2022年7月16日土曜日

「最後までライブのことを考えて旅たった中村十兵衛さん。」2007/9/4 

本日朝、(9月3日)一人のミュージシャンが旅立った。


中村十兵衛さん。(本名 中村順一さん)


我が盟友、原聡氏(バンジョー)と『トイメンシャオ』を十数年間組んでいて、私もトビー氏(パーカッション)と参加させてもらった。


病室で最後まで次回のライブのことを考え、旅立ってしまわれた..。


9月14日は池袋の病院の近くのライブハウスでライブの予定だった…。


8月20日が最後のライブとなったが行けなかったのが悔やまれる。


そして今日、私は通院日、本日海風を受け十兵衛さんの作品「フリーダムチベット」をインストルメンタルで延々と弾き、そして歌う…。


十兵衛さんへの今できる唯一のリスペクトだった…。


思えば…、トイメンシャオのCDに全曲参加させてもらった後に途中から二人して関西のライブハウスをツアーしたり、急に渋谷「アピア」に急に参加させてもらったり、何度も共演したことなどなど…思い出が頭の中を駆けめぐっている…。

全て楽しいことばかり…。


月日時間がたち、そして私は完全にソロ志向のミュージシャンになり、大幅な弾き方の変更をして「トイメンシャオ」のCDの時のプレースタイルはあまり前に出なくなった…。


今年の2月28日に行われたライブ「地下生活者の夜」が最後となったが、以前のようにセッションはしなかった。


一番良い状態状況でライブをしてもらいたいため余計な配慮をさせたく無かったからだった…。


十数年間磨いて温めてきた原聡氏との音楽を存分にやってほしかったからだった…。


そしてその夜の演奏にふと…ポカラの町の風景がよぎったかもしれない。(ネパールの美しい町)見事な演奏だった…。


十兵衛さんはよくネパールに行き曲を作り上げていた。楽器は向こうの友人の家にあづけてあるという…。ネパールの話をよくしてくれて、数年前に私もネパールの地に立ち、十兵衛さんの世界観の一部を実感した感じがした…。


十兵衛さんの体の事は聞いていたが…、「地下生活者の夜」では、楽しい夜に十兵衛さんの体の事も一時忘れていた。


病室のベッドにありながら、最後の最後まで創作活動を絶やさなかったその姿勢は、本当に立派なミュージシャンだったと思う。


そして、富山在住時から「誰もやってない素晴らしい音楽をやろう。」と誓い合った我が盟友、原聡氏のバンジョーもその夜は忘れられないプレーだった、昔の約束の到達を実感確認する思いだった…。


その原氏にも、文中からではあるけれど、中村十兵衛との長い間の活動に、ねぎらいの言葉を送り届けたい。


私にしてみれば…アナタがいたから、楽しき日々とアカデミックなスチールを弾く力が続いたのだと…。


十兵衛さんの好意には甘えっぱなしだった…。


十兵衛さんはオープンに、いつも私のプレーを快く迎えてくれた。


楽しかった日々を反芻している…。


一度危篤状態になりながら復帰し、病院の近くのライブハウスで二回のライブを敢行したこと、病室での作曲創作活動はまさに精神力というより、まずは「自分の音楽」「自分流の生き方」を全うしようという十兵衛さんの「信念」がきっとあったのではないかと思う。


「悲壮感」を嫌い、「緩やかにて優しく明るく、生きること」それを十兵衛さんから教わった気持ちだ、最後のライブでも(今年の8月20日)苦しい所など見せなかったという。


世間で言う悲壮感を伴う「根拠の無い常識」「暗い因習」を嫌い、行動や音楽においても十兵衛さんは明るく自由だった…。


ここで初めて「死」という字を打たねばならない現実。。。


そして…。


旅立たれた中村さんに大きく手を振りたい、私の頭の中では12弦ギターのケースを肩に背負いこんで

「じゃあ!」


…と渋谷の街の雑踏に消え去っていく姿しか私のアタマには浮かばない…。


不謹慎かもしれないが「合掌」とは書きたくない。


中村十兵衛さんの最後の旅だちに対して、今心の中で大きく手を振ってみることにする。


ありがとうー、中村十兵衛さーん。


お世話になりましたー。


道中、お気をつけてー。

1 件のコメント:

  1. 前ブログでのコメント
    投稿者:ミナミ 様 KAYA様2007/9/7 4:13
    追伸。

    十兵衛さんのお別れの表情を私にお伝えしていただき誠にありがとうございました。

    心から御礼申し上げます。

    投稿者:千田佳生2007/9/7 4:05
    KAYA 様

    こちらこそ大変ご無沙汰しておりました。
    十兵衛さんはまた違った表現をしようとしておられたのでしょうか?

