2022年6月2日木曜日

「「ただの器用なヤツ。」」2006/2/14  

「ただの器用なヤツ。」この言葉は10年間に渡って私を苦しめた。元々は名古屋のカントリーロックバンド「WetBack」の若園シゲルさんが最初に言った言葉だった。若園氏はちょっと違った意味で言ったのだが…。言葉そのまま、つまり色々演奏、他のアーティストのバッキングはソツなくこなすが…。「アーティストとして表現するべきものはあるか?」「私はアーティストか?」「それとも、バッキングミュージシャン?」「それともただの便利屋か?」初めて「!」と思った瞬間だった。「音楽を自分が始めた時はどうだったか?」「本当の本当にやりたかったことは?」気がついたら…。カントリーバンドの味付け役だ、グッドアンサンブルとすれば正しいセオリーなのだろう…、だがしかし、これは私が「本当に満足していることか?」常識やセオリーや孤独感が元々いた場所へ引き戻そうとする。1993年の名古屋市若園シゲルさん宅でのことだった。「表現とは?」青臭いヤツのたわごとに聞こえるかい?ディランは言う。足元の水かさが溢れてきたら…、泳ぎはじめたほうが良いとね。「時代は変わる…だって?」今まで自分がやってきたことは何だったんだ?走り続けて、初めて自分を見つめた瞬間だったかもしれない…。「大げさだね!」と思ってもらって結構!自分にとっては長く時間を費やして育ててきたことだから、「私って何?」カントリーバンドのセオリーにうずもれていそうになっていたかもしれない。「ペダルスチール弾きの自分と何かワケわからんが、表現しようのない自分。」 前にも「ニールヤング」のバッキングミュージシャン、「ベンキース」の話はしたが…、『シンガーに都合の良い、演奏をすることが良いペダルスチール弾きか?』反論もあるだろう、だが、「ベンキース」のようなイメージで我々は見られ、聞かれているのだっていうことに愕然としたものだ、とあるシンガーソングライターがこう言ったことが忘れられない、「俺達は歌、あんた達はスチールでどうバックをやるかが表現じゃないかな、感性の持ち場が違うんだよ!」心の中で私は激怒してたが、実行で示せない弱さがある。音楽をやり始めてずうっとなんとか(この当時はギターも弾いていた。)スチールを弾きながらも歌っていた。(ポコやイーグルスなどをオリジナル通り弾いて歌っていた。ただし、今のようなリズムバッキングはない。)だが、表現活動とは?まずはオリジナルだ!それからは楽曲を模索しだした。その当時はE9thのみの演奏だったが、B6th の必要性は感じていたが、なかなか手をつけられずにいて、またどう弾けば良いのかわからず、メソッドもよくわからず、ただ悶々と時間は過ぎ、最初からコード理論的に友人のオリジナルを歌ったりした、「バレリーナ」という曲が最初だった。まだバッキングをしてもらいながらスチールを弾き歌うスタイルだったが、バンドは解散し、一人になり、バッキングしながら単独でも弾き歌うスタイルになるまで、なんと長かったことだろうか、作曲活動、は常に心がけているが、フォークギターを弾き、歌う感覚になってきている自分に、大変安らぎを覚えている今がある。だが、まだまだこれから「△◎☆のように」でなく、「私の作品」を書く喜びはいいなあ、でも作品として自分の作品を見つめることも作品を作るごとにやってきたが、「自分の作品は稚拙だなあ…。」と思ったり、「スチール弾くために無理やり歌ってる。」と言われたり、「ただの器用なヤツ」は自分にとっての大切な「戒めの言葉」であることは間違いないようだ。毎回似たようなことも書いているが、作品と歌、スチールが一体になった「作品」がそろそろ書けそうだが…。でも、歌うって本当にいいよ~。人生の大きな喜びの一つだね、今は私の周りの意識の高いシンガーソングライター諸氏には大感謝だ!彼らがいたから私はまだ走っていられたのだろう、感謝するが…、誰だってのは書かないよ!(笑)ギャフンとまだ言わせたいからね。

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