2023年1月9日月曜日

「宛、藤井社長。」 2017/12/3 

国内のペダルスチールファクトリー、「ファゼィ」の藤井社長に対しての感謝は、あまりにも多大なものがあります。


1982年に…。


ギター(レスポール)にパームペダルを取り付けられないかか?


そう立川市を訪れたことがキッカケでした。


藤井社長の前でギターにてペダルスチールリックスをやり、社長が随分と喜んで頂いた記憶がありました。


…実は求職中。


「ファゼィ」にスタッフとして入社することになりました。


「ファゼィ」のことを知ったのは神田の「カワセ楽器店」でのフライヤーでした…そこにラップスチールを弾いてる粋な老人(失礼しました)がいて、「冬場でもハワイアンをやらなければならない。」


…その方は外山寛さんだった記憶がします。


さて「ファゼィ」の勤務は内心では大好きでした!


バフ掛け、フライス盤操作、工作…自分の性分に合う仕事だったのです。


しかしながらダメダメ社員でしたね…鈍くてノロマで遅刻はしょっちゅうだし、何度も注意されても直らない…。


そしてカントリーミュージックとの出合いと、ペダルスチールとの出会いとなりました。


自分は22歳でしたね、ペダルスチールの早弾きや、中でもペダルスチールのスローな曲の感情表現には、完全に心の琴線を揺さぶられてしまいました…。


沢山の外人さんの来客やミュージシャンには22歳の自分にはまさに当惑していた気持ちでした!


ペダルスチールの表現力には圧倒されたのです!


多感だったかもしれませんが、本当に涙が出そうだったのでした、中でも藤井社長の弾く「ブルージェイド」「バッドバーンズ」は圧巻でした!


そして2ヶ月に一度のミニコンベンションでも刺激は続きます。


音楽とは何と素晴らしいものでしょうか‼




そして「仕事の姿勢」や「音楽とのつきあい方」…。



藤井社長は自分に…。


「音楽してられるだけで幸せなんだよ。」「週に一度の日曜に寝坊してられるのが幸せだよ…。」


しかし若い自分には理解できないで、この年齢になってから遅まきながら理解することとなりました…。


月に何度かの演奏する機会やスタジオでの練習。


色んな曲を知ることが出来ました、これは自分を広い演奏の場へと導いてくれた源泉となっています。



ある日の休憩時間に…。



「千田君は新しいペダルスチールを、新しい音を出せるよ!」


Wさん曰く「社長は良いところを引き出すのが上手いんだよな!」



藤井社長に2回レッスンを受けたことがありました。


スタジオにて「バッドバーンズ」を弾いていた時に藤井社長が…。



「千田君、ブロッキングを覚えた方が良い、バーで音を切るのは昔のやり方だ、今は予め弦の上に右手でミュートして弾く時には弦から右手を離すんだ!」



自分は「‼」



…。


時は流れましたが、藤井社長からの教えは残ってます。



だけど、師弟の関係が有るならば…。



自分は決して良い教え子ではありませんでした。


家業の関係で転職を決断せざるを得なかったのは、今思うと残念でした。


何より炎天下で穴を掘ることもなく、寒い冬場で手をかじかむ事もなく、好きなカントリーミュージックに囲まれてバフ掛けをしていた昔を夢にも見るのでした。



社長は…。


「お前はカントリーはやる必要はない!そのまま行け!」


出来の悪い子供の最後の願いですが…。



社長の使っていたキーレス8ペダル7ニーレバーを。



「ショーバッドレバーからエモンズレバーに変更。」



それと…。



今の「ペダルスチール弾き語り」のスタイルに合ったペダルとニーレバーのセット。


まだ働かせてすいません…。



自分も歳をとりました。


でも…もう一働きを、どうかお願いいたします。



「ファゼィ」のチェンジャーシステムは世界一です!


自分もまだまだ弾いていきます、社長もご自愛をよろしくお願いいたします。

投稿者: 千田佳生

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