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2022年5月31日火曜日

「怒りまくり!!!」2005/12/31  

何気なく見た年末番組で「年金問題」の官僚の天下り、バカ高い給与。(信じられないほどの金額!)資金運用で、愚にもつかない公共施設を作り、年金をつぎ込んだ挙げ句、二束三文で民間に売却した事実たるや、まるで人ごとのような現役国会議員の態度にむかつく。(K.S 元大蔵省官僚)やはり同一の政党が長期政権を行ったことに対する腐敗はやはり一掃されなければならない、安月給の庶民が工面して収めた掛け金が、官僚と、又は、国会議員と癒着した地元業者に事業を出すこととかの図式は創造にかたくない。「天下りの禁止」は法制化が必定だ!こんなことをしなければ、日本の経済が円滑化しないと言うなら、日本は何とも情けない国だということである。厚生省の「国民年金」の資金運用についての責任者はウマくすり抜けた上、また退職金までかすめとり一切責任を取ろうともしない、番組のコメンティター大竹まことさん以下激怒していたが当たり前だ!不正、または不正に近い行状を働いた官僚や国会議員の財産は剥奪されねばならない!2・26事件のようなクーデーターや、文化大革命のような事態はこの個人の財産が保証された日本では期待すら持てないが、しかし、これは低次元の言い方をすれば、詐欺である。官僚のズルやデタラメな給与形態が無ければ、支給額や支給年齢も下げられるはずである。我々にはわからないように煙にまいてこれだけの詐欺まがいの行為は許せない、K・Sへ、な~にが法治国家だ!ふざけんな、いくら退職しているからといって、不正は不正だ!退職した元官僚の財産を調査し、返納させよ!でなきゃあ、革命だ!(いや、たぶん無理か!)こんな官僚のテロ行為なら容認したいくらいだ、日本では貧乏でも餓死者はいない、出ない、この国を動かしている連中は日本は個人主義で分断されていることを良く知っているようだ、だいたい革新系の野党がだらしない、悔しいなら拉致被害者の消息を確かめて奪還してこい!自民党以外からヒーローを、!そして、日本の国に巣くう日本の国の寄生虫に「虫下し」を処方するせーじ家が出てこなければ、しかし、日本はなんてスケールの小さいプライドのない国にったんだ!

「今年のことを…。」2005/12/29

ペダルスチールのテクニカルな面においては、過去に例を見ない程に発展があった、特に、と言うより全てソロスタイルのテクニカルな面で、中でも、インツゥ(2ビート)の速い曲においてはペダルスチールの特徴を残したまま、リズムを切りながらと同時にペダルスチールの特徴的なE9thのスピードピッキングとのびやかなスローなソロも可能にしたことだった、(サイドギターをやりながらリードギターをするという意味)表現、並びに歌やセッションには引き出しの多さが求められる、バンドは魅力的だが(バンドは今でも組みたいけれど)、心の自由、いや、「音楽表現の自由度」が大変大きくなったことの喜びを噛み締めていられることだ、誰に遠慮することもなく、一人でも、オリジナルの他、ファンク、ブルース、カントリーロック、サザンロック、民謡、など、ライブハウスじゃなくても、ストリート演奏で弾き歌える幸せは長い間かかってやっとここまできたなぁ、と言う感慨に少しだけ浸っている。私はまだまだ音楽少年、現在使用エフェクターはライン6(これはオルガン音色とコーラス、など、)ビッグマフ(チェロ、バイオリン、ケーナトーン)ソングライティングには本当に力強い味方だ、現在もテクニカルな練習はしているけれど、どこまでも難易度だけは果てしない。単独で弾き歌える幸せの他、いろんな人達とのセッションは、さながら旅をしているようだけれど、良い曲がもっと作れたら良いなあ。若い頃はフュージョンブームだった。最近はストリートでも16ビートのオリジナルに助けられている。ペダルスチールはカントリーとは切り離せないと考えている人がほとんどだが、私はあえて切り離して考え続ける道を取った、次のステップとは大げさだが、ずうっと同じだけども「これだ!」っていう音楽をつくりたいなぁ。今年の正月は旅も無し、(出たいけれど。)まぁ。今年を振り返ってみました。