    バンドネオンとは..。ディジュとバンドネオン(コンサーティナのことか?)
    病室にいても音楽を表現しようと最後まで創作活動を全うされた十兵衛さんになんだか、固い言い方かも知れないですが…「生きることの何たるか。」を見せてもらった思いです。
    KAYAちゃんにいつか…、渡さんと演奏した「はらっぱ」でのビデオを送ってもらった事がありましたが、(無情にも誤って燃やされてしまいました、すいません。)十兵衛さんも、お会いするとホッとする人でした…、ご両人とも緩やかに…、世間的なネガティヴな悲壮感や押し付けられたような常識を相手にしてなかったように私には思えましたね。(大袈裟 かも知れませんが。)

    病床でも創作活動表現活動を最後までやり抜いた十兵衛さんにミュージシャンの純情を見せてもらった思いがします。

    投稿者:千田佳生2007/9/7 3:28
    ミナミ 様

    お久しぶりです。歌、音楽と共に生きる者同士、私も十兵衛さんと出会えた事はキレイ事でなく、あの歌声は「ドライブ感」と「寂けさ」の共存する私も大好きな声でした…。

    淡々と…人に苦しさなど見せず…。

    大切な先達を失ってしまいましたね。

    ミナミちゃんの気持ちお察しします…。

    投稿者:千田佳生2007/9/7 3:07
    南三郎 様

    コメントありがとうございます。私が最後に中村十兵衛さんにお会いしたのも同じ2月28日の『地下ライブ』でした。

    実は、「また会えるさ…。」(実際連休中に富山市と高山市でライブツアーがあった…。)という気持ちが有りました。
    アジアの匂いのする歌が好きでした。

    十兵衛さんの部屋を訪ねた折、レオコッケのアルバム(ジャグリングをしてるジャケット)があり、レオコッケを大好きだと言ってましたね。
    沢山の楽しき思い出しか浮かばないのですが、今にして思えば一時期アピアでリハーサルもろくにせずいきなり出演日に共演させてもらった事がよく有りました。
    十兵衛さんの存在と、あの時の「レオコッケ」のアルバムを手にした事が、今の私のスタイルに繋がっていった気がしています。
    中村十兵衛さんの「千田さんのスタイルはいまだに進化しているのが凄いよ!」…と十兵衛さんが私に言ってくれたことかは、心の大きな宝物です…。
    またお会いしましょう。

    投稿者:KAYA/Gypsy Eyes2007/9/6 17:20
    たいへんご無沙汰しています、didjeridooの
    KAYAです。

    4日に十兵衛さんにさようならを言って来ました。
    昨年来の闘病生活を知らず、7月に知人から連絡を
    もらってお見舞いに行きました。
    「退院したらバンドネオンを弾くよ~」と言って
    ました。

    原さんから千田さんのブログがあるよ、と教わって
    ここへ来ました。

    今日関東は嵐です。

    投稿者:ミナミ2007/9/5 22:43
    千田さん、今日お別れをしてきましたよ。
    十兵衛さんの喉仏は、とても綺麗でした。

    http://moon.ap.teacup.com/minami/

    投稿者:南三朗2007/9/4 20:57
    千田さん、ご無沙汰しております。十兵衛さんの訃報にかなり動揺しています。今年2月末の西荻ターニングのライブで久々のトイメンシャオの音に感動し、彼からも満面の笑顔で「久々じゃない!」って言われて・・・・もっと話をしておけば良かった。今日は「君の夢の名前」をじっくり聞くことにします。いつだったかライブの打ち上げで「何でお酒飲まないの?」って聞いたら「だって水が一番おいしいから!」って仰ってた。それから水を飲むときいつもこの一言をなぜか考えるようになりました。十兵衛さんにボクも大きく手を振ることにします。

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