高岡市西田「ブレッド」のライブは12月以来2回目のライブ。
前回は大変好評で、嬉しいコメントも沢山ありました。
今回はペースとしては少々早いかな?と思ったが二回目のライブとなりました。
ライブの前日、お客さんがあまり集まっていらっしゃらないとのことで、急遽私の電話にて来て頂けたお客さんに大感謝でした。
嬉しいコメントもあった反面、特集とかが定まらず、それとライブの準備がなかなか整わす、曲順を決めないでやったことも問題。
「その場の空気を読む。」は大事なことだが、曲順をやはり定めた上でのこと反省でした。
「ノンノンとアキラ」の関係する千玄室さんの「白菊特攻隊」での飛行機の搭乗パートナーだった西村晃さんとの特攻隊で先に散華した戦友のために、「もしも生きて帰れたら、俺のためにお茶をたててくれよな。」(特攻隊は生きて帰れるはずがない。)という戦友との約束を、戦後、西村晃さんと千玄室さんで、海にボートを浮かべ中には茶釜、そして着物を来てお茶をたてて器ごと海に沈めたそうである。直後お二人は抱き合って号泣したそうである。
ライブでこのエピソードを今回は追加した。
語らなかったが、軍隊在籍時、彼らはことあるごとに「死ね死ね。」と教えられたという。
特攻隊での出撃が決まったある日、千玄室さんは京都の方角に向かって大きな声で「お母さーん!」と叫んだそうである。すると…、兵舎にいた全員がそれぞれの故郷の方角に向かって同様に「お母さーん!」と叫んだというエピソードはあまりに悲しいのでライブ時には言わなかったが…、二十代前半、十代後半の彼らの心情を考えると、最後の本音として「お母さーん!」と叫んだその心情は、ちょうど出撃の日が終戦だったというギリギリの運命を味わってしまったことも含め、ほとんどの人達の胸を打たずにはおかないだろう…。
「歌ってあげたい事実。」「歌いたい心情。」は自分のこれからの活動の基本的なスタンスになるだろう。
「ノンノンとアキラ」に関しては、自分の心に忘れられないライブでのトラウマのエピソードがある。
コレを書くべきか否か、ちょっとためらったが…やはり書く。
これは誹謗中傷のつもりはない。
御理解いただきたい。
とあるカントリーのライブ時のこと、この曲を聞いた某カントリーシンガーは感想で、「まるで見てきたような顔をして…云々。」と皮肉をこめて言われたり、「この曲大キライ!クサくて…。」「ダサい感覚」という感想がカントリーサイドから起こったことは悲しみで、いや、なさけない気持ちでいっぱいになってしまった。
「ディアジョンレター」や「グリーングラス」のような心情を歌うべきカントリーサイドのシンガーから不評なのは正直こたえた。
逆に彼らのカントリーミュージックのカッコよさや求めることとは、いったい何だろう?
カントリーミュージックなのに詞の意味がダイレクトに伝わらなくても良いん
だろうか?楽器をプレーするための手段のため歌うとしたら淋しい…。が、現実はそんなところだろう。
誰もそんなものをカントリーファンは求めちゃいない。
カントリーサイドはもはや、真実や純情を伝える場ではないのかもしれない。
軽快なメロディーをBGMに酒を飲んでりゃあそれで良いのであると考えると、淋しい…がそれがカントリーファンの大勢だし仕方ないところだろう。
しかし、カントリーをはなれたロックサイドやフォークやブルーズの側からは大変嬉しいコメントがあるのが救いだ。
なぜだろう?
ブルーズやカントリーミュージックはやはり「英語でなければならない。」のだろう。
あえて話題は今回のライブから脱線しっぱなしになるが、私は演奏するジャンルが、ブルーズだろうと、ハードロックだろうと、ボサノバだろうと、私は言葉はカントリーミュージックの世界をほざいてるんだ、きっとこれからも…。
しかし今回のライブは正直メリハリ感に欠けていた、あせらず、落ち着いて演奏しなければ!
ちょっと今回のライブは反省材料、演奏しようと考えていた曲を何曲も演奏しなかった。
時間ばかり長く、お客さんに悪いことをしてしまった…。
MCもなんだかくどい。
演奏時間を短くして、曲名をやはり言ってから演奏しなければ!
来ていただいたかた、すいませんでした。
翌日の午後は、その悔しさからか、富山駅地下にてストリートをやったが、体力が疲労困憊で音楽になってなかった。
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