2022年7月29日金曜日

「境港市「水木しげるロード」を歩く。」2007/11/12

わが父親が、私は漫画家『水木しげる』先生のファンだったという事を察してか、水木しげる先生の出身地、境港市「水木しげるロード」へ連れて行ってくれた。


昨日のライブの疲れで、眠くて運転を交代してもらったら境港だったのは驚いた。

平日だって言うのに人出はある程度出てる…。


水木しげる先生はメジャーでありながらマイナーの良心(!?『ガロ』や貸本出身者に私は甘いかも..)を残している日本最長老の漫画家だろう。(旭日褒章を受賞している。)


調布市在住のTさんは昔からよく自転車で出歩いてる水木しげる先生をひんぱんに見てきたという…、彼女は私と同い年。


境港市が『町おこし』の為に作った「水木しげるロード」と「水木しげる記念館」に700円の拝観料?を出して見てみる。


『行政の用意した御輿に乗っかっちゃって…。(苦笑い)』…と気持ち的には批判的だったのだが…。


水木しげる先生が戦前「菓子」が町からなくなって時代がヤバくなったことを知った菓子屋らしき店があった、(ほとんど昔から手を加えてないお菓子屋や、昭和四十年代のノリの和洋折衷の食堂、などかえって手を加えてない店の方が「妖怪〇〇〇屋」のデコレーションされた方より気を惹かれたかもしれない。)その昭和四十年代の匂いを残した(三十年代かも..)食堂で食事をした。


両親と水木しげる先生の話から戦争中の話を大分聞いた。


水木しげる先生の人生については『昭和史』『ねぼけ人生』『落第王』『総員玉砕せよ!』などなど、熟知していたが『総員玉砕せよ』のニューブリテン島ラバウルの「ズンゲン守備隊」のかつての上官「宮軍曹」と写った、昭和四十六年に再度ニューブリテン島ラバウルを訪れた写真は凄い説得力があった。


戦争中に補充兵がその後無く、万年初年兵だったためと『世界は自分のためにある』的な生活パターンから、誰よりビンタを上官からくらい(先生は今でも兵役時代の夢を見るという)、生き延びた凄い人生だが、後年、南方の原住民と再会するいきさつも凄い!


戦争中にラバウルにおくられ、兵役で10人程度の分隊でセッコウ分哨に行ってたった一人生き残り、後左腕を失いマラリアになって死にかけたが、現地人の少年トペトロや少女(で主婦。)エプペらに食糧援助してもらい、戦後二十数年たって再会したいきさつはなんか良いなあと思う。(トペトロ少年は平成3年死亡)


水木しげる先生はトペトロ少年の親(当時の酋長)のことや、トペトロ少年の親戚から親類もみんな知っているから『長老』の位を与えられているとか。


『太平洋戦争』のあと、貸本漫画家としての『貧乏15年戦争』水木しげる先生のもう一つの魅力というか…、大正生まれの水木しげる先生のネーム(漫画のふきだしのこと)にはとてもステキだが、現代感覚のノリとはかなり段差のついた感覚の面白さと、『貧乏との15年戦争によって育まれた笑いにくいが面白い!』っていう面白さがある。(水木しげる先生えらそうにすいません。)


例1

「鬼太郎夜話」では、「鬼太郎親子が下宿してる『ねこや』という三味線屋では、エレキギターに押されて売れていない。三味線を作った残りカスのねこの頭を売っているが、今どきこんなものを買う人もいない。」とか..


例2

「いっかいの妖怪の子供にすぎない僕が、大臣も震えあがるという森脇真茶光氏に招じられるとは何というスリラーめいたことであろう…。とか..(ワカル人にしかワカラない!)


例3「ゲゲゲの鬼太郎『髪様』より」


ねずみ男氏のセリフで「隊長!それは違います、日本の自衛隊では妖怪戦と近代戦には無理です!」などシャアシャアと言っている。


例4

『ヒトラー』では当時ナチス党を立ち上げたネームもさることながら、貧乏話が大分続いている。


幼い頃から親しんできた『水木ワールド』私は「少年マガジン」メジャーになった『ゲゲゲの鬼太郎』から水木ワールドに初めて接した。


『ゲゲゲの鬼太郎ベトナム戦記』では、女の子には生理があり、男の子は勃起するということを教えてもらったかもしれない。


自分にとっては本当に昔から見て馴染んだ、そしていまだに第一線で活躍しておられる『偉人中の偉人だが奇人』っていうのが嬉しい!(水木しげる先生再びすいません。)


