2022年6月26日日曜日

「追悼。『稲生座』マスター柴田ひろし氏。」2007/2/22

高円寺『稲生座』の出演は2001年からしていない1995年から、2ヶ月に一度くらいのペースで2001年までライブしていたのが、それから完全にソロ、ペダルスティール弾き語りになり、演奏のやり方も、『一から出直し』曲づくりも『見直し』そして試行錯誤して今に至り、『武蔵野はらっぱ祭り』などで上京するものの、『稲生座』でライブする時間的なゆとりがなかなか無く、今に至っていた..。


そして『稲生座』マスター、柴田ひろし氏の訃報が入ってきた。


本日通夜とのこと。


95年にカラオケでペダルスティールの弾き語りのライブパフォーマンスを始めて以来、富山から通って来る私のライブをPA卓の前にニコニコして座り、時にはギタリストとしてエミちゃんやレイチェル氏とともに参加してもらったり思い出は尽きない…。


『稲生座』では毎回、嬉しいコメントばかりでした、とりわけ、いつかは忘れてしまったけれど..涙を目に溜め、感動して大変嬉しいコメントをいただけたことにこちらが感動したことがありました。


こんな私に忘れられない大切な宝物の思い出のひとつです。


そして「全てが一から出直し」でペダルスティール弾き語りをやり直さなければならなかった関係上、私は迷走に次ぐ迷走を繰り返して今に到っています。


『稲生座』は今でも東京における『地下』と並ぶ活動拠点であることに変わり無い意識です。


しかし、マスターの柴田さんが亡くなられるとは…。


友人を通じて、エミちゃんから「千田さん何で『稲生座』でライブやんないんだろ?」「千田さんに『稲生座』でライブして!」と伝え聞いて実は、大変申し訳ない気持ちだったのです。


やりたくてもできなかったのです。


高円寺『稲生座』でライブをやる時は…。


「かつての演奏より。それ以上に!そうでなきゃ『稲生座』ではできない。」と自分で決めつけておりました。


スタイルの確立が間に合いませんでした!柴田さん、すいません!


「いつかは『稲生座』で。」と、思いながらの間に合わなかった私の思い込みをどうか分かってください。ごめんなさい。


柴田さん長い間お疲れ様でした。


そして、ありがとうございました。


どうかゆっくりお休みください。


そして私が再び『稲生座』のステージに立つ時には、稲生座の店のどこかから見守ってやってください。


合掌。

1 件のコメント:

  1. 前ブログでのコメント
    投稿者:千田佳生2007/3/1 10:26
    2月28日正午ごろ、懐かしい『稲生座』の前に立ち、店のドアに向かって外から手を合わせる。

    私の稲生座でのライブの日々に懐かしい感情がこみ上げてきたのと、正直柴田さんの亡くなったとは信じられないような開店前の静まり返った店の前で、往時をそっと偲んでいました。

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