2022年5月26日木曜日

「2日目Heartofすすきの」旅日記 2005/5/1

2日目はアメリカンメロディハウス、しかも、すすきののド真ん中、風俗店のビル群の一角にそれはあった。エレベーターのBGMはショパンがかかっていた。お店は20周年との事、風俗店に囲まれた中でも、ここだけが異質な感じ、(すいません塩田さん、)そして、生ビール3杯呑んだ後、ライブは始まった。お客さんは高齢者が多く、というかほとんど、最初から掴みはいい、「ハワイアンをやってくれ」の声に「ハワイアンウエディングソング」をやる。大変反応が良い。全体的に反応が良かったがオリジナルである程度押すよりもジャズスタンダードでやったほうが良いと判断。後半は「ロンドンデリーエアー」を弾くと判断は正しかったと思った。たぶん70歳代の人が楽しめる音楽は少ないだろう。それと店内は禁煙。これは英断である。帰り際「タバコの煙りが入ってくるわよ。先生!」なんか、常連客の皆さん方は、品性の良さそうなそれでいて父親の年齢より遥かに上と思しき人びとばかり、しかしながら「これからはやっと好きな音楽をやるんだ!昔スチールギターが欲しかったけど、金無くてねー!」ガラス工芸の先生をしていらっしゃる由「スチールギター弾きたかったけど先にウクレレやったほうがいいって先生にいわれてねえ」どこのバカ講師だ自分の都合をこの老い先短い人たちに押しつけるとは!しかしこんな事を言える筈もなく…だ。私がいや私達が音楽を楽しめてるのは日本を必死に頑張って働いてくれたこの世代の人たちがいてくれたからに他ならない。フオーク世代の私達より一回り上の団塊の世代の人たちは特に、この戦前生まれの必死に働いた日本の上に乗って、日本のフオーク、ロックを立ち上げたのだ、物事の発展には段階がある、日本に豊かさ無くしては誰しも気軽に音楽を楽しめやしないのだ。ペダルスチールを少年のように興味津々に触っておられたこの人たちに目頭が熱くなってしまった、再三のアンコールがおわり、富山県滑川出身の若い演歌歌手の熱い包容を頂いたあと、「永遠の音楽少女」こと、塩田明子さんにお礼を言って、人生の音楽少年の期間を40年繰り上げて働き続けて、いまやっと本来の音楽少年に戻った少年達に別れを告げた際、「来年も来いよな!」「また聴きに来るからよ」の声に、いつまでも音楽少年達と一緒に「アメリカンメロディハウス」がありますようにと思い、すすきのを後にした、外ではまだ風俗店の呼び込みの若い女の子が震えながら頑張って働いてた。

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