某日、富山駅地下にてストリート、本日も誰も聞いていかない…階上にはタバコを吸いに来た不良高校生男女、聴いてないのは明白、吸い殻を片付けていかないガキ共にはイライラする、楽器早めに片付けて注意しようかと思った矢先に、明らかにロシアの人らしき人が聴いてる、子供連れで、ずうっとこちらを見ている、色々歌い弾くが変わりなし、少々気味が悪くなった。急に携帯をかけだしたと思ったら暫くの後彼の奥さん登場、彼らはこちらに来た際、「あなたの音楽は大変素晴らしいと主人が伝えております。何の機械ですか?」彼女は日本語のできない旦那のために急に呼ばれたらしい。すいません。じーっと黙っていたのは聴いてくれていたのだった。ありがとう!またいろいろ弾くがサービスでロシアの曲を、「カチューシャの歌」ぐらいしかさらない。でも大変喜んでくれた。ロシアの彼女は大変日本語が上手い。とっさに中学生の時音楽の授業で大好きな曲「ステンカラージン」を思いだした。日本語で全て歌えたのは自分でも驚いた。
「ステンカラージン」
ボルガの流れは果てなく続き
今宵も宴は怪しく響く
麗しペルシャの姫を迎えて
微笑むステンカラージン今宵は楽し
ドンコサックの群れに起こるそしりを
受けたるステンカラージン何を思える
涙にむせびつたたずむアタマン
姫の消えゆきし波間を見つむ……
こんな歌詞だったが全て覚えていたのは部下を収めるために敵から略奪した姫君を処刑しなければならなかった事実を歌っていたからだろう、この曲は自分のソングライティングに重大な影響を与えているかもしれない。音楽の授業で明らかに影響を受けたのはビバルディの「春」シューベルトの「魔王」の歌詞だったがこれも全て歌えたのは自分も驚いた。ロックがまだかなりマイナーだった73年とうじのことを思いだした。話がそれたが彼らも当然「ステンカラージン」は知っていて口ずさんでいた、帰り際彼らに「スパシーパ」と感謝を伝え彼らも熱く私の手を握ってくれたのだった。
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