「金沢市「Gs」にて」2005/12/28

本日は金沢市「Gs」にてライブの日、9月の「加佐の岬倶楽部」に続き、「センチメンタルシティロマンス」の中野督夫氏、「Tバード」の田島ヘッケル康文氏、佐々木 越中 克彦氏、「めんたんぴん」の池田洋一郎氏、前回の佐々木忠平氏と松田ゆかりちゃん以外は同じメンバー、今回もあの、高校時代のあこがれであったミュージシャン諸氏とのセッションに心踊る思いである、リハーサル終了後「Gs」オーナー氏から、「あぁ!君が噂の千田君かぁ!!」…といわれる、「なんか悪いウワサでも?」というとオーナー氏曰わく、「いやいや、ものすごい!っていうウワサだよ!変なウワサじゃあないからさ!」こんなところで評判になっているのは意外なことだが、率直に評価してくれるなら嬉しいことだ、なんだかんだと理由をつけて根拠のない批判をする頭でっかち連中に比べたら、聴いてみたいと思われる分ありがたいことだ。話はかわるが…、しかしなんということであろう、本番直前だというのに、(なんか…こんなことが意外に多い。何故?)エフェクターが故障してしまっていた。ロシア製のビッグマフだが、2年前に買い直したエフェクターだったが、またもや故障に辟易とする、ロシア製の製品の信頼性を全く信用できなくなる、顔面蒼白!(どうしよう!!!)よりによってこんな時に!!~、私の音楽の女神は相当コンジョが悪いらしい!ドヨ~ンとなったちょうどその時!佐々木゛越中゛ 克彦氏が「オーバードライブならあるよ!」と、エフェクターのオーバードライブを貸して頂いた、贅沢をいったらきりがないが、地獄で仏である、佐々木さんありがとうございます。ライブは「めんたんぴん」の池田洋一郎さんから開始、洋一郎さんは前回のライブで「めんたんぴんを卒業します。」と発言したこともあり、今回の私は2曲のみの予定だったが、例によって予定の「フォレスト」「ローナー」(ニールヤング)の後予定外の曲だが、途中「きこりの歌」を中に織り込み、さらに洋一郎氏とリズムとメロディを変幻自在に変化させる。スリリングなセッションになった、先ほどからのアクシデントでかなりハイテンションになったからか?しかしすこぶる反応が良く、大絶賛される。中にはペダルスチールを初めて聞く人も多いからなおさらだろう、洋一郎さんも思いのたけを歌って最初の新しい一歩を踏み出して反応が良かったのは何よりだった。「Tバード」のお二人はさすがにコーラスが素晴らしい。「トゥナイトインザレイン」「心だけ少年」のTバード時代の佳曲が聞けたのはラッキーだった。終了後佐々木氏より、エフェクターを返却してお礼を述べた際に、「今度一緒にやろう。」と言っていただき、恐縮した。そして督夫さんはソロの時から、素晴らしい演奏、途中から呼ばれ、督夫さん曰わく、「このユニット名は 督千 です。」(とくせん) といわれ、ちょっと恐縮した、さらに、「彼は、センチメンタルシティロマンスのレパートリーはほとんどすぐやれる人で…」と言うやいなや、「へのへのもへじのへそ曲が~り、」とやられ、思わず体が反応して弾いてしまっていた、場内爆笑!やれてしまう自分にビックリ?うーん…。で…。「スターダスト」でとってもいい感じ、引き続き霧島昇さんの歌曲、ナツメロなのだが、督夫さん進行の流麗なコードワークは、こちらも信じられないほど、良いスチールが弾ける。督夫さんは相手の良い箇所を引き出すことの上手い人だと思った、そして問題の「エアポート」は屈指の出来だった!この状況でこれだけの演奏ができたなら100%といっても差し支えない。そしてバンドバージョンになり、Tバードが参加して、「カモンベイブ~うちわもめ」「あの子の家の町明かり」「キャバレー」「穴あきポケット」では全員加わっていずれもが巧者だけにすごいグルーヴ!暖かい拍手がライブハウスに響きわたった、アンコール「ダンスウイズミー」を客席にて督夫さんとTバードのコーラスワークで聞けた時はウルウルくるものがあった、そして再びステージに戻って「国道8号線」を全員で最高だった!田島ヘッケルさんのドラムスも気持ち良い。本当にこれだけの良いテンションのライブは無い。今年のどん詰まりでNo.1ライブができるとは、洋一郎さんが「国道8号線」のGランを決めた瞬間は至福のひとときだった!打ち上げはこの楽しい語らいの中にいられる幸せをふと思い、センチとTバードと めんたんぴん のファン代表して?演奏できた幸いを帰りの運転の道すがらかみしめたのだった。

「中野督夫さんと…。」2005/12/28 

池田洋一郎さんより連絡があり金沢市内ライブハウス「Gs」にての中野督夫さんのライブに加わってほしいとの要請があり、快諾する。練習あり、加賀市でこのライブの主催者である楠沢邸にてリハーサルがあり、池田洋一郎さんもやってくる。楠沢氏、督夫さんと再会、楠沢氏の会社のスタッフも現れて、皆さんに暖かく迎えて頂いた、パーティーの準備をしておられる。練習しか頭になかった私にはうれしいことである、中野督夫さんと洋一郎さんとリハーサル、督夫さんと一緒にデュオは初めて、「できるはず、」…と思っていた「エアポート」は いとうたかお さんのレコードで好きな曲だったが、中野督夫さんの「エアポート」は凝りに凝ったコード進行とアレンジに、難易度の点で愕然となる、(ウワ~)、だ、け、ど、進行は押さえるけれど、スチールはリズムのみではない、ほかデュオでは「スターダスト」と霧島昇の曲、「もう帰るところが」バンドでは、「キャバレー」「あの子の家の町明かり」「カモンベイブ~うちわもめ」他一曲をを合わせた、督夫さん曰わく、「かなりマジメに練習した!」そうだが、アルコールがかなり入っているこのような状態でははたして記憶力はいかなるものか、まぁ私が(笑い) 皆さんで鍋を囲み、よもやまばなし、こりゃあ事実上の池田洋一郎さんとの忘年会でもある、(かも?)雪が降り、楠沢氏のセッティングに大感謝しつつ、私の酒量はものすごい、日頃の酒量の節制か、いやぁ、入ること入ること。どれだけ飲んだだろうか?9月の「加佐の岬倶楽部」のビデオを見たら、洋一郎さんとのデュオ「国道8号線」「ジンを一杯」は意外に良い演奏でほっとしてしまっていた。(めためたな演奏だと思っていたので…)宴は続き、私が、「督夫さんの蘇州夜曲が聞きたい。」と言ったことがきっかけでみんなでセッションが始まった、いろんな曲を弾いたはずだが、覚えていない(いったいどれだけ飲んだんだ!)ただ、気持ち良かったことだけ覚えている。センチメンタルシティロマンスでの中野督夫さんは本当にいい音楽を作っていたのだ。

2022年5月30日月曜日

「トホホ……。」2005/12/27 

自分の演奏しているビデオが捨てられて燃やされてしまっていた。しかも大量に!中には生前の高田渡さんと演奏している「はらっぱまつり」の映像とかもあった。トホホ……。燃やしたのは父親、自分で袋に入れといて忘れて捨てたらしい、しかも焼却したというから父親はこういった映像を記録しておくという感覚がなく、ビデオも袋に詰めるといった困ったことを平気でする、つくづく自分とは感覚感性の元から違うことを実感する、渡さんが亡くなられた今、貴重な記録をなくしてしまった、それにしても父親はセンスとか飾ることとかには本当に欠落してしまっているのはまいってしまう、全て実利本位、例えば、「あっ!これいいな!」…といった感覚を理解できない人だ、だから何をやらせても「やんちゃ」で私はやることなすこと食指のそそったことが無い!まったくもう…。

