備されたい。チューニングすることも練習のうちである。後は数多くライブだが、気楽にストリートを勧めたい。最初の硬さとチューニングすることを落ち着いてやればベストライブだった。ソングライティングは父親の視点の2曲目が秀逸だった。梅原進行のコードワークは良い!しかしながらギターをパーカッシブに叩いたギターのダメージが心配である。押尾コータローも絶対ギターのどこかをよく壊してるはずだ。ソウゲン和宏氏はメチャクチャ安定している。ファンク以外の曲にもう少し華麗なコードワークが有れば緩急のついた良いアーティストになる。そうだ!ソウゲン氏と六反氏が一人になるようなアーティストがいれば、これはスゴい!音楽もギターも山あり谷あり海あり、宇宙あり、洞窟あり、…なんてね!こんなひとがいればちょっと凄いだろうな!

「ゴキの日。」2005/4/23 

本日ゴキこと故、御器谷友彦君のトリビュートイベントが福野「サムデイ」にてあることを思い出し、彼の写真にラム酒を供えた。が、その遺影の中には私の演奏する姿も写っている。事実上この店のなかでは私は死に体だが、(笑い、完全に過去の人ってか)これから我々は年をとり、彼はずっと若々しいまま思い出は動かないのだ。

「ライブ予定情報」 2005/4/20

 4月24日

砺波市「jinjin」にて宗玄カズヒロ氏と数曲弾きます。

4月25日

富山市「アースデイ2005」

12.30~13.00まで

「FMとなみ」2005/4/19

FMとなみ より私の演奏を放送したい旨の連絡あり、承諾する。5週間に渡って10分づつ5回放送予定とのこと。カレーハウスjinjinの関沢氏より推薦があったとのこと、実にありがたい。これで少しはライブにお客さんが来ていただけますように、実に現実的な思いが頭をよぎる。良い演奏をしたい。収録は来週初めになるとのこと、皆さま聞いて下さい。

「桜ケ池でストリート?」2005/4/17 

朝、シンガーソングライターギタリスト配管工六反洋一氏より電話あり、PAのテストを兼ねて、お花見兼ストリート兼練習を敢行する。六反洋一氏とつるんで行動するのは初めてかな?私もPAクレートのアンプの試奏をダブルで鳴らしてみる。うーん…、これなら来週のアースデイも大丈夫そうだ。50W×2威力は絶大だ!バッテリーアンプをこれだけ贅沢に使う。六反洋一氏はマイケルヘッジス、押尾コータロースタイルが加わり、重厚なソロイストになっていた。オリジナルも秀逸でjinjinが楽しみだ!

「加賀市山代温泉にて。」2005/4/17 

本日加賀市山代温泉瑠璃光にて演奏。時間があったので、桜の満開の木の下で練習していると近くでお花見していたお婆ちゃんが見にやって来て、「聞こえないからもっと大きくやってくれ」といわれ「ゴンドラの唄」をやる。お婆ちゃん(80歳は超えている)歌ってくれる。ストリートのつもりはないのだが、渡さんの死で大分感傷的になっているのか、心にしみた。ご家族のかたより「おはぎ」の差し入れがあり、お婆ちゃんの手作りおはぎはちょっとなかなかの味であった。アマチュアの味。それから桜花を眺めながら暖かい日差しのなかうつらうつら眠る。疲れが溜まっていたようだ。

よる山代温泉「瑠璃光」にてライブ、ソウゲン和宏氏とのコラボレーションは心配したがかなり良い感じ、温泉旅館の客は意外にじーっと聞いてくれている、リクエストもかなりかかり、「フライミートゥザムーン」なんと「仰げばとおとし」客がスチールの前に席を移動しだして、リクエストも沢山かかった。ソウゲン和宏氏もノリノリでやってコンビネーションもバッチリ、来週の砺波市カレーハウス「jinjin」のライブが楽しみだ!ライブが終わり、お客さんがいなくなったホールで私一人で渡さんの追悼の一曲「生活の柄」をやった。お客さんは帰ったはずだが、どこかから小さな拍手が起こった。嗚呼………。

「渡さんのこと。」2005/4/16

高田渡さんが亡くなられた、今朝、釧路市で「武蔵野はらっぱまつり」で99年ではなかったかと思うが共演させていただいた。「はらっぱまつり」では毎年お会いしていたが、大変元気そうだったから、彼は一眠りするつもりで亡くなられたような気がしてならない。(こんなときに冗談をいっているつもりはない)ステージでよく眠りこけたそうだか、ツアーがあの体の状態ではキツかったのではないか、ツアーに出てみるとわかるが、車での移動と違い寝たいときに体を横に出来ないとか、推測にすぎないが、5月4日は釧路市のジャズ喫茶「ジスイズ」でライブがあるが渡さんの曲を1曲捧げて渡さんをトリビュートしたい。その前に本日山代温泉「瑠璃光」にてライブなのでマネージャー氏に事情を話して、渡さんの曲を1曲演奏するつもり(店は70年代メジャーフオークをハコバン的にやるらしい)高田渡さんには焼酎を何度も奢ってもらった記憶がある。「お父さんより息子さんにお会いしたい」と言ったら首をしめられたこともあった、渡さん、ゆっくり休んでください。

 千田佳生さんの新しい動画をYouTubeにアップしました。 1998年10月、名古屋池下にあったシュークラブで、 私(青木タカオ)のサポートをしてくれた時の演奏です。 「黄色い男とチャイの唄」 https://youtu.be/JWzVGDd6Fdc 青木タカオ(vo.g) 千...