一昨日、金沢市「ネイチャーラボ」のライブで北川修幹氏に会った。
北川氏は富山駅地下で知り合えたストリート演奏するなかなかセンスの良い、21歳の青年である。
私は数時間前にこれまた過日、ストリート演奏で知り合えた『元特攻隊員、海軍14期予備学生少尉』のことを歌ってたから…、こんな北川氏のような20歳前後の若者たちがアメリカの軍艦に肉体もろとも爆弾と共にぶつかって死んだのかと思うとゾッとした!(北川氏ごめんね。)
ゾッとしたのは20歳前後の若者をアメリカ艦船に突っ込むように仕向けた日本政府、軍事関係者の考え方だった。
そして翌日、大河ドラマの後、全く絶妙なタイミングでNHKスペシャル『陸軍特攻隊員の真実』という番組が放映され、その驚くべき実態に衝撃を受けた!
『振武寮』の存在。
『振武寮』は福岡にあり、飛行機の不調で引き返した者、沖縄戦途中の島に不時着して『九死に一生』をえた搭乗者など、『死ぬことが大前提』になっていてなりたつ特攻隊としては、一度出撃して生きていることが分かると全体の士気に衰えが伝わることをおそれた旧陸軍は…、『振武寮』に特攻隊員の帰還者や不時着した生存者を『隔離収容』していたのである。
飛行機の生産量と質が下がり、それでなくても爆弾と共に…死ぬのだから性能の悪い旧式飛行機があてがわれ、出撃時には『軍神』だとか『君たちはすでに神だ』と言っておきながら、福岡の『振武寮』に入れられた搭乗員達は毎日『命を惜しんだ卑怯者』『国賊!』『非国民』と罵倒され、もう一度確実に再突入させるための精神修養や、あまりの屈辱感に自殺した人まで出てきたということであった。
「この世で一番怖いのは…人の心と…しりました。」(byいとうたかお)
…という歌詞が頭をかすめた、大学での学業を一時中断して軍人となった彼らは、「法律上」の事を学んだ人達も多く、命令に欺瞞を持つ人達が沢山いたという。
「何のために死ぬか?」出撃前の晩まで議論したが答えは出ず、結局『家族のため…。』あらゆる欺瞞を押し殺して死んだ学徒兵の事実に心が痛んだ。
神風特攻隊のそもそものなりたちは、『レイテ海戦』において、ボルネオで補給を済ませた栗田艦隊がレイテ湾に入るためアメリカ機動部隊航空戦力を低下させるため、つまりは一週間程度、航空母艦の甲板を使えなくするために発案されたものらしい。
資料によると、神風特攻隊の発案者、大西瀧二郎中将は闇雲に「徹底抗戦」を唱える他の軍幹部より戦況が見えており、『アメリカ長距離爆撃機B29』の情報も知っていて、一矢報いての講和の必要性を考えていたと言う。
「ガダルカナル以来押さえられっぱなしでは講和は出来ない!もはや戦争は続けるべきではない。」
レイテ海戦のみで『神風特攻隊』を終了したかったが戦況が戦況だけに陸軍でも導入されたが、陸軍の菅原中将は特攻隊に懐疑的だったという、しかし戦況の悪化に抗うことはできなかったという。
番組で特攻隊員の生前の映像が映る…。
写真も…富山駅地下で歌っている北川氏のように若い!
そして私は軍司令官くらいの年齢。
特攻隊として死んだ人達は大学の自由な空気に触れた上でのものの見方をしていて、軍や国に対して欺瞞を押し殺して死んだ人達に違いない。
愛する家族が国賊や卑怯者呼ばわりされないように『死ぬしかない!』のだと....。
世が世なら、シンガーソングライターやっててもおかしくない青年達の若い生前の顔写真に泣きそうになった…。
憲法九条はこんな生きていたくても生きていられなかったという若者たちの犠牲の裏打ちの上で成り立っている。
戦争と、アメリカ政府の金儲けさせるための国際貢献なんぞしなくて良い!
投稿者: senda
前ブログでのコメント
返信削除投稿者:千田佳生2007/10/24 23:38
永井 様
コメントありがとうございました。
そのドキュメンタリーは日系人なのだが中身はアメリカ的な考えの女性、かたやアメリカ人だが日本人として生活してる女性の特攻隊員への思いの映画ではなかったかと思います。
フォルツア総曲輪でやっていたとは、見たかった気もしますね。
「月光の..」はビデオにて見ました。
きわめて戦前の日本人的な発想の特攻隊員、「今まで『決死隊』を出したことはあっても『必死隊』を出したことはないといった」軍幹部のやりとりが映画であったかも知れません。
仲代達也さん主演の映画でしたが、若き日ピアニストと譜面の補助者の特攻隊として死んだ友人達のことを思いなかなか心開けない老人のお話でした。
B級戦犯を扱った「私は貝になりたい」で日本人の元将校が人道的な理由で日本人の警察官から数年間逃げまくるテレビ映画もやってましたが…。
知らず知らずのうちに金のために『戦争への道』を踏み出していくかもしれない日本政府に気をつけていかねばなりません。
投稿者:永井広克2007/10/24 11:40
先週1週間だけですが、「TOKKO」というアメリカ映画をフルツァ総曲輪で上映していました。ボスターには「死にたくなかった。行きたかったよ」という」という言葉が掲載されています。
日系アメリカ女性が、機体の故障のために引き返し、命拾いした特攻隊員にインタビューしたドキュメンタリーです。そのインタビューでは、生き残ったことに対する世間の迫害は語られていませんでしたが、10年余り前、たしかタイトルは「月光の曲」とかでしたが、不時着して生き残った隊員のうしろめたさや世間の偏見を描いた映画がありました。