「初めて高田蓮氏の演奏をテレビで」2005/12/23

巷で今最もメジャーなペダルスチール奏者、高田蓮氏の演奏風景をテレビで見た、「ハナレグミ」の中のスチール奏者というシチュエーションのようだが、巷でチラホラ聞く名前、だが、聞くのは初めて、使用楽器はExcel1200のようだが、私と使用楽器は同じ、てぇことはなかなかの現実的なペダルスチール奏者だろう。つまりは重さ、機動性、カントリー感覚以外の他ジャンルへの対応力、何よりもまだまだスチール奏者の奏法の発展性を感じさせるスチールであること。などなど、彼がそこに目をつけたのか藤井さんが進めたのかはわからないが…、現在の若者らしい感覚のスチールである、他に彼が中心の活動はどんな活動をしているのだろう。興味深い、お父さんみたいなシンガーソングライターでもあるのだろうか。

「すごいなぁ…。」2005/12/23

「第74回日本音楽コンクール本選会」の作品部門別の作曲部門には本当に驚かされた、「武満徹」型の作品を若い作曲家の作った作品を(どの作品も譜面づらだけみると、ものスゴく難解複雑怪奇といったら怒られるかもしれないが…、まさに、複雑怪奇な譜面から演奏を起こしていくまさに、プロフェッショナルな演奏家たちの技術力にもビックリした。)アァ自分もこんな音楽教育?を受けてこられたらなぁ、同時に…、「僕のできること」(まぁ、自分の技術力や感性)と「僕のやりたいこと」をこんな時には素直に見つめられる。でも、他人が見たら笑ってしまうことでも、「これが僕だ!」ということはきっとあるはず。オペラ部門、ホルン部門などこんな機会に室内楽やオペラ、何気なくテレビをつけた時に思わずチャンネルを変えてしまう音楽の良さを堪能すると共に、衝撃を受けたって、何を今さらだが…。

「改めてでもないが…。」2005/12/20  

あらためてでもないが…。ペダルスチールは難しい。本当に、難しい。テクニカルなことだけで終わってしまい、表現行為にまで至らないプレイヤーはおそらく、ガサマンといるだろう、メソッドがあったとしても、そのプレイヤーにフィットしないものも沢山あることも想像に難くない、ダニエルラノワがE9thのスチールを3番ペダルを外して弾いていたが…。それもまた勇気ある表現行為と呼びたい!テクニカルなことだけで終わってしまいそうなところを、バカボンのパパ的に「これでいいのだ!」とやってくれたことは爽快感がある。まあ、それはそれとして。私の場合はコードワーク、やスケール、そしてソロの作り方と、今のところテクニカルづまり状況である。もしもこれを読んでいるペダルスチールプレイヤーの方がいたら、あなたのスケール練習のやり方や資料など教えてください。書き込み待ってます!よろしく。

「しかし…。」2005/12/18

本日、朝日町「らくちーの」にて演奏、いわゆる、健康センター、とにもかくにもこの冬一番の寒波、横殴りの吹雪だ富山県の西端から東の端へと車を走らせる、結構かかった。客層は家族連れや老人、会社の同僚らしき人達やいろいろ、マネージャーのドウヨさんにも出演してもらって、バーのかわりにビールビンや清酒の入ったビン、空瓶、コップなどで演奏した。なにしろ音楽だけではこちらに注目させるのは不可能と判断した。結構注目させる。その他、リクエストをとって石川さゆり、加山雄三、マヒナスターズなど演奏、こういうところでオリジナルもないもんだが、「雪の降る日に」など演奏した。「暖かいところから寒いところは脳梗塞にはとっても危険。」などなど歌に織り込んだ。支配人が見ている…あまり期待していなかったのが意外に受けているので嬉しいようす。ドウヨさんの突っ込みも冴えてる。終わって、食事の時「私自身楽しみました。」と言っていただき嬉しくなる。ありがとうございました。さて、今夜はこれで終わりではない、オールドタイムのクリスマスパーティーですが…。横殴りの吹雪を帰った。「らくちーの」の風呂にも入ることができず残念…。さて、道路状況は危険極まりない。オールドタイムにたどり着いてみると、10時過ぎて私が二番目の出演者なのは驚いた、南雲さん以外はまだ誰も演奏していなかったのだった。早速演奏した。「ジェシカ」「週末には」「ラッキーオールドサン」「アイコアイコ」「アイシャルビーリリースト」「サテンドール」「兄弟」二曲目が終わったところで「音が大きい。」の声があがりムッとした、そののち、「ママ、バイオリン、バイオリンが聞きたい!」…とまるで、だだっ子のような老人の声が聞こえて、「アイシャルビーリリースト」演奏時に帰っていかれた、気分が今回はかなり悪い。演奏時も集中力を欠いていた、やはり、着いてすぐ…はこうなるのか、うまく状況判断が出来なかったこともあるが、もはや私の音楽はカントリーサイドで語るには難しいところなのかもしれない、店にいても現在の私は他の出演者と共通項が見いだせなくなっている。みんな予定調和的にブルーグラスとカントリー、(…の古い方、)しかたがないな…と思いつつベストを尽くすしかないのだが、だんだん虚しくなっていく気持ちを止めなければ、カントリーサイドではなく、(リスナーが)いや!やはり、なんとしてカントリーサイドやブルーグラスサイドのリスナーの理解を得たいところだ…しかしオールドタイムからの撤退も視野に入れて検討の必要性がある。ブルーグラスやカントリーが嫌いなのではないが、オリジナルを交えること、と全てカントリーのみでライブは構成するわけにはいかない。それとやはり日本語である。(日本語というより、内容と詩が味わえるように。)私は魂で伝えたいが、みんなそんなたいそうなものを聞きたいとは思ってないようである。

