田川寿美さんと五代夏子さんの「ソーラン渡り鳥」に考えさせられてしまった。
実は、日本国が豊かになったのは最近のこと…。
そう書いた、昔は食料品店をやっていて貧乏な身なりのリュックの老人に…。
祖母が「おカネ要らんから、これ飲んでって…。」
祖母は老人に牛乳を飲ませたのを憶えているのは、自分が小学生の頃に見たことがある…。
「ソーラン渡り鳥」の歌詞は北海道の江差から津軽三味線を持って食うため渡ってきた若い娘の話だが…。
発表された昭和36年以前(…ではないかと思う。)の曲だが、母の「唄う乞食」の証言とも一致して、さらには…。
ライ クーダーの「貧乏人は如何に住み、立ち上がるか?(直訳)
なんだかね…。
ライ クーダーのスライドギターしか聴いてなかった自分が愚かしく見えた。
ライはアジテーションする…。
内容は分からないが…。
「娘ソーラン、あぁ渡り鳥~。」
日本国でも、極貧な人びとは現在もいるだろうが…。
ライは、英語が分からないけど、まくし立てている。
戦前の日本国には三味線を持って食うため、各地を渡って暮らしていた人びとがいたのかもしれない…。
今の「ソーラン渡り鳥」を唄う演歌歌手は事実を咀嚼して、歌っているかなぁ?
「遠い遠い過去の日本国の事情」
…。
そう思わないと歌えないかもしれない…。
投稿者: 千田佳生
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