昨日、BS「とことん明日のジョー」っていう番組をやっているとわかり、シンガーソングライター山崎雄弘氏に連絡する。
驚いたことに(いや、ファンなら当然か…。)彼は知っていて、「明日のジョー」の原作者梶原一騎氏ならではの視点に私は着目したことを語った。
例1)非力な青山がフットワークでジョーを追い詰めていくシーン…、従来のヒーロー像からは考えられないほどの非力なキャラクターをフットワークで強くし、光りを当て、同時にジョーに「孤独の涙」を流させる心理描写、原作者である梶原一騎氏に対する、作画、ちばてつや先生が今画面に出ている…。
想像も含めて、原作者梶原一騎氏との作画ちばてつや氏との「作画を降りる降りない!」というくらいの衝突があった上での創作であったということも作品の質を上げているかもしれない。
「明日のジョー」のあとがきでこの事実を読んだことがあった。(実際『柔道一直線』では永島慎二先生は作画を降りている。)
想像で語るしかないが……、ちばてつや先生の面構えからは原作者、梶原一騎氏と対等にやり合えそうな気概を感じる。
創作する時に、「自分だったら…。」そんな独特の発想力が生み出せるか?どうか…今のところそんな創作活動が出来ているかな?…と、山崎雄弘氏と少し語り合った。
例2)力石徹との戦いの後、テンプルを打てなくなったジョーの心の闇の部分を描く視点。
『人間なんて強いもんじゃない。』そう思えることはあまりに沢山あり過ぎる。心と体は別物と思う事、心の在りようが体に現れる事がなんと多いことか……。
そして音楽もつくづくメンタルなものだと思わせられる。
誰々のように…。
とか言うのではなく、自分なりの発想力が視点があるかどうか…?
自分の体験した事が、言いたい事が、伝えたい事が…本当に伝え表現できているか?ちょっと考えこんだ。
「明日のジョー」は暴力的だが、セックスの香りの全くない、男の子の詩情は1970年という時代を考えても…昔ながらの爽快な印象のまんまであった。
もうひとつの隠れた魅力かも。
私が書かなくても…。
カルロスリビエラとの再会とか(これはあまりに悲しくて書きたくない。)、ホセメンドーサと対戦前の白木葉子さんの愛の告白などクライマックスシーンは数多くの人が書いているだろう。
体に染み付いたマイナー根性か?(笑)
あまり本編と関係ない箇所にばかり引き込まれてしまっているかも。(大笑い)
原作にないアニメの良さも有る。(これは『タイガーマスク』も秀逸。)
例3)「林屋」のノリちゃんがジョーの初勝利の祝いに、スミレの花をジョーに捧げに来たところへ白木葉子さんからのバラの花束が届いてジョーの無神経な一言に「林屋」のノリちゃんが傷つくシーン。(なんだかいいなあ。かわいくって。)
原作にないシーンが見られたのは何だか得した気分。
例4)ドヤ街の連中と温泉に行くシーンとか、原作にないリングドクターが出てきたり…、原作に無いシーンも身を乗り出して見てしまう。
これを見たのは小学4年生だったなあ…。
そして挿入されている音楽も現在に通じるロックっぽい匂いは無く、ジャズやソウル畑の音楽家がやっているのではないかな?…と思わせられる。(浅川マキさんのライブアルバムを聞くと『明日のジョー』の音楽を思い出すのだ)なかでも、主題歌の「叩け、叩け、叩け-。」のリズムとホーンセクションのブレイクの泥臭さが実に良い!今聞いてもしびれてしまう!
それから10年の時を経て、「明日のジョー2」の荒木一郎さんのブルースやジョー山中さんの名唱は素晴らしいが、『凄み』『泥臭さ』という点では全然別物だろう…。
70年代のジョーのバックミュージックにはロックっぽい匂いはあまり無いが…すごく良い。
80年代のジョーのバックミュージックはソフトアンドメロウの時代 ロックもお洒落だった印象がある。
そんなことを思えば70年代にロックは一気に一般的になったんだなぁ…。
たった10年だよ…。
自分のなかではこの10年はものすごく長い感じ方がする。
あと「坂田軍曹」こと藤岡重慶さんとか、書きたいことは果てしない。
そして今夜も「BSとことん、明日のジョー」を見る!
明日はライブなんだけどね…(笑)
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