「日曜夜は…」2005/12/5 

日曜夜はテレビ、偶然テレビをつけたらジャズトリオとNHK交響楽団を指揮する小澤征爾の演奏、楽曲はガーシュイン作の「ピアノ協奏曲」それがあまりに素晴らしく、洋一郎氏にも見てほしくて電話する。(よけいなお世話だったかしら…?!)冗談ヌキ!小澤征爾はカッコイい!マエストロなのにピアノトリオのみの演奏の時はピアノにちょっと寄りかかって、さながらジャズを楽しみにきた日本人のニューヨーク観光客のようにふるまう。小澤征爾さんのパフォーマンスだけ見てても面白い。最高のエンターテイナーだ!ガーシュインの曲もピアノトリオもN協も素晴らしい。チャンネルを変えて、地元小矢部市のケーブルテレビ局では「ゆたんぽ」の山崎雄弘氏が出ていてなかなかの「あかね」を聞かせてくれたのだった、またチャンネルを変え「NHKアーカイブス」を見てみた。1992年オンエアの「宮沢賢治の音楽」という番組、宮沢賢治は童話作家の面で知られているが音楽の面にスポットを当てる番組とはまずビックリ、数こそ多くはないが宮沢賢治氏の楽曲は佳曲ぞろいである。「星めぐり」はやはり良い。「精神歌」はゲストのチェロ奏者の演奏でぐっとくるものがあった。37歳という若さで昭和8年になくなったと知る。番組放映時には賢治の教え子が85歳という高齢ながら存命で賢治先生との思い出ばなしを語っていた、なかなか楽しい先生だったようだ。今度「星めぐり」を歌ってみよう。次、NNN05・ドキュメントでは、「昭和の歴史」などの本で見るよく見る写真の一つに、今飛びたとうとする特攻機に、女学生が桜の小枝をを振って見送っている写真(あまりにも絵なりすぎていて悲しい。)の特攻機に乗っていた穴澤利夫氏とその婚約者だったD智恵子さんのドキュメントだった、私の作曲にも「ノンノンとアキラ」「桜の丘」と似た題材を取り上げた作品があるのでこれも見てみる。ドキュメント登場のD智恵子さんは現在80歳ながら大変キレイなかたである、昭和16年から交際が始まってその時の写真はよくあるサークルの1場面で、幸せそうな写真だった、D智恵子さんは彼、A利夫さんに、交際を求められてから文通をへたのち、出征前の乾パンを出した「お茶会」で入隊を見送った話や、面会に行ってもお互いに思いを遂げなかった話(彼の上官が宿を取ってくれていたが婚約もしていないのに…ということ)、正式に婚約者となった後、彼が「私が身につけていたものを…」とマフラーを智恵子が彼に渡し、しかも、出撃前の写真ににハッキリと彼女のマフラーが写っているのを見るに至ってはさすがに「ウッ」ときそうになった、当時まだ23歳という若者らしく、最後の手紙には、飾った言葉はなく、「智恵子、会いたい。逢って話がしたい。」と正直な胸の内を明かしている。彼はこの手紙を書いた時点で軍神あつかいだったそうだが、この手紙が検閲を受けたものかどうかは分からないが、若者らしい真実のみがもつ文体でつづられていた、九州まで赴いて今度こそ彼女は思いを遂げようとしたらしいが間に合わず、(本当はまだ天候待ちで出撃前だった)会えずじまいで終わっている。番組は靖国神社に納めてあった、A利夫さんの軍服に彼女が涙するシーンがあったり、少し不思議なことは…彼女、智恵子さんが、後に沖縄県、沖永良部島に彼女なりの推測か、防衛庁で調べたのかは分からないが、沖永良部島が現在アメリカ公文書館での4月12日のアメリカ駆逐艦の被害状況と一致していて、番組の最後は、智恵子さんがあの日、利夫さんを出征前のお茶会で乾パンを食べながら…と同じシチュエーションで智恵子さんが乾パンを食べながら利夫さんの眠る沖永良部島の海に向かって座っているシーンで終わった。「NNN05ドキュメント」のスタッフに智恵子さんへの誘導とかシーンの指定がきっと無かったであろうことを信じている。そしておそらくは、これににたことが、自爆テロの実行犯とその周りでおきているのではないか!…とは容易に推察できるのだ、A利夫さんや他の戦没者の犠牲の上に現在の平和があることは否定できない。しかし、何よりも、A利夫さんの在りし日の遺影には心うたれた、23歳のまだ子供のような顔であったからだ。12月、ジョンレノンが死んでからもう随分になる、経済格差、貧困解消、国境を無くなることそして戦争が無くなるひがいつの日にか訪れますように。

「嗚呼…。」2005/11/29

ストリートはたびたび感動を呼ぶ。富山駅地下にて、かつて某テレビ番組で…賞が取れた時のバンドメンバーJA氏と約12、3年ぶりの再会をはたす。JA氏は感涙にむせんでくれた…。私はJA氏とは12、3年前大変嫌なケンカ別れをしてしまった、JA氏が大変繊細な人だと思ってなお、激怒してしまったのだった、「時が全てを洗い流す」の言葉は…しかし、人にもよるかもしれないが…。涙にむせんで話しだした彼に対して、私がその時の行動で彼をこんなにも長く苦しめてしまったのか!…という事実に愕然としてしまった。気にする人はするだろう、気にしない人はしないだろう、しかし自分の罪の重さを認め、今は「こんなにも君を苦しめてしまってごめんね。」というのが精一杯で私も思わず涙腺が緩んでしまった…。気にしないのが、気にするのが良い悪いとかの問題じゃなく、長く苦しめてしまったことを純粋に詫びるだけだ、同時に…かつての日々の思い出が蘇ってきた。「楽しき日々」だった…。そしてツマラナいことで人と断絶して、広がる筈人の輪も広がることはなかった、その都度スタートに戻り、人を切り捨てて、人に切り捨てられてきた気がする。JA氏は大変な苦労をされたようである、どうか元気でいてほしい。若い時は…人々の痛みを推し量ることをそれ程重く受け止めない。今と違い、「かなりカッコ悪い」ことだった、「心の時代」「癒し系」「メンタルケアー」などなど、今の時代は人間が少しずつ訴えてきた「心の平安」にだいぶ周りもそれぞれの人々も やっと理解されだしてきた、機械は大発展を遂げたが人間の体や精神は変わるはずがない、それを考えると昔より今のほうがストレスが大きな社会かもしれない。「何が君の幸せ?」「何をして喜ぶ」「わからないまま終わる」「そんなのはいやだ」…テレビ番組「それいけ!アンパンマン」のテーマソングはしかし、子供番組のテーマソングとは思えないほど「納得」させられてしまう言葉に満ちている。12、3年ぶりのJA氏の包容はどう表現しようがない、今日の感動を残してJA氏は会社の同僚と去っていかれた。過去を振り返れば恥ずかしいこと、いやなこと、でいっぱい、でも楽しき日々もある、とりあえず人との断絶状態にハマりやすい私だが、そうやってしか身を守ってこれなかった。人々がどう評価しようと、飾った行動とったとしても、やはり、ここにこうしているんだろうなと漠然と思う…。