何しろ我が家の父親より、はるか年上だが…隻腕ながら元気で、水木しげる先生なりの現代感覚で頭も軟らかいのはさすがだと思う…。


過日『パチンコ雑誌』(攻略本?)の記事も水木しげる先生らしくて和んでしまった。


つげ義春先生の生活を支え、池上遼一先生を発掘して漫画劇画界に大貢献している。


あの『アドルフヒトラー』でさえユーモアももって描かれている。


『ガロ』出身の内田春菊さん他諸氏にリスペクトされている…。


境港市では「ねずみ男」のブロンズ像と握手ができた。


前にも書いたけど「水木しげる先生」は実は「ねずみ男」そのものではないか?と前にも書いたことがある。


モデルは貸本漫画家「山田円太郎」氏だとのことだが、私には『ねずみ男』氏は実は水木しげる先生のことではないか?と思える。


桜井昌一さんのモデルと言われてる「山田氏」は水木しげる作品随一の登場回数をほこる真面目で社会的弱者?をイメージした哀愁あるキャラだが…、(見れば直ぐわかるメガネと出っ歯の水木しげる作品随一の象徴的キャラ。)


昭和40年代にアシスタントとして「水木プロ」に書いていた「つげ義春」先生が明らかに書いていたと思える『ゲゲゲの鬼太郎、つげ義春キャラ探し』も楽しめる。


水木しげる先生も我が家の父親も子供の頃は『戦争ごっこ』ばかりしていたそうだ(笑)


内田春菊先生曰く、「コピーして書いてみて、ものすごい画力だなぁ…、て尊敬しちゃいました!」と言ってたが、水木先生が子供の頃書いた童話の絵本にはやはりものすごい画力がある。その上で成り立ってる水木先生のオリジナリテイ!

最近も荒俣宏さんとどこかへ旅行して「九死に一生」を得たらしい!(平成15年)


そんな「水木しげるロード」でストリートをやりたいなぁ~と思ったが両親と一緒で時間的に無理があり断念した..。


ここでストリートする時は、大谷ひろゆき氏の「ムーンライトアポロララバイ」「エンマ大王」をやりたいと歩きながら考えていた..。

(大谷氏のこの曲はまさに水木ワールドだと初対面で思ったものだった。)


でも..東京の調布市の柴崎や深大寺周辺や、ライブで上京した折など期待してしまう『水木しげる先生に何とか出会わないものか?』…と。


水木しげる先生、いつまでもお元気で!現在八十五歳とのことですが、百歳を越えてください。


追記。


境港市の『水木しげる記念館』の先生の年表で、『総員玉砕せよ』は何時描かれたものか?探したが書かれてなかった。何故だろう?


「水木しげるロード」では喉から手が出るほど『鬼太郎Tシャツ』『ねずみ男Tシャツ』が欲しがったけど、なんだかファンとしてやってはいけないことのような気がして買わなかった。


実写版『ゲゲゲの鬼太郎』田中麗奈ちゃんの猫娘は見てみたいなぁ。

投稿者: senda

2 件のコメント:

  1. 前ブログでのコメント
    投稿者:千田佳生2008/1/27 2:30
    かな様

    お久しぶりです。

    元日にプロミュージシャン宣言しました。
    読んで頂けていた事に感謝です。

    水木しげる先生の生き方や作品は私自身の永遠の憧れですね…。(いや何遍も言いますが…。)

    かなさんも頑張ってくださいね…ただし無理せず、いつかお会いしたいですね。
    当ブログで「水木しげる作品でつげ義春探し」とか後で書きました。(マニアックですね…笑)

    そして私のライブのフライヤーの『絵の執筆者』も募集中ですね…。(『ガロ』と同じように原稿料は出ませんすいません…。

    私もかなさんのプロ作家さんになる夢にエールを送ります。応援します。

    体に気をつけて生きましょうね。

    投稿者:かな2008/1/27 0:32
    千田さん明けましておめでとうございます。
    私は嬉しいです。千田さんがブログをしててくれた事、千田さんに逢えた事が。

    いつかお会いしましょう。私もプロになった日は。

    プロミュージシャンとしてのますますのご活躍と愛溢れた歌をたくさん遺して下さい。
    救われる心がきっとあるから。より多くの歌たちを、世界に・・・。

    健康には気をつけて。

    (水木しげる先生が「お前たちは出逢っとけ」と、私たちをココに連れて来てくれた気がする。水木さんの温かな気持ちはこんなにも多くの人が理解してくれてる。
    生まれてきてよかった。生きていてよかった。また、がんばれる。)

    しかし「ガロ」の事もでてくるとは。正直うれしい‘v‘*

    投稿者:千田佳生2007/12/12 1:44
    かな 様

    お久しぶりです。

    お元気そうで何よりです。

    さて、鬼太郎さんに比べて、ねずみ男さんっていうキャラは水木先生の作品にとっては様々な作品のテーマに応用が利いて、まことに便利なキャラであることは間違いないでしょうね(笑)

    『ゲゲゲの鬼太郎』では、「脇役をやらせたら宇野重吉かねずみ男か!」なんて言ってますから(笑)

    かなさんも作品を作っていらっしゃるのですか?

