私が小学校2年生の時に昭和天皇陛下が市内小学校対抗ホッケーのご観戦にご来校になった。
試合をご観戦になられた時の天候は雨で、8分間ホッケーの試合をご観戦になられたあと、校長室で、ご昼食「お寿司(海苔巻き)」をお食べになりお帰りになられたと女性担任の先生からお話があった。
担任の先生から「この日のことを作文に書きなさい。」
作文の詳細はまったく忘れてしまったが提出した作文に赤ペンで直されたことを今でも忘れられない。
「てんのうへいかがきた。」
~途中忘却…。
「てんのうへいかがかえった」
…と書いたのを…。
「天皇陛下がおいでになられた。」
「天皇陛下がお帰りになっていかれた。」
……と、赤ペンで書き直してあったことが忘れられない、幼ごころに初めて尊敬語を学んだのだった……。
翌日、小学校の正門から赤絨毯が敷き詰められ天皇陛下がお食事をとられた校長室の机の周りには金色のロープが渡されているのを全校生徒が見学させられていた、、。
「てんのうへいはえらいひとなんだ。」
、、、と素直に思ったことを覚えている……。
……それからしばらくは担任の先生ほか特に男性の先生は。
「日本の天皇は百何十代も続いている。」
「ほかの外国にはこんなに天皇が続いた国はない。」
「日本はすごい国なんだ。」
幼い子供のころの自分は素直にそう思ったことを覚えている。
しかし当時は、、。
戦前戦中の教職員がたくさんいて、小学校3 4年生の時の男性担任先生は軍隊の経験があり、、いき過ぎた教育過程はなかったのか?!と思う。
昭和天皇陛下にお会いできるわけでもないのに、昼食をとられた校長室を見学させられていたのは今日の観点からみても。
「いったいどんな意図や観点があったのか?!」
………そう感じないではいられない。
田舎の小学校では全国どこでもこんなかんじだったのだろう。
戦前戦中の観点の教職員がまだまだたくさん残っていたのだろうか、、。
投稿者: 千田佳生
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