「「平和」を歌うことについて。」2005/11/29

「平和」を歌うこと。大変良いことである。非難するつもりなどさらさらない。「平和ボケ」…という言葉がある。日本人は平和ボケだとよく話しにもでる、「平和ボケで良いじゃないか!」とか「平和ボケはかえってアブナい」…なんて意見もある。 (発言した人は憲法9条の改悪に関して発言したシチュエーション)確かにそういう意味では、他国の戦争に協力せざるを得ない日本国の現実、拉致、核問題を含める北朝鮮問題、「平和」が実はひじょうに微妙な国際間の力関係の上になり立っている現実を考えれば…「平和の歌」「平和を願う歌」を歌うことは当然のことであるように思う。しかし、最近「平和」のテーマの歌があまりにイージーになんのインパクトもかんじられない姿勢で歌われるのには、少々辟易とする、「当たり前のこと」だからこそ、歌うシチュエーションとタイミングには考えてほしいものがある、「重いテーマの曲」にもなり「あたりさわりのないテーマの曲」にもなる。楽しいノリのライブが「重い頭でっかちなテーマで」シラケたり、あまりにイージーな「平和、平和、」でなんら感じることのできないライブだったり、先日「レコードコレクターズ」において「バングラデシュコンサート」の特集があった。こういったべネフィットコンサートの先駆けでインパクトが大きかった時代のことは、正直隔世の感があるが、人々の善意と正義感は変わりが無いことを確信しつつ、だからこそ!ステージでアーティストは「平和」を歌い叫ぶ。だがそれはほとんどの場合、言ったら言いっぱなしで終わる。悪いことだと言ってるのではなく、ミュージシャンが他になにが…と言われれば限界点のある立場である。だからこそ!乱発(あたりさわりのないテーマを歌う姿勢)とタイミング、(これものべつまくなしにはかえってマイナス)を考えて歌うことこそ本当に平和を望む歌となると私は思う。これを読んでくれているあなたがもしもアーティストならば、あなたが普段作曲して歌っている歌こそ「平和の歌」であると私は思う。ひねくれ者の意見をいちいち取り上げていたらきりがない、「平和な日本で反戦の歌を歌ってもねえ…」といった冷淡なことを言う人もいる現実、ま、これぞ「平和ボケ」…人間は落ち着いて考えられるシチュエーション、例えば、自分の机の上とか…落ち着いた語らいのなかとか、それでこそ、冷静に最上の答え方が出来ると思うのだ。人間はえてして狂う!「反戦歌」も例えば私が一兵士で戦場で戦闘状態にあるとき、目の前で誰か平和運動家が反戦歌をギターでも持って歌おうものなら「士気を下げるようなことをするな!」と歌ってる奴のギターをへし折るかもしれない。死ぬか生きるかの瀬戸際の戦場で反戦歌歌う奴もまあいないだろうが…。どんなマヌケな反戦歌でも?!反戦は良いことだ。とはいえドキリとさせられることもある、ディランやブルーススプリングスティーンの訳詞で知られ自身もフオークシンガーで「あのねのね」にも曲を提供している長野県辰野市在住の、三浦久氏は反戦歌でドキリとさせられたうちの一人である、氏のステージパフォーマンスは人生を本当に歩むように両方の足を踏みながら歌うパフォーマンスが私は好きなのだが(笑)インドネシアの留学生関係の祖国での残虐行為を歌った曲にドキリとした、とりわけ、平和を望む声はみんなそうなのだが、三浦久氏のように取材したり、取材先まで赴いたりそこまで取り組んだり、こだわって取り組んだりする人はあまりいないように思う。まあ作品として優れていれば…との意見もあるが、「反戦歌」「平和を望む歌」はそのアーティストにスリチュアルな感情を入れてもらいたいことを私は望む、常識、とかではなく、「良識」と「純情」である。このブログは「ペダルスチールな日々」…なので、ペダルスチールプレイヤー諸兄に一言、「あなたが普段弾いているペダルスチールこそ、まぎれもなく平和の歌ですよ。」作品として優れていれば良い。…なんて書いたが…そのじつ、作品として優れていても実は、いやらしく感じさせられることもある。上手い歌うたいなら「感じる心のツボ」を知っていて、そこをクリックすることだろう。…しかしこれは今の私には気に入らないことの一つだ…、素朴で、愚直で、あまり妙な思想に染まっていない。愚か者の「平和の歌」が私は聞きたい。

