2022年10月30日日曜日

「ヨイトマケの唄と私は…。」2013/8/21 

イヤなことから逃げる…。



それは普通のことだろう。



我が家は私の小学校四年生で商売替えをした、それまで経験したこともない水道屋に修行に行き、精神的に大分苦労したようなのを憶えている。



独立し、住宅の雑排水の穴をスコップで私も掘っていたところに、同級生が自転車でとおりがかり…「おーい、土方のオッサーン。土方の千田ー!」っと言われ。



うちの父は「オーイ、おまんらちも、ここ来て穴掘れま~!」…と脳天気なことをいい、同級生まで利用しようとしたため…。


翌日、同級生にからかわれ、苛められたことは言うまでもない。


「ちくしょー。」


と思った、でも父も母も働いていたから…。


本当に自分が「なんで生きているか?でもなんでバカにされるのか?」



今では亡き父に感謝しているが。


漫画家で競艇予想家、蛭子能収さんが…「ヨイトマケの唄…これを聞くと今も涙が出てくるんですよ。」



…といっておられたが、なんとなくわかる話である。



この蛭子能収さんの『ヨイトマケの唄』は『ガロ』ビデオで見ることができる(これは私はもっている。)


さて、この作曲者『美輪昭宏』さんと私が勤めていた〇ーク建設の社長も、『美輪昭宏』と半年間同棲していたそうである。

彼の部屋に行くとアラビアの姫君のようなベッドがあって、先ず「祈ってください。」…といわれたそうである。


〇ーク建設の社長は当時越路吹雪の鞄持ちをしており、シャンソンを通じて意気投合したとのこと…。



いまとなっては『銀パリ』に18才の時に行かなかったのが惜しまれる。



当時の私はアメリカンロック一辺倒だったので…先輩岡村さんにいくら誘われても行かなかったのだ。



『ヨイトマケの唄』



いろいろ紆余曲折はあったようだが…。



病院で私と一緒に歌う母の唄『ヨイトマケの唄』の一節を借りれば…。



母ちゃんの歌こそ世界一


母ちゃんの歌こそ世界一…。


苦労させてごめんね。

投稿者: 千田佳生

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