父親は元気だ、元気なのはいいが目一杯遠出したがる、今日は長野市まで行こうと言う。しかし、昨日の運転の疲れ+父親と出かけても「ただ走るだけ」には…ウンザリなのだが…一路長野市へ.長野市着、両親が長野市街を散策している間に、長野駅地下道でストリートを敢行する、本日は誰もいない。デスコードする心配が無いのでとても気持ちよい響きだ…というか反響し過ぎてつらい。カントリーやジャズスタンダード、そして歌ってみる。誰も他にいない好条件のもと、数組の人が聞いてくれる。長野駅地下道はニ年振りだが、いい感じだ。年輩者のご夫婦がずーっと聞いておられる。リクエストがかかり、「ルイジアナママ」など、五百円の御祝儀なり、ありがとう。他また千円ほど御祝儀いただいた方が「何で募金箱?出さないの?」と言っていたが、それはトラブルの元、というよりも、やはり気後れする。「お金と引き替えに素晴らしい演奏をする」という考え方もあるだろうが、募金箱?を出してしまうと聞かずに金だけ入れて立ち去る人や、「金払ってんだから…。」と、絡むことを目的に金を入れる奴も出てくると思う。(実際、過去にあった。)ストリートははたで見ていて、演奏レベルもさることながら、演奏者の意識レベルは高くないと思う。良いオリジナルをストリートで聞けた時は大変得をした気分になる。しかしそれも今はまず無い。しかしストリートはある意味、「歌いたい。」というピュアな精神の表れだと思う。無伴奏で大変上手な女の子の歌を聞けた時、必死で作ったオリジナルが道行く人々の胸に届けようとするフオークシンガーを見る時、しかし実際は高校生などの知っているレベルで音楽的に進歩?見込めない感覚を感じる時、こんな場所ではオリジナルを歌っても状況的に苦しいのはわかるが、聞き手に迎合するばかりの姿勢は良くないと思う。少なくとも私は路上で歌い演奏する「心の窓」がみたいのだ。
演奏し始めて50分父親が帰ろうと言ってくる。まだ着いて間もないのに…。昨日もそうだが我が父親には、街を流したり、名物を食べたり訪ねたりといった感覚は無い。予測はしていたが…、それにしても帰ってくるのが早すぎる。かなり演奏したりないが…帰りは長野ー松本ー神岡ー富山ー小矢部の疲れるルートで疲労感ひとしおを感じ帰った。(こりゃあ観光じゃないなあ)日帰りの旅行としたらかなりハード、アメリカは大変そうだなあ~。
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