「砺波市カレーショップ「jinj」2005/11/28

砺波市カレーショップ「jinjin」にてのライブ当日がついに来た。富山県での池田洋一郎氏とのコラボレーションは初めて、実は数日前から私はお客さん集めに電話攻勢ほかいろいろと奔走していた、やはり蓋を開けてみるまではどれだけ人が来て頂けるか不安でしかたがない。メールにてライブに来られない旨の連絡をくれる人もいて、不安がよぎる。しかし、午後7時30分の開演前にはほぼフルハウスにてライブを始めることができた。私が電話にてお誘いした人達はだいたい来て頂けて誠に感謝にたえない。みなさん本当にありがとうございました。ライブは単独で私から始まった。「週末には」では昔、高校時代富山県の(音楽少年達の)小松市出身の めんたんぴん と Tバードへのリスペクトと冗談を織り込んで歌った。「俺の神様」(大谷の曲だが彼をリスペクトしたわけではない)「絵日記~生活の柄~風をよけては歩けない」(このあたりはかなり思いつきで突っ走った。曲順を決めて今回はのぞんでない。「風をよけては歩けない」では歌うアドリブがつんのめってしまった…)新曲「聖衣にふれて…」では金沢市の某楽器店のことを歌ったが…どうだったろうか、今回は勇気を出して…というよりも新曲で構成すべきだと思い、(何度も聞いている人達のためにも…)普段の私の代表曲はやらなかった、…しかし思考がまとまらなかったかもしれない、前の晩スチールのフレットにカラー字を打ちすぎてフレット板が極端に見にくい感じになったことも普段の集中力を発揮できてないかも、(思わぬ所に落とし穴があるものだ)反省すべきところは素直に反省する。それと寝不足だ…。あとはイーグルスの「トライアンドラブアゲイン」を初めてライブでやった。これは上田氏に是非聴いてもらいたかったため、そして、これも勇気を出してオールマンブラザーズバンドの「ジェシカ」を失敗覚悟でやる、弾きとうして洋一郎氏と交代、粗かったかもしれないが私自身が最高にスリリングなステージだった、エンショウジ氏いかがでしたか?。(彼はかの、ディッキーベッツと握手した、うらやましすぎる人)いずれにせよ集中力を欠いたことは否めない。絶好のシチュエーションでは集中力を欠き、どうでもいいような営業やデモンストレーション演奏で絶好調の誠に困ったバイオリズムが私にはあるらしい、…それにしても…スチールが本番前に壊れやすいのは何故だ?!?!?。夕べもチエンジャーが5番ペダルが故障して顔面蒼白!ふー、やれやれ…。

さて洋一郎氏である、ニールヤングの「ローナー」から「フォレストライフ」「ジンを一杯」まで少し硬さがあったものの、「国道8号線」でお客さんのつかみがかかり始めた。ツインリードパートはようやくこなれた感じになってきた。それにしても洋一郎氏、題名も曲順も私には告げず始めてくれ、しかしこれはエフェクトやハンガーリング奏法の時に支障をきたすので今後は洋一郎氏には予め曲順を決めて貰おう!思えば…東京は高円寺「稲生座」でのライブで、その当時の垣地信之氏にも似たようなことをしたが、こちらはテクニカル、メカニカルな都合で、心の準備は対象外である、しかしあの当時のかきちゃんはストレスを溜めたことだろうなと思うがこれくらいの臨機応変さはやってしかるべきと思い直した。ライブにはスピード感が必要だからだ、特にロックには!一人でもメロディとリズムが歌をうたいながら演奏でき、相手のリードギターのリズムパートもやれる今の演奏スタイルにしてつくづく良かったと思った。しかしリズムパート練習量はまだまだ必要を痛感する。演奏を聞いて「この楽器を弾きたい!」と望む人がいても今の私のスタイルはさすがにあまり勧められない、たしかに難易度はウルトラCでなくウルトラQだ!(古い!死語だな。) そして池田洋一郎氏の名曲「春」オーディションの審査員のように前に座っていた上田ブラザーズの上田秀明氏の顔がほころんだ。そして雄大な「春」を表現するような洋一郎氏のギターソロと景色背景を演出する私のスチールは自分でもいい感じに演奏できた。演奏後の上田秀明氏のコメントには大変嬉しい気持ちにさせていただいた。「海」この曲はおそらく「めんたんぴん」の中では問題作だったであろう。しかし、私の私見ながら、かの「めんたんぴん」が大きく変わるきっかけになりえた曲ではなかったか…くしくもドゥビーブラザースが「ドゥビーストリート」を録音した翌週、めんたんぴんのサードアルバム「カントリーブレックファースト」のアメリカ録音のプロデューサー氏が同一人物だったそうである。あの「ドゥビーストリート」によってドゥビーブラザースは時代の先駆者になりえた。しかしそれは絶対的な演奏力と独自の世界観を持った上での「賭!」だったであろう。そう思えば…自分が自分が!で頭がかたくならず、感性は自由というところは時々確かめなければならないという気がした、「今日もおいらの町は」で私は小松市と小矢部市を歌に入れ更には「まちいちばんのカレーショップ」とやり、さすがに気恥ずかしい気持ちだった、「サンアントニオ」は私の歌、今回はカントリータッチの曲が多い。「新しい海」は洋一郎氏の佳曲である、私がスチールをジャラーンと弾きおろすやり方が多くなるのは注意しなければ、しかし、洋一郎氏の喉が疲れてきている、声はやはりある程度インターバルが必要だと思った。「天国の扉」…この曲はやはり最後に持ってくるしか演奏位置がない。終わり、「jinjin」の関沢氏が終わりの挨拶の後アンコール、「わかってほしい人」の演奏時最後のお客さん、南林氏が入って来られ私は更に彼を高岡市の実家へ送りそのあと更にセッションまでやってクタクタになることになるのだった、しかし、今回のライブの反省点はありすぎるくらうる、 でもPAの五島さん、まともな謝礼もできずすみませんでした。そしてお客さんできてくださった方々本当にありがとうございました。またいいライブを見ていただけたらいいなと思いました。…もう一度だけ。どうもありがとうございました。

