「NHKクローズアップ現代」にて、漫画家、故中沢啓二先生の代表的作品である、『はだしのゲン』の特集番組を放映していた。
太平洋戦争中、広島市に人類史初めての原子爆弾が投下され、主人公『中沢ゲン』の原爆投下される前の中沢ゲンの家族とと、原爆投下後のゲンと、弟に似た、隆太の半生を描いた作品である。
故中沢啓二先生の作品は、小学校一年生の時から読んでいた。
先生の作品は一番初めに読んだのは、今は懐かしい少年月刊誌「少年」の『ガメラ対ギャオス』…だった。
中沢啓二先生が描いた作品は「死」の描写が『ガメラ対ギャオス』でもギャオスに食いちぎられる人間の描写が、実にリアルで…。(当時小学校一年生)
主人公がちぎられて血まみれになって死んだり…と、殺される描写が幼い目にはゾクッ!っとしたのをよく憶ぼえている。
同じ「少年」(光文社)で、『戦艦不死身』で艦長が整備作業員を全員溺死させる、場面も忘れられない。
艦長曰く、「秘密を知っている人間には、みんな死んでもらうのだ!」
表紙も忘れられない残酷な描きかだったことも凄いと思ったものだ…。
さて話を元に戻して、『はだしのゲン』であるが…。
主人公のゲンが、最後までの巻を単行本で読んでない。
ただ…隆太が殺人事件を起こして、バーのマダムを恐喝したところで、私の記憶は終わっているから…。
最終回の巻の コミックまでは読んでない。
「少年ジャンプ」の最終回はゲンの頭に毛が再び生えて来て、その終戦当時ヒットとなった題名は知らないが「緑の丘の~赤い屋根~とんかり帽子の時計台~鐘がなりますキンコンカン、メエメエ子ヤギも、鳴いてます~。」
…で「少年ジャンプ」での連載が終わったことはよく覚えている。
何かでよんだが家族一同が、原爆の爆風で家の下敷きになりながらも、父親が「ゲン!強く生きろ!」
この描写を見て、当時の『少年ジャンプ』の編集長をしていた「ナガノタダヤス」編集長は、涙を流して連載を決めたそうである。
当時のジャンプは、「男一匹ガキ大将」「ハレンチ学園」「ド根性ガエル」の時代で、ジャンプの執筆陣も気合いが入っていたように思う。
今はあまり漫画誌を読まなくなったが…。
『はだしのゲン』は20ケ国語に翻訳され、その殆どがボランティア…北朝鮮の国名は無かった。皮肉ではない。
投稿者: 千田佳生