2022年6月23日木曜日

「私の憧れの人。」2007/1/30 

それは松尾芭蕉さん。


いつの日か..歌を書きながら..旅することを日常として生きられたら..。と思ってる。


旅立ちへの憧れは、小学校の頃に貸本屋でよく借りていた漫画に「フータくん」(藤子不二夫 作)4巻5巻の影響もあった。


フータくんが東京を降り出しに、各都道府県を旅する漫画にワクワクしたものだった。


だからという訳ではないが、旅することが常に大好きだった。


健脚、松尾芭蕉さんに憧れて高校時代には学校から家まで(小矢部市~高岡市間)を歩いたりした。


もう十年くらい前には、「奥の細道」に憧れて、東北のライブハウスをいきなり訪ねてライブをやるという「奥の舗装道」ツアーを敢行した。


旅行の予算は二万円、金がなくなったら止める旅という事にして、10日間の旅になった、8ヶ所でライブを敢行して好評だった。


今ほど上手く弾けなかったが..毎晩食事出してもらったり飲ませてもらったり、路上駐車も今ほどうるさくなかった時代だから、低予算で間に合ったのだった。


何よりも、ふれあいと、演奏を聞いてもらえることが嬉しかった。 その時の旅の案内書は、遠藤ミチロウさんの「音泉マップ」だった。


都内のライブハウスではまず無理だが、地方のライブハウスでは、「もしもよろしかったらデモ演奏聞いてもらえないでしょうか?」と数曲演奏聞いてもらって、そこにいたお客さんが盛り上がってライブになってしまったことが何度となくあった。


ライブハウス側からすれば、いきなり飛び込みで来て「演奏させてください。」だから、失礼な話だが…。邪険にされることはほとんど無いどころか、演奏をマスターが聞いて、「ちょっと待った!今携帯でお客さん呼ぶから!」と、お客さんを呼んで頂いたりした。嬉しかったものだ..。


松尾芭蕉さんも、江戸中期頃とはいえ、歌会を催してくれた商家の招き入れもあっただろうが..峠越えや、宿屋を取れないで野宿になった時など、きっとあったに違いないだろう。


そんな時に、矢口高雄さんの劇画「奥の細道」で「鉈切り峠」を芭蕉さんが越えようという時に、夜農家に泊めてもらう様子が想像とはいえ書いてあるけれど、私自身の場合も、演奏を聞いてもらった後、「ウチの二階で泊まっていけば?」とか、「泊まっていきなよ、酒のんじゃったろ?」など、今はとても感謝している。通常は「道の駅」に車の後ろに布団をしいて(軽自動車のワゴン車)眠っていた。


体力的にきつい時は人気の無い場所に車を停めて体の休養をとられることは大きい、こんな感じで別の旅だが…、静岡県の同笠海岸で正月の元旦に、太平洋の暖かな風と日差しを受け、ワゴン車の後ろでペダルスチールのケースをテーブルにして、カツオの薫製でビールを飲みながら新しい年の暖かな日差しの中で眠りについたことは忘れられない。


私と芭蕉さんが違う所は、私は全く旅先で作曲ができず、かなり反省だなぁ…と思うが..芭蕉さんは、沢山の秀逸な作品を残している。


私の場合は、作曲の代わりにやったことはストリートだった。


今から思えば、旅先の楽しさが先にたって創作しなかった反省がある。


その後、いろんな所に旅したが、旅先で作曲が出来たことはただの一度も無かった。


芭蕉さんに憧れるなら旅立ちもなんだが、創作しなけりゃあならないなあ~。


「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」


辞世の句も私の旅への憧れを今もかきたてるのだ。

1 件のコメント:

  1. 前ブログでのコメント
    投稿者:千田佳生2007/1/31 2:02
    BURNYヒロ 様

    ありがとうございます。

    旅先でのふれあいやライブの思い出は私自身の大切な「宝物」です。

    次の旅立ちを空想するだけでも、楽しい気分で毎日が過ごせました。

    それにしても、松尾芭蕉さんは偉大です。

    投稿者:BURNYヒロ2007/1/31 0:56
    憧れって素敵な想いですね。自分も持ちつつ”けて行こうと思います。     

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