「富山市「さくらカフェ」」2005/11/23 

緊急のライブが十数年振りに会った、青木昭彦氏の招聘により入り、駅前を捜すものの見つからずに青木昭彦氏に迎えに来て貰う。この間駅地下で演奏してたら、「こんなに寒い所で演奏されてるならウチで…。」…と、カフェの彼女が言ったことが発端らしい。「落ちぶれ…うらぶれた…」演出が決まったわけだ!(笑)私としては「落ちぶれた…」「うらぶれた…」でも何でも良い!演奏の機会があればまあ、…最低限良い!あんまりにも人をバカにしたシチュエーションでは死んでも演奏しないが!自由に自分の好きなだけ…演奏出来るストリートは気に入ってる。まあ、…心配しなくても「落ちぶれた…うらぶれた…」演出は自然体でできているだろう(大笑い!)今の自分のアカデミックな演奏スタイルと作品は、わかる人には分かってくれる。駅地下で演奏することで「かなり格下」と見る奴は多いに違いない、(そーゆう一般人ならともかくとして音楽業界人やイベンターが多いのも呆れる。)しかし私は自分なりの「超一流」を目指す。私を指して、批判的な所謂「頭でっかち」連中と妥協しようとは思わない。人がどういう評価をしようと「自分の音楽」を素直にやるだけなのだ。前置きが長くなった。店には一般人のお客さんがいるなかでの演奏、青木昭彦氏から言われていた「乾杯」「岬めぐり」「聖者の行進」「Aトレイン」など演奏する。私としては「?」な選曲だがまあ、いいや、で…演奏(当然インストールメンタル)彼、青木昭彦氏はリクエストも取り出し、色々ひく「浜崎あゆみの曲」…とかっていわれて弾けない自分がいる。人前で弾かなくても「代表曲」ぐらいは検証しておいてもいいのかもしれない。しかし、ものの見事に「浜崎あゆみ」に限らず、現在テレビ、コンビニ、他、流れている音楽に琴線を揺さぶられることはない、若い時の多感な頃の感性は戻らないのだろうか、もしかしたら私が「頭でっかち」になっているかも知れない、「俺はいろんな音楽を知ってる。えっ、〇〇〇の曲、なにこれ、ぜーんぜん感じない。」なんて態度に自然となってるとしたら問題だ!…が感じないものは感じないのだから仕方なし、ただ、特定のジャンルだから「良い悪い」は無いつもり、かつては…そんな「マニアックなぬかるみ」にハマっていたこともある。考えてみれば…所謂「洋楽派」の連中は若い頃聞いた感性のまま20代に入って音楽離れをする。音楽業界はきっとティーンエイジャーの感心を集める音楽しか出していかない。そんななかで我々は「古き良き70年代の音楽」から動かない。いや、動こうともしない。そーゆう悪循環のなかで、我々の鑑賞に足る若いアーティストが出てくるとはちょっと思えない。「団塊の世代」の連中が大量引退したら、我々の感性にも届くようなシニアレーベルを立ち上げてくれないものか、そう、彼らが暇になったら、また音楽するでしょ?どうせ、話しは「桜カフェ」のライブに戻ります。インストールメンタルをながーくやって、「歌っても良いですか?」とやり、歌わせてもらった。 すると青木昭彦氏「車にギタレレあるから持ってきます。」とやり、一緒に演奏しだした。多分一緒に演奏したのは13、4年振りだろうか、驚いたことに彼はその頃の私のレパートリーを全部覚えていて、私がとっくに忘れた(私の曲)「バカの一念」や「赤心の歌」「ヘルプレス」「天国の扉」などを覚えてくれていたのだった、特に「バカの一念」などは曲の存在さえ忘れていた。彼は精神障害者のボランティア団体に「音楽ボランティア」として参加してるとのことで、彼の周りも良き友人に恵まれていそうなそんな「桜カフェ」のライブだった。私は青木昭彦氏のため彼の作曲した「バレリーナ」を歌って最後に「星空の万華鏡」を歌った…お店の方々は最後まで聞いて頂き、感謝であった。しかしながら、大変喜んでいただき「またライブさせてください。」に「是非とも!」と快く答えて頂きまたの再会を言って、青木昭彦氏との13、4年振りのセッションは彼の作曲は誰よりインパクトに溢れていたこを再認識して店を後にした。

「緊急ライブが入りました。」2005/11/21

富山市駅前(南側)中央郵便局真裏「桜カフェ」にて午後7時から。他出演者あります。今のところ詳細はわかりません。

「11月ライブ予定」2005/11/18

11月23日(勤労感謝の日)

高岡市中田ショッピングセンター「アロー」にて、お昼頃から。


11月26日(土曜日) 「おひねりミュージックバトル」

「Yoichro Ikeda sing めんたんみん」

場所 砺波市カレーショップ「jinjin」にて夜PM19時30分 会費千円(ワンドリンク付き)


出演 池田洋一郎&千田佳生


問い合わせ カレーショップ「jinjin」TEL 0763ー33ー4465

「オールドタイム定例」2005/11/12

月第二金曜日はオールドタイムでの私のライブ、お客さんは門島氏と、もうおひとり、オリジナルを3曲やった後、門島氏の笛の伴奏をする。今日は調子に乗って「目ン無い千鳥」までやってしまう。歌おうとしたら、門島氏が歌ってしまう。いやまたよう知ってるわ!

「金沢市「メロメロポッチ」」2005/11/9

10月8日一日おいて、「メロメロポッチ」の我らがイージータク氏の日である、松任市の「オーディオファミリー」でタク氏と会場のお客さんと出場を約束したのだが、ただし、タク氏曰く、「ワイルドウッドフラワー、一曲だけだよ」とのことで、一曲のセッションのためにクソオモいペダルスチールを搬入するのは少々つらいがお客さんとの約束は破れない。(当然?タクさんの約束も?)しかしながら洋一郎氏に前々日セッションをお誘い頂いていていたので演奏時間は確保できた上での参加だった!(やはり一曲だけの演奏でクソ重い60数キロを運ぶのはエラい)それと出演者が多いことはお客さんにガマン大会を強いてしまう可能性があるため、タク氏より「一曲弾き語りを…」と促されたが辞退させていただいた、それと今日は洋一郎氏がこのライブイベントを去る日である、タク氏曰く、「えー今日は洋ちゃんが、この、アンダーグラウンド小学校を卒業する日なので…」になかなかニクイ演出をする。「卒業」ならおめでたいこと。「除籍」とか「放校」とか「中退」「転校」…「罷免」「左遷」「更迭」…ではどれもこれも「お祝い事」のニュアンスからは程遠い。「アンダーグラウンド小学校」の校長先生イージータク氏、体に気をつけて良い生徒さんを(ミュージシャンを…)世に送り出してくださいね。

