2022年7月31日日曜日

「くやしさや、くやし涙に頬を濡らしてギターやスティールを弾いたことがあるかい?」2007/12/6 

青春時代に…。私はリズムギターがとりわけヘタクソだった…。(ま、今でもリズムトレーニングは苦手だが..。)


二十一歳の頃にアメリカンロックを演奏するバンドに入れてもらったのだけれど…、毎回の練習でドラマーでバンマス氏にリズムギターの不味さを指摘され、それからもう一人のギターリスト氏にいつまでもこんな状態が続くもんだからイヤなことを言われ、大変傷ついて泣いてしまったことがあった..。

ギターを弾きながら泣いていた…。


「ちきしょー、ちきしょー。」「馬鹿やろー。」とやり場の無い気持ちをぶつけながら..。


今みたいに譜面の理屈も解らず…、リードギターとリズムギターの関係も解らず…。(いまならば、リードギターはリズムギターの延長上にある!とはっきり言える。あくまでもテクニカル的なことで違う感じかた考え方も理解しております。)


当時、音楽的に無知な私は…ひたすら手探りで、くやしい思いをして音楽を、いや、ギターを弾いていた…。


よくある話かもしれないけれど、リズムギターの基本的動作裏付けが無い為に…、リードギターの難易度!?の高いフレーズも何にもならなかった。


当時、1977年度の「プレイヤーマガジン」の平山雄一さんの『アメリカンロック講座』で、「ペダルスティールリックス」なるエレキギターによってペダルスティールの物まねをする奏法にのめり込みイカレていて、リズムギターなどはろくに練習せず、自分だけの興味の対象の『マニアックの森』に迷っていて、そのため、バンドと上手くいかない現実に戸惑っていて、しかもそれは長く長く続くことになった。


バンドでテクニカル的な問題点でメンバーと上手くいかず、大変なストレスを感じてた21~22歳のころ…。


一年間余り続いたがポシャってしまい、バンドマスターからは「まだ音楽をやるならどこかで勉強したほうがいいよ!」で解散した。


今、私は幸いなるかな音楽を続けている、あんなバンド時代があったからかもしれない…。


私は音楽には本当に随分膨大な時間を割いてきた…周りが見えなくなるくらい…。


笑う人もいるだろう..。

あの時の涙は幸いに、その後楽しい時間と友との出逢い、旅と音楽を通した人生をもたらしてくれた…。


私が楽器を即座にこなせるような青春時代であったなら…、たぶん音楽は辞めてしまっているだろう..。


涙に濡れてギターを弾いた夜……。


懐かしい記憶を思いだした。

投稿者: senda

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