    それは、創作活動にたづさわる者同士で、水木先生に傾倒しているアーティストの方と知り合ってうれしい限りです。

    かの内田春菊先生も『ガロ』誌上にて水木先生の絵のコピーをやってみて、「ひゃーな~んて大変!」なんて言ってますから..。
    話を元に戻して、水木先生の作品では鬼太郎作品の他にねずみ男さんの口を借りて、水木先生の..やはり本音とも取れるような箇所がいくつか見られます。(…と思ってしまいます。)

    そんなねずみ男さんと、死神の夢の共演はついつい読んでしまいますねー。

    『河童の三平』の死神が、ノルマを挙げられないため、死神の資格を失ってしまうところとか、どちらも妖怪なのに人間味に溢れていること..我が身を考えてしまうキャラの数々、流石に水木先生の貧乏十五年戦争が生み出したキャラかもなあ…と思ってしまいます。(アニメでは死神とねずみ男の共演は何度かありますね…。)

    話代わって、多分殆どの人達が作品として読んでるのは『墓場の鬼太郎』として昭和40年代に『少年マガジン』に書かれた作品だと思います。
    その頃のアシスタントに私も大好きな『つげ義春』先生や『池上遼一』先生がアシスタントであった時代の作品には絵の質も高く、引き込まれる絵がありますね…。(池上遼一先生の絵も昔は水木先生の影響を沢山受けている印象がありました。)

    ここで詳しく書きたいんだけどそれはいづれ別のページにて..、何度もコメントをいただきありがとうございました。
    かなさんの良い創作活動をなさるよう祈っております。

    投稿者:かな2007/12/11 0:15
    返事をこんなに遅く出すブ失礼をお許し下さい。
    「せんだ・よしお」さんですね?何回もお名前間違いまくってしまってすいません!!以降間違いません!絶対に!!

    なるほどですねぇ。ねずみ男の発言が水木先生の本音・気持ち・・・ですか。たしかに水木さん・・・いや、ごめんなさい。私千田さんの意見と違って、水木さんはああゆう「人間味に満ちた生き物」みたいな存在がめちゃめちゃ好きなんじゃないでしょうか?と言うか憧れてる?みたいな。私の勝手なイメージですが、水木さんめちゃきれいな、純粋な、子供みたいな心の人だから、ああゆう素直に私利私欲に発言・行動出来る生き物が、かわいくてかわいくてしょうがないんじゃないのかなぁ~・・・っと思います。私は(^u^)♪

    ねずみ男の恰好でハードロックですか!暑そうだ×へ×;

    あ!ギターですか!!あのトップオブザワールドの出始めの!・・・すいません音忘れちゃいました。でもすっごいやわらかい感じだったと記憶に残ってます。ギターですか!

    ・・・話戻って「ねずみ男が水木先生の『本音』を語っている」・・・。確かに、確かにそうゆうシーンありますね。あったなあ確か。
    鬼太郎くんが理想の生き物像なら、ねずみ男は人間社会で生き抜く為の現実象って感じがします。誰も、あんな清らかには生きられないもの。

    返事遅いうえに長く打ってしまって、重ねて大変失礼しました。しっかりと「水木先生」について、作品について語れる場など今まで無かったので、今も非常に幸せです。なにせめちゃくちゃ水木先生の作品は私の目指す作品の極みですから。

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  2. 前ブログでのコメント
    投稿者:千田佳生2007/11/16 6:43
    かな 様

    三たびコメントありがとうございました。
    「せんだよしお」という読みになります。
    「ねずみ男」さんと書いたのは、私がまったく失礼ながら、水木しげる先生の言ったことや、考え方から先生は「ねずみ男」さんに結構近いものがあるな~。

    …と正直思ったことですね…。

    1989年に、NHKで放送された水木しげる先生の特集番組では、「鬼太郎っていうのは言わば変人なんです、欲がないから…。そこへいくと…ねずみ男ってのはすごく人間臭い…。欲が深いし、ズルい…云々」この特集番組の映像を見る限り、水木しげる先生は「ねずみ男」さんだなぁ~と正直思ったものでしたね…。

    『ゲゲゲの鬼太郎』以外の作品でねずみ男さんの口を借りて語るのは正に、水木しげる先生の『本音』じゃあないかな、…と思う所が沢山ありますね。

    ねずみ男さんの格好をして演奏してた『人間椅子』っていうバンドのベースさんがねずみ男さんの格好をしてましたね…。ハードロックで衣装はとても暑そうな感じでした。

    ペダルスチールギターが正式名称です。
    カーペンターズの「トップオブザワールド」のイントロを弾いてるのが有名ですね。

    ねずみ男さんの「昭和史」の名ナレーターは本当に見事…っていうか、私見で、もう一人の「水木しげる」先生そのものだと思うのですが…(笑)

    投稿者:かな2007/11/15 23:26
    今晩はです。「ちだ・よしお」さんですね?
    了解です!!(^v^)

    ねずみ男なんですか?んん~、ねずみ男なミュージシャンさん「千田佳生」・・・。
    駄目だ!想像できないっスよ。だってねずみ男はお金に目がないじゃないですか!でもミュージシャンは夢を与える仕事でしょう?繋がんないや!×0×;

    じゃあ私は「産女」で。(うぶめ、知ってます?妖怪百科大事典ってのに載ってます確か。)

    ところで【PS】ってペダルスチールの事ですよね?どんな楽器ですか?

    投稿者:千田佳生2007/11/14 1:52
    かな 様

    再びのコメントありがとうございました。
    まずは私の「佳生」の読みは「よしお」です。

    水木先生に仕事を受けていただけたら..いいですけどね(笑)
    私の印象では「ねずみ男」っぽいので…お金が心配ですが..先生が妖怪に成られ内にお願いしたいです。(水木先生すいません。)

    そのうちに。

    かな様のお近くでライブがありましたらお会いしたいので、どうかお出かけください。

    投稿者:かな2007/11/13 23:21
    あわわ!返事が(*0*)!!嬉しい。
    『なまけ者になりなさい』って言葉も聞いたことがありますね。おぼろげな記憶ですが。
    千田さん(下の字がどう読むのか分からず漢字に出来ませんでした;)は流石いっぱい水木先生のことを知っていますね。

    ジャケットは水木先生の絵で出して下さい。買います。
    あ!それじゃあ千田さんのが先に水木先生と逢っちゃうのか??
    勝負です!笑”

    最後に、お返事めっちゃ嬉しかったです。ありがとうございます。
    (私の引き出しに陶器で作られた小さな鬼太郎がいます。頂き物の、大切なお守りです★)

    投稿者:千田佳生2007/11/13 0:52
    かな 様

    ようこそ。

    私のつたない日記を読んでいただき感謝です。
    私のほうこそ、水木しげる先生のファンにコメントを書いていただき、うれしさいっぱいですね。

    先日の「水木しげる記念館」では出口に著作本が沢山あり、「宇宙虫」など遥か幼い日に読んでいた作品に出会えて感動していました。

    調布市の深大寺周辺に行く度に会えないだろうか?とついつい期待しています。
    私はただのミュージシャンですが、CDなどは発表してません。(他人のCDには山ほど参加してます。もといライブの録音を収録して売ってるレーベルはあります。)

    私がファーストCDを作ったらば、ジャケットを水木しげる先生に書いてもらったら謝礼はいくらくらいかな~とか、今考えてみました。

    水木しげる先生は私の永遠の憧れですね…。

    記念館の水木先生の色紙には、こう書いてありました。

    『なまけ者になりなさい。』

    感動的でした。

    経済発展は遂げましたが、「『幸福感』はわいて来ない。」
    『幸福感』はとても考えさせられる話ですね…。

    投稿者:かな2007/11/12 22:59
    コメントしていいですか?
    懐かしいです!エプペとかトペトロとか長老の位置にいる話。昭和史でしたっけ、その話は。
    私は父の影響で水木しげる先生が好きです。尊敬してます。手塚治虫先生には会いそびれたので、水木しげる先生には会いたい!会いたいです!!
    私は『河童の三平』が一番好きです。時間がまるで止まってるかの様にゆっくり過ぎてく感じは水木先生にしか出来ない描き方だと思う。天才。
    『のんのんばあと俺』はひたすら泣けます。

    長々とホントに失礼しました。すいません!
    水木先生のファンに出会えて嬉しかったのでつい語りたくなってしまいました。すいません(>0<)。
    失礼しました。

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