「鳥越村「ワンネススクール」」2005/11/7

夏場呼んでいただいた鳥越村「ワンネススクール」で秋にまた演奏できる幸いを得た。ありがとうございました。音楽をやっていて演奏できる場があるだけでそれは大変幸せなことなのだ。(あえて書くのですが!)私は人と音楽の関わり方を気がつけばいつも観察者になってた気がする。例えば、ギターを弾き続けいるけどバンドメンバーがいなくてステージで演奏できる機会の無い人、その逆で人前で演奏はしないが多重録音などで自分の世界を地下深く根を張っている人、東京の「地下生活者」の自分の世界を立ち上げてきた諸シンガー達、音楽好きでそれぞれに自分の思いで音楽を続けおられている。甘いと言われようが何でも金銭的に変換させて考えざるを得なくなってしまっている世の中で音楽に対して「純愛」を通している世の中の人が当然大好きだ!前にも書いたが知らず知らず傲慢になっているとしたら醜悪極まりないところだろう。「ワンネススクール」の森先生にご挨拶、私は「夏場呼んもらって以来、ほうぼうで会いますが、ゆっくり話をしてませんね。」にお互い笑いあう。鳥越村は山から吹きおろす風に、大量の落ち葉がまるで雪のようだ、冬はとうからじ。でも早いなあ…。山屋楽器の南ヨシタカ氏とPAセッティングを手伝いながら、いろんな人に挨拶されるがマリオ竹宮氏に数年振りに再会した、現在はパン屋さんをやっているとのことで、小さな可愛い娘さんが彼の後をついてくるのを見るのは顔がほころんでしまった。全くマリオ氏そっくりである、ステージではブラジル人の格闘技「カポエラ」の演舞が始まった。始まる前にブラジル人の民族楽器「ビリンボウ」(一弦の打楽器)をラップスチールにして弾いたら大変受けてしまって、ステージでやれば良かったかな…。と少し残念、「カポエラ」19世紀ブラジルに連れて来られた奴隷達が「踊りの練習」と称して密かに農場主達と戦う為開発された格闘技とのことで、現在も拉致を行っている国家があることを考えれば、奴隷制はいかばかりのものだったか、ブラジル人が奴隷制を止めたのはかなり遅かったそうである。さて次は私と洋一郎氏、今日は「サンアントニオへ行こう」をやった、この場所では良い選曲だ!スチールのパフォーマンスも冴えがある。演奏後の評価も上じょう、しかしながら、ここまでであった。疲労困ぱいで「ふるまいの餅」で炭水化物を取ることは眠気を意味する。「車でちょっと横に…」が最後までであった。おかげで「おーまきちまき」も見られず、トンマにPA撤収を手伝いながら、森先生に眠っしまったことを詫びた。小矢部に帰って大畑ひろかず氏に「東一」にてビールをご馳走になる。氏にライブの話やブログの話をされ、なにを今更だがはずかしくなる。そしてここにも永遠の「音楽少年」とのあったかい語らいがあった。日曜日の夜、こんな結び方は良いものだ…。

「小松市「フルムーンカフェ」にて」2005/11/7

本日夜は小松市「フルムーンカフェ」にてライブ。鳥越村の奥の廃村(失礼、一世帯在住)五十谷村での路上パフォーマンスを見て声をかけていただいた。「フルムーンカフェ」のオーナー青山氏の招聘で実在の運びとなった。当初私一人の要請を洋一郎氏参加したいとのことで二人に広げさせていただき、感謝である。日中「山屋楽器店」に明日鳥越村「ワンネススクール」でお世話になる南佳孝氏を訪ねる。しばし雑談した後、山屋楽器の女性オーナーの方との「めんたんぴん」全盛期の話や四方山話を聞かせていただいた。(ご高齢ながら大変綺麗なかたである。)70年代後半を高校生として音楽と関わった私にはかなり興味深く話をした。「フルムーンカフェ」を教えていただき、オーナー青山氏にご挨拶した後、最上階「脳天チョップ」で眠らせていただいた。(こう書くと脳天チョップ食らって眠ったみたいだが…)本日は清酒「神泉」の会の二次会で演奏とのことで、演奏時間は流動的である。pm930演奏開始、ライブ形式よりそのばそのばの空気を読んで演奏するのが望ましい空気である、私一人で「週末には」をやる。その時の空気を織り込んだつもりだが、ビールのせいか、饒舌だ。次の曲から洋一郎氏登場、一連の曲を演奏、途中「投げ銭」のパフォーマンスでかなりの額が集まった。このパフォーマンス時お金を集めていただいた方は「富山アースデイ」で私の演奏を聴いて覚えておられた方だった。ありがとうございました。第1回の演奏も終わり、演奏中話を続けたい方々は最上階の「脳天チョップ」へ、その中でずっと聞いておられた方が実は、富山駅地下での私の路上パフォーマンスを聞いておられた方だったとは恐縮した。カップルでレゲエスタイルな彼らは大変音楽好きな方々だった。その他、小松市「タロウ」で見ていただき、感じたと言っていただいた映像作家長谷川先生や、お店のスタッフで虎目のレスポールを弾いた方、なんと5年前富山駅前クラブ「マイロ」で共演者の方など、覚えてもらっていることで皆さんに大感謝だ。何回か今日は演奏したが3回目くらいの時ギター(お店の方)とスチールの演奏に突然、声明(お経のようなフィーリング…)で長谷川先生乱入、そして私はコンダクターになってそこにいた人達に声明を促したら、まさに涙を流したいような不思議なハーモニーが生まれた。(これはできたらもう一度やってみたい!それくらい素晴らしいハーモニーだった!)先生はさすがに芸術家アーティスティックである。そして先生は「山寺の和尚さんは!」を連呼して場を盛り上げてくれた!さらに演奏は続き。オーナー青山氏の感想で、「千田さんのソロがもっと聞きたかった」には恐縮しました。また再度「投げ銭」を集めていただいた方、本当に大感謝でした。彼らの行為に対してこれからも真摯に演奏を続けたい!そんな気分だ。後日談、私を呼びたいと会の有志に青山氏が相談したところ、皆さん知って頂いていて全員一致で即決した、ことを告げられて新たに世界を作っていきたい!と強く思った。最後の演奏は前述の長谷川先生に感謝を込め「安里屋ユンタ」を演奏、先生はそれを背にひっそりと帰っていかれた。…最後までなかなかニクイ演出で決めてくれた。車中泊。

 ・臨時投稿・ 2025年3/9(日)高円寺稲生座にて、MOTELと福田と後藤のライブがありました。 稲生座は、千田さんががよく出演し、縁の深いライブハウスです。 本日、富山から来た福田ユウイチ氏と後藤トシロウ氏。ライブの中で、千田さんの話もされて、お店の人も懐かしがっていました...