2022年5月31日火曜日

「1965年の大晦日~お正月」2006/1/6

昭和40年、大晦日、その当時衝撃的だった「源義経」の総集編を見てから、銭湯、国道8号線を渡って「桜湯」へ、おかぁちゃんに連れられて、実は、緒方拳さん扮する武蔵坊弁慶の立ち往生が衝撃的で、物凄く興奮して過敏になったことを覚えている…。実は……、「源義経」の効果音があまりに恐ろしいと幼心に思ったものだ、銭湯では「カッコーン、カッコーン…。」とそれでいて、昼間の自分が昼間聞いたこと、自分がしゃべったことが風呂屋の残響を伴って蘇った、自我に目覚めた頃、残響を伴って蘇った昼間の記憶は鮮烈で幻想的だった……。家に帰って…、「紅白」を見た、最後の採点は紅白のボールを投げるパフォーマンス、(実際、その前の記憶もあるかも、お正月の記憶力は大変良く覚えている…。)父親も母親も、祖父母も遅くまで起きていたのかは分からない、その当時何故か一年中で一番夜遅くまで起きていたから、記憶が鮮烈だったのかもしれない。それと「源義経」だろう、「恐ろしい」と思った元凶の音楽を作った作曲家はたの武満徹さんだとわかった、大河ドラマの音楽は私の音楽意識を高いところへさりげなく持って行ってくれたのかもしれない、その当時まだ電気コタツは家にまだ無く囲炉裏の上に構える矢倉コタツだった。「少年」を読みながらいつしか眠り、翌朝ー、何時も早起きのおとぅちゃんがかなり長く寝ていて、私は揺り動かして起こしたのだった、そうして「干鰯」を焼く匂いが漂い、妹はおじいちゃんとおばあちゃんとコタツにいる…、なんて懐かしい家族の風景、その頃の正月のお休みは元日だけだった。初詣は倶利伽羅不動尊、ひどい雪ではなかったか…、子供のときの時間はゆっくりと流れていた、子供の時間の一番古い?お正月の記憶は本当に夢見るくらい今は鮮烈に記憶の底にある幸せの時間の記憶だ。

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