国内のペダルスチールファクトリー、「ファゼィ」の藤井社長に対しての感謝は、あまりにも多大なものがあります。
1982年に…。
ギター(レスポール)にパームペダルを取り付けられないかか?
そう立川市を訪れたことがキッカケでした。
藤井社長の前でギターにてペダルスチールリックスをやり、社長が随分と喜んで頂いた記憶がありました。
…実は求職中。
「ファゼィ」にスタッフとして入社することになりました。
「ファゼィ」のことを知ったのは神田の「カワセ楽器店」でのフライヤーでした…そこにラップスチールを弾いてる粋な老人(失礼しました)がいて、「冬場でもハワイアンをやらなければならない。」
…その方は外山寛さんだった記憶がします。
さて「ファゼィ」の勤務は内心では大好きでした!
バフ掛け、フライス盤操作、工作…自分の性分に合う仕事だったのです。
しかしながらダメダメ社員でしたね…鈍くてノロマで遅刻はしょっちゅうだし、何度も注意されても直らない…。
そしてカントリーミュージックとの出合いと、ペダルスチールとの出会いとなりました。
自分は22歳でしたね、ペダルスチールの早弾きや、中でもペダルスチールのスローな曲の感情表現には、完全に心の琴線を揺さぶられてしまいました…。
沢山の外人さんの来客やミュージシャンには22歳の自分にはまさに当惑していた気持ちでした!
ペダルスチールの表現力には圧倒されたのです!
多感だったかもしれませんが、本当に涙が出そうだったのでした、中でも藤井社長の弾く「ブルージェイド」「バッドバーンズ」は圧巻でした!
そして2ヶ月に一度のミニコンベンションでも刺激は続きます。
音楽とは何と素晴らしいものでしょうか‼
そして「仕事の姿勢」や「音楽とのつきあい方」…。
藤井社長は自分に…。
「音楽してられるだけで幸せなんだよ。」「週に一度の日曜に寝坊してられるのが幸せだよ…。」
しかし若い自分には理解できないで、この年齢になってから遅まきながら理解することとなりました…。
月に何度かの演奏する機会やスタジオでの練習。
色んな曲を知ることが出来ました、これは自分を広い演奏の場へと導いてくれた源泉となっています。
ある日の休憩時間に…。
「千田君は新しいペダルスチールを、新しい音を出せるよ!」
Wさん曰く「社長は良いところを引き出すのが上手いんだよな!」
藤井社長に2回レッスンを受けたことがありました。
スタジオにて「バッドバーンズ」を弾いていた時に藤井社長が…。
「千田君、ブロッキングを覚えた方が良い、バーで音を切るのは昔のやり方だ、今は予め弦の上に右手でミュートして弾く時には弦から右手を離すんだ!」
自分は「‼」
…。
時は流れましたが、藤井社長からの教えは残ってます。
だけど、師弟の関係が有るならば…。
自分は決して良い教え子ではありませんでした。
家業の関係で転職を決断せざるを得なかったのは、今思うと残念でした。
何より炎天下で穴を掘ることもなく、寒い冬場で手をかじかむ事もなく、好きなカントリーミュージックに囲まれてバフ掛けをしていた昔を夢にも見るのでした。
社長は…。
「お前はカントリーはやる必要はない!そのまま行け!」
出来の悪い子供の最後の願いですが…。
社長の使っていたキーレス8ペダル7ニーレバーを。
「ショーバッドレバーからエモンズレバーに変更。」
それと…。
今の「ペダルスチール弾き語り」のスタイルに合ったペダルとニーレバーのセット。
まだ働かせてすいません…。
自分も歳をとりました。
でも…もう一働きを、どうかお願いいたします。
「ファゼィ」のチェンジャーシステムは世界一です!
自分もまだまだ弾いていきます、社長もご自愛をよろしくお願いいたします。
投稿